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無限と有限の話

1.西洋のキリスト教の無限の概念と日本神話の有限性

西洋というかキリスト教には無限のイメージがあるのである。一方で日本の神話には無限のイメージはない。

これは例えばキリスト教の神は素直に「生めよ増やせよ地に満てよ」というわけである。そこに有限の数字はないのである。一方で、日本のイザナギ、イザナミの国産み神話ではカグツチに焼かれて黄泉の国に至ったイザナミはイザナギに向かって「1日に千人の人間を殺してやる!」と叫んだわけである。これに対してイザナギは「それなら1日に千五百人の子供を産むようにしてやる!」と返すのである。

無論、日本神話を形成した当時の日本人にとって一千人も千五百人も十分に大きな数として認識されていたのであろうが、それでも有限の数字を挙げているのが日本の神話の特徴ではないか。もう少し後になるとよろず、つまり万とかやおよろずつまり八百万を大きな数の表現として用いているので数字はインフレしてきているが、それでも有限の数字を用いていることに変わりはない。

実際には日本では年に150万人以上は死んでいるので現状ではもう1日に4000人以上は死んでいることになる。イザナギ、イザナミの想像を遥かに超える時代に日本は突入していることになる。

この無限のイメージは例えば食事については魔法の大釜というのがあって、その大釜からは無限に食事が湧き出てくると信じられているわけである。けれども、この大釜は源流を辿るとケルト神話のゼウスともいうべきダグザの持ち物であった「ダグザの大釜」であったらしい。この時はダグザが客人をもてなす時にお客さんが満足するだけの食事が出てくるだけのものだったということである。これが欧州にキリスト教が伝播してケルトの神々が妖精になってしまった後にその大釜だけが残り、無限の食事を出す大釜という「無限」の属性が付与されていったということであるらしい。

日本では食事の神としてはオオゲツヒメもしくは保食神というのがいて、無限に食料を出すことができたらしいのであるが、口から出したりお尻から出したりするので「そんなキモい物を食わせるのか!」と言われて月読命とか素戔嗚命に哀れ殺されてしまったわけである。その遺体のあちこちからは穀物の種が出てきたという説明になっている。月読はそれで天照に絶交されて昼と夜が別れたし、素戔嗚は神やらいにあって高天原から追い出されて(追い出された最中の出来事という説もある)八岐大蛇退治に向かうことになる。

その他の民話などでも打ち出の小槌みたいな魔法の宝物があったとしても有限の慎ましい願いしかしなかった正直爺さんは幸せになり、無限の財産を望んだ欲深爺さんは酷い目にあうという筋書きになっていることがほとんどである。唯一思いつくのが「海はなぜ辛い?」というお話で、塩を出す魔法の臼を見つけた男が誰にも見つからないように船で海に漕ぎ出して船の上でわんさと塩を出させたら塩の重みで船が沈んでしまい、海の底で今も臼が塩を出し続けているから海の水は塩辛いという話であるが、これも主人公の男は船と共に沈んでしまうし、幸せになってはいないし、Wikipediaによるとそもそもこの話は欧州で出されたものが日本に入ってきて日本の話として紹介されたもののようである。

2.キリスト教と現代文明の発展

この(恐らくはキリスト教由来の)西洋の「無限」の感覚が発揮されたことが世界の文明を発展させたことは間違い無いだろう。彼らは例えば大海に漕ぎ出して(彼らにとっては未知の)大陸を発見し、世界を広げたわけだし、その大陸の無限を信じてネイティブアメリカンを追い出してキリスト教の神に認められた「正当な」所有者として植民を続けてフロンティアを西へ西へと動かしていったわけである。

南アメリカでは皇帝をとっ捕まえてその体重と同じだけの金をよこせといった上で領民が差し出した金細工を全部奪った上で皇帝を殺し、帝国を滅亡させて植民地にしたわけである。そのアグレッシブさでは西洋文明は世界でも1、2を争うのでは無いか。

機械文明が勃興してからは内燃機関つまりエンジンを駆使して西洋文明はさらに高みに昇っていったわけである。エンジンの燃料は石油である。日本でも新潟県のあたりで「燃える水」として石油は少量湧出しているが、現代文明を支えるには到底足りず、軍国主義日本は当時の石油の産地である仏印を占領しにいった訳である。それが日米戦の遠因になった。
戦後は中東の砂漠から大量の石油が見つかったため、ただのような値段で石油を利用することができるようになり、モータリゼーションは特に米国で大発展を遂げたのである。豊富な石油を基礎にしたクルマ社会を築き上げた米国の繁栄は永遠に見えた訳である。

残念ながらその発展はOPECが共同して石油の原産を決めたオイルショックによって終了した。石油の値段は上がり、そのため燃費の良い日本車にアドバンテージが出てきた訳である。燃費の良く無いアメリカの車よりも燃費の良い日本社やドイツ車が売れるようになり、一方で現代では地球温暖化ガスの増加による地球の平均気温の上昇が指摘されている。無限に石油を消費できる時代は終わりを告げたのである。

3.ミクロコスモスにおける無限性の幻想

このキリスト教に特徴的な無限性は日本では左派リベラルに受け継がれているのかもしれない。彼らは自分の関心領域であるマイノリティの権利、人権を要求する訳である。

日本では基本的人権は憲法により国民全般に認められている。けれどもそこで引き下がっては商売にならない訳である。火のないところでも無理やり火をつけて燃え広がらせることで利益が出てくる。だからこそ離婚の子連れ別居でもDVの事実などなくても離婚別居親は鬼のDV犯、変質者であると叫ばねばならない。事実などはどうでもいい訳である。シングルマザーの利益のために男は皆モラハラ夫であり、DV夫でなければならぬということである。男はマジョリティであるのだから事実でないくらいのことでDV扱いされたくらいで文句を言うな、そんな暇があれば土下座して養育費をガンガン払うし妻側の弁護士費用も全額持ちますくらいのことを言えばいい訳である。マジョリティなのであるからそんな簡単なことを言えなくては困るのである。

非親権親である別居親の父親は無限の無償の愛を求められているのである。

キリスト教の本場であるヨーロッパの父親達はそういう「無限の無償の愛」に対してハーグ条約を要求し、離婚後共同親権を要求して実現にこぎつけたのだけれど、日本の男達はキリスト教でもないけれどカッコをつけて無償の愛(どうせ払うのは他人である)を了承するのだろうか。

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