離婚後単独親権絶対維持ィィィ!

いや、もうこういう話なら法律婚を辞めればいいんだよ。そうすれば完全に母親単独親権になる。父親という存在は認められないので母親が自由にすればいい。それで話は終わる。

そりゃ男も自分の財産を誰に相続させるかという問題が出てくるかもしれないが、そういう時には適当に誰かを養子縁組すればいい。そういう相手がいなければ潔く財産を国にお返し申し上げればいいのである。国も管理の大変な山林とかはいらないだろうけれど、現金とか有価証券なら喜んでくれるかもしれない。

この共同親権反対、単独親権絶対維持の人たちはモラハラとかDVとかを言い訳にしなくても結婚せずに出産したなら父親は原理的に存在しないのである。完全に母親単独親権なので子供の医療や進学についても勝手に一人で決めればいいのである。

というところで気づいたのだが、例え親が親権者として勝手に決めることができるといってもそれは子の利益が最優先なのである。親の趣味で子供の進学先を決めてはいけない。いくら親が子供をアイドルにしようと芸能事務所に入れたくても子供が真面目に学校に行って勉強したいというのならば子供の気持ちを優先するのが当然であろう。ま、これは極端な例ではあるが。ひとり親の場合、もし親が「あんたは勉強なんていいから芸能事務所のオーディションを受けなさい!」と言ったとき、子供がそれが嫌だ、自分はアニメーターになりたいからちゃんと高校に行ってアニメの勉強ができるように専門学校に行きたいというなら誰に相談できるのだろうかということがある。

いや、別に芸能事務所のオーディションを受けることが虐待というわけではないが、子の利益が最優先という原則からは外れてしまう。いや、例示するためにかなり極端な事例であるのは承知の上である。現在なら多くのアイドルたちも芸能活動をしながら高校くらいは行くであろう。けれども、親の子に対する希望と子供自体の希望が修正できないくらいズレてしまっているときどのように修正するのかという問題がある。

こういうとき、単独親権絶対維持の叫びは夫のモラハラDVという夫との高葛藤だけなので、肝心の子供との関係性はどうなるのよ、というところは空白になるわけである。

そりゃこども家庭庁の発足の時に一瞬だけ言われたアドボカシー制度があれば良かったと思うよ。親に言えないことでも守秘義務をもってこども家庭庁の担当者が子供の意見を聞き取ってくれる。その上でこども家庭庁が調整してくれるというなら素晴らしいと思ったわけである。まあお金がないから無理ということで一瞬で消え去ったわけである。

いや、片親疎外だっけ、そりゃあれだけ高葛藤でございます。夫死ね。お前は人間じゃないわらじ虫だクソ以下だということで夫つまり子にとっては父親を呪っている方々である。そういう人を母親に持った子供は生きてゆくためには母親に同調して父親なんてクソ!会いたくもない!って叫ばないとご飯抜きにされるかもしれないわけである。多分、それは多くの面会交流を希望する父親にも理解されているのだと思う。けれども極端な権力関係になっているわけで、多くの父親はもう声を上げられないのが現状であろう。

この声明だって親権者としての母親を守れということはよくわかるがそれがどのように子の最善の利益につながるのかについては何も明らかになっていないのではないか。もしかすると「母親を怒らせたら子供の安全は保証できないぞ」というレベルの主張かもしれないが、それは子の最善の利益とは正反対の方角になってしまうわけである。

そりゃ子の幸せのためには母親も幸せにならないといけないという主張には一理ないわけではない。けれども母と子は別人格の別人である。母親が幸せになれば子供が自動的に幸せになるという保証なんてないわけである。

毒親という主張もある。親が子供を支配しすぎて子供の自由が奪われて窒息しかかっている状態である。私は単純に毒親というつもりはないが先ほどあげた子供をアイドルにしたい親はそういう不適切親を意識して描いたことは間違いない。多くのシングルマザーが毒親というわけではないが、そういう人も混じってくるのはやむを得ないだろう。

その場合どうするか。いや、毒親という言葉を最初にネットで提唱した人は「そんな親など捨てちゃいなさい」と言ったわけである。私はそりゃ無理だろうと思うわけである。実際にバイトでもして生活費を稼げる高校生以上の子ならともかくである。中学生以下の子は「毒親は捨てまーす」と言ったところで自分は生活費を稼げないわけだから実際のところ自分が捨てられることになるわけである。路頭に迷うのは子供の方ではないか。実際の事例はよくわからないがトー横に流れてきた家出した子供達の中にはそういう子供たちも混じっているかもしれないではないか。なので、そういう子供たちを無理やり自宅に帰しても毒親なり機能不全家庭に耐えられない子供たちはまた家出しちゃうだろうという暗い予感しかしないわけである。家出した先が幸せではないということは子供達本人がわかっているだろう。けれども家にいるよりはマシだという絶望感が家出という行動を選ばせたのではないか。

ということで新宿歌舞伎町で活動する少女を救う活動のNPOに期待が高まったのは当然であろう。そういう子供たちは行政も信用しないから保健所とか警察、児童相談所からは逃げるに決まっているのである。子供たちがそういう場所に蠢く裏社会に絡め取られないように機動的に動けるのは、また、居場所を作れるのはそういう行政ではなく、ある意味子供達に近い存在であるNPOということになる。

そのNPOにも様々な問題が噴出したのも象徴的ということだろう。援助をたくさんもらっていたNPOがニートやユーチューバーとトラブルになったこともあるし、その近傍のNPOからは自分たちの活動には公的な援助は一銭もないという主張もあったわけである。まあその活動内容については私も真実のところはわからないし、行政には評価も難しいのだろうとは思うのだけれど。

私としては薄く広く多くの人が子供たちに関わることで子供たちが大きなトラブルに巻き込まれることがないようにするのが子供達の最善の利益なのかもしれないと思うのである。けれどもフェミニストたちやシングルマザーたちは特権的に権力を持つ少数と権力を持たずに十分に子供達を救えない多数という権力勾配を作りたいのではないかと思われるわけである。

確かに強い権力を持ったり潤沢に資金を持つ人に救われる人は幸せかもしれない。けれども少数の権力者は少数の被害者しか救えない。少数の監視であればどうしても穴ができてしまって監視から漏れた人は救われずに穴の底に落ちてしまうわけである。例えばそういう人たちが売春を強要されたりすることになる。裏社会に絡め取られることにもなってしまう。そうなると社会の不安はさらに大きくなるかもしれない。

けれども、おそらくはそういう人たちは不幸な人が増えることよりも自分たちの権力の保持や増大の方が重要なのではないかとさえ思えるわけである。

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