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パターナリズム

どうでもいいけれど、れいわはもうパターナリズムを肯定して昭和の医療に戻ればいいのではないか。

昭和の医療なら脳死も否定。当然、心臓移植などまかりならん。和田心臓移植事件で和田教授を殺人罪で提訴しようという勢いだったわけだから、心臓が動いている限り医者は一分一秒でもひたすら心臓を長く拍動させるということでいいのではないか。もちろん全例人工呼吸器と胃瘻造設してひたすら延命を目指す。高カロリー輸液でもいい。褥瘡ができたら治らないけれど、褥瘡ケアも目一杯してくれるだろうし、CTが嫌っていうなら保険の効く限りMRIをガンガン撮ってくれると思う。その他の検査も目一杯してくれるわけだ。

パターナリズムでは患者を生かし続けることこそが善であるから、患者の意見などどうでもよいわけである。少なくとも患者が「もう死にたい」なんて言っても一切無視してくれることは間違いない。昭和の医療なら患者は胃癌であっても胃潰瘍の診断で説明してくれるから「抗がん剤の治療が苦しいから治療を拒否したい」というシチュエーション自体起こってこない。抗がん剤も単なる「胃潰瘍の薬」って説明してくれるのである。ALSで患者が「体が動かなくて辛い」って言っても「大丈夫、君の心臓はとことんまで動かしてあげる。体が動かなくなっても胃瘻もあれば高カロリー輸液もあるから栄養補給も大丈夫だ。安心していいよ。」って言ってくれるはずである。昭和の時代よりも令和の現在では「心臓を動かし続ける」という技術はずいぶん進んでいるはずである。昭和の時代よりもずっと長く心臓を動かしていられるようになっていると思う。

包括医療、急性期医療をやめて出来高払いに戻せば医療費はガンガン上がると思うけれど、病院の資金繰りに苦しんでいる院長や事務長も収入が増えて大喜びだと思うよ。患者の意識はなくて回復の見込みもないけれど、心臓が動いている限り医療費が請求できるわけだから。

院長も患者たちよ、1分でも1秒でも長く生き続けてくれ。死ぬことは許さん、と毎日祈ってくれると思うよ。まあ、医療はルーチンワークになるけれど、命の選別は起こらない。どういう患者であってもひたすら生かし続けてくれるよ。生きているって「心臓が動いている」っていう意味だけだけれど。

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