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パターナリズムと患者の自己決定権ー安楽死を題材に

1パターナリズムの医療

昭和以前の日本の医療はパターナリズムであった。つまり、偉いお医者さんが患者の病気を吟味し、判断して最上の価値、すなわち「生き続けること」を目指すのだから患者は一切考えたり判断することなく、ひたすら医師の指示に従え、というものであった。

もちろん医師はその時の医療水準に従って最善のことを患者に提供しようとした。当時は「がん」にかかるともう助からない時代でもあったから、「がん」の病名を告げると患者が絶望して闘病への気力をなくすかもしれない。だから例えば胃がんの患者には「胃潰瘍」という病名を告げましょう。胃潰瘍ならば患者も治癒への期待から死ぬまで闘病を続けることでしょう、ということが日常的に行われたわけである。

日本の左派リベラルなら「それでいいじゃないか。患者も生きる気力を失わずに最後まで闘病できたのならなんの問題もないじゃないか。患者も絶望することなく生きる気力を失わなかったんだろう」というかもしれない。

2ナチスドイツの蛮行

実は世界ではよくない事例が起こったわけである。それは例えばナチスドイツである。ドイツは科学技術の進んだ国である。医学も進歩していた。医学を進歩させるには新しい治療の開発が重要である。机上では「これは効果があるに違いない」と思える事実が例えば動物実験などで明らかになるかもしれない。けれども人間に応用した時に必ず想定通りの結果が出るとは限らない。何の効果もないだけならまだマシである。逆に毒性があって患者の健康をより損なってしまうこともあり得るだろうし、命を奪う結果になってしまうかもしれないのである。

パターナリズムの世界では簡単なことであった。何しろ患者は考えたり判断してはいけないのである。医師が「こうしましょう」といえば患者は例えそれが理不尽に思えることであろうとも「はい」と言わなければならない。

ナチスドイツは自らの民族、アーリア人の優越性を示さねばならなかった。それらの人体実験でうまくいったもの、成功したものは民族の成功として大々的に喧伝されたかもしれない。けれども失敗例は秘匿された。アーリア人の優越性に資することのない無残な失敗はそもそもなかったことにされたのである。

そのことが明らかになったのは連合軍がベルリンに突入し、ヒトラーがその愛人とナチス党本部の地下壕で拳銃自殺を遂げた後のことである。ニュルンベルグに軍事法廷が置かれ、戦争犯罪を裁こうとすると、ポーランドにあったユダヤ人の強制収容所と大量虐殺、障害者や精神疾患患者の虐殺のほかに様々な無茶な人体実験の数々が明らかになったわけである。彼らナチスの面々にしてみれば、どうせ虐殺する人々である。殺す前に自分の興味本位の人体実験をやったところでバレはしないという気持ちだったのかもしれない。しかし、悪事は白日の下に晒された。

この事実に驚いたニュルンベルグの軍事法廷の担当者は裁判の基準として生命倫理の判断基準を作った。それがニュルンベルグ綱領である。その基準によって、ナチスの人体実験について裁かれたわけである。

ところがである。パターナリズムは当時、全世界の常識であったわけで、日本でも戦時中の捕虜の人体実験、関東軍の給水部隊での細菌戦の秘密研究や米兵捕虜に対する生体解剖事件などもあった。欧米でも患者の了解を得ずに医学的な研究を行うことは当然のことになっていた。

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