女性の地位は

こういうご意見が「意識の高い」女性たちから出てくるのは時々あるけれど、まず、保育園はとにかく増やせるところまで増やしてきたというのが現状であろう。いくら増やそうったって、住宅街に保育園を作ると「子供の声がうるさい」と反対運動が起きるのが日本である。ドイツみたいに「子供の声に文句をつけるな、うるさいのがなんだ」という判決を出すと、左派リベラルは大騒ぎするであろうことは想像に難くない。なぜなら、左派リベラルたちはどちらかというと文句を言う方にシンパシーを感じるであろうからである。

高齢化して既に子育てを終えたか、もしくはおひとり様の左派リベラルたちは本質的には「なぜ自分たちの静かな生活を子供の声、つまり騒音で邪魔されなければならないのか、自分の孫だけは特権的に保育園で保育を受けてほしいが、他の子どもたちは誰もいない荒野にでも放り出してそこで自由に騒げば良いのであって、自分の居住環境からは子供の声は排除してほしい」と言い出すことであろう。

NIMBYの左派リベラルは子育ての公共化などと言うと総論では賛成するだろうが、自分の生活への負荷という各論については反対する人が多いという可能性が高い。彼らにとって保育園は遺体の焼き場などと同じく迷惑施設である。

もう一つの論点はケア労働のアウトソーシングであるが、コストを下げるにはベビーシッターの選別コストを下げると言う方法があった。そうすると、別の場所でわいせつ事件を起こした人がシッターに応募しても気づかれることなく、新たな職場でもわいせつ事件の再犯を起こすことになってしまった。

このことで男性保育士や男性シッターに偏見が強くなった結果、わいせつ事案で懲戒免職になった人については刑の執行後も免許を交付しない、つまり、職業選択の自由を制限するという方向性が強まったわけである。

今のところ、わいせつにより懲戒免職処分になった人はデータベースに記録されることになり、教育委員会による採用時にそのデータベースが参照されることで、場合によっては採用を拒否できると言う方式なので、最初から免許の再取得や採用試験の受験を禁止されているわけではない。ただ、かかる事案をしでかしたものは免許の再取得や採用試験を試みても成功しないよ、という方式なので無駄とは知りながら試みることまでは禁止されていない。そのため、最低限の自由は維持されていると言うことであろう。免許の授与は免許授与機関の判断によって行われるし、採用は教育委員会等の判断である。

まあ、この問題で男性保育士やシッターが偏見の目に晒されたことは由々しきことではあった。多くの男性保育士や男性シッターは誠実に仕事をしているのに、保護者たちからは男性職員の排除の声が上がったわけである。つまり、保育現場は男子禁制にしろという意見が容易に上がって、しかもそのことに批判すらされないのがが今の日本である。もちろん女人禁制は女性差別として糾弾される。

閑話休題、この項の中心はケア労働における安価な外国人労働者の導入についてである。シンガポールなどでは実際にそうなっている。安価な外国人家政婦に家事育児を任せることで女性たちは伸び伸びと働くことができるようになっている。

翻って我が国ではそのような外国人労働者の形態は認められておらず、日本人家政婦であれば女性の給料と同額に近いコストが掛かる。女性の立場からは何のために働いているかわからないことになる。ただ、外国人労働者といっても、ケア労働を行うのは女性が多い。もし、外国人労働者だからといって安価で働かせるとなると、日本人女性の利益のために外国人女性を搾取するということになってしまうのである。

外国に憧れていた女性たちは最初、奴隷主、女主人に憧れていたが、女性が女性を搾取する構造を認めてしまうと自己矛盾が起きるわけである。女性の地位を上げるために女性の地位を貶めることになる。そのことに気づいた女性たちは女性でないものから搾取することを目指したわけである。

つまり、男性に家事育児を押し付けるということである。けれども、男性保育士や男性シッターは中に性犯罪者が混じるという偏見がある。男には権利を認める必要がないので、男子禁制にすることは禁忌ではないが、女性たちにしてみれば「安全な」男を探したいということになる。無料で家事育児を押し付けられる男性という存在は「女性の地位向上」にとって非常に都合が良いわけである。男ならいくら搾取しても女性の地位を貶めることはない。

つまりは夫である。夫は妻にとっては他人であるけれど、子供にとっては他人ではない。つまり比較的安心して任せられるわけである。しかも、雇用関係を結ぶ必要もなく、親として当然の責務ということで家事育児を押し付けることができる可能性がある。

「男女平等ですよね」というキラーワードを使えば男に家事育児労働をロハで押し付けることができるのではないか。ワークライフバランスという美名でくるんであげればおっさんどももだまくらかせそうである。おっさんどもは自分たちも理解者であるというタイトルを得たくて仕方がないわけであるから女性のいうことが少しくらい無理筋であっても美しい言葉に積極的に騙されることで女性問題の理解者というタイトルを得たいわけである。

ワークライフバランス非常に結構。女性の社会進出のためだ。男は家庭でのケア労働を増やせ。女性が輝く社会を目指しましょう。(どこかの男がやれば良いじゃないか。うちの会社の男どもはこき使うけどな)

こういう建前だけのスローガンは日本人が得意とするところなのである。

けれども問題が一つある。子供の育児は待ったなしなのである。既に子育てを終えたおっさんどもは別に日曜日にちょっと料理を作るくらいで「どうだ、家事もやっているぞ」とアピールすれば良いだけと簡単に考えているだろうけれども、育児真っ最中の若い人の家庭ではそんなことでは済まないわけである。

女性の方も性役割分担としての家族を養う男としての夫の収入を維持したまま家事育児の分担を増やして欲しいわけである。例えば若い男が子供の保育園のお迎えのため時短勤務を申し出たらおっさんどもは面食らうことであろう。「時短業務はな、育児中の女性のためのものだ。男がとるもんじゃない。出世コースを諦めて窓際に行きたいのか」という気分になるわけである。

おっさんどもにしてみたら育休を取る男はどこか別の、例えばテレビドラマの主人公などであって現実世界、特に自分の部下ではないのである。そりゃドラマの主人公に憧れるのは良いがドラマの主人公のような行動を取るなら「ドラマと現実は違うんだぞ、それくらい弁えろ」と叫ぶことになるのは必定であろう。

家に帰ると妻は「もう社会はイクメンだよ。育休の申請をすれば良いじゃない。収入はそのままで」くらいのことは言うだろうから若い男たちはもう板挟みにあって逃げ出したくなることは間違いないであろう。

もちろん離婚などしようものなら多くの財産を奪われることは確実であるし、子供の親権はほぼ妻に持っていかれるので、面会交流も拒否されて子供とも会えなくなり、慰謝料として財産を取られた上に養育費を支払い続ける地獄だけが待っているのである。

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