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『川は流れる』は聴く人の「共感」になってくれる曲だと思う



"生きるということは辛くて"


日向坂の楽曲の中で、一番好きな曲の中で歌われている歌詞。
やりきれない虚無感に襲われたときには、いつもこの歌詞が頭の中でリフレインしてしまいます。

ハッピーオーラというイメージからは相反するようなこの言葉は、3rdシングルの通常版に収録されている、『川は流れる』 の中で歌われているものです。


明るい曲が多い日向坂の楽曲の中でも、異質な存在である『川は流れる』。
僕がこの曲のことが好きな理由と、その歌詞の魅力を、拗らせた想い満載で話していきたいと思います。




秋元康先生の作詞性



僕は「歌詞」でその曲を好きになることが多いです。

そして、日向坂の曲の歌詞を語るにはやはり、その作詞を手掛ける秋元康先生について触れなければなりません。


欅坂や日向坂の曲を歌詞に注目して聴いていく中で気づいたのは、秋元先生は「聞き手の共感をよぶ歌詞」 を書くのが上手いということ。
加えて、歌詞がストーリー仕立てになっていることが多いようにも感じました。一曲の中で時間が経過していく、言うなれば、映画的なアプローチです。

以前見たインタビュー記事でも、「映像から歌詞を書くことが多い」というようなことを仰っていたのを読んだのですが、だからでしょうか、秋元先生の作詞した曲を聴くと、小説を呼んでいる時のように、頭の中でイメージした映像を思い浮かべることができます。
そしてそれが、歌詞の世界に入り込んでいくこと、すなわち「共感」に繋がっていると、僕は思います。


また、その「映像を思い浮かべること」が容易にできる理由の一つに、歌詞の中で多く見られる具体的な風景の描写 があります。


・信号は青なのかそれとも緑なのかどっちなんだ? あやふやなものははっきりさせたい 夕暮れ時の商店街の雑踏を通り抜けるのが面倒で踏切を渡って遠回りして帰る / 『黒い羊』
・道路の工事で渋滞し始めたいつもの246
もうすぐ春が来ると教えてくれてるみたいで… / 『まさか 偶然...』
・古い石段上り切ったら油蝉が一斉に鳴く鬱蒼とした山の神社で待ち合わせしたあの夏の日 / 『好きということは...』


上で挙げたのは一例ですが、このように曲の冒頭で、場所、様子、時間帯、天気、季節、といったような風景の具体的な描写が歌われるので、一瞬で頭の中に景色が広がり、歌詞の世界に引き込まれてしまいます。
もちろん冒頭以外であったり、ワンワードの時もありますが、どれも歌詞を映像化する上で大事な効果であるのは間違いありません。

そしてさらに、その描写が実体験に近いものであったり、イメージが鮮明であればあるほど、その歌詞に「共感」することができるのです。


さて、ここまで述べてきた「頭の中に浮かぶ風景への共感」こそが、僕が『川は流れる』を好きな一番の理由なのですが、それでは、『川は流れる』の中ではどのような風景が描写されているのでしょうか。





人生という時間の流れ



『川は流れる』歌詞↓

川は流れる
空を映して…
季節の花も…
あの夕立も…
川は流れる
落ちた枯葉も…
止まない雪も…
川は流れる
ああ 些細なことで悩まないで
地球は回ってるんだ
とてつもない速さで変わってく(この世界)
ああ 今日のしあわせもふしあわせも
どこかに消えるのか
いつの日にかそんなこともあったと(想うだけ)
森羅万象すべて一瞬だ
この身を任せ生きよう
*川に流れる
光と影よ
頬の涙も…
誰かの声も
川に流れる
思い出し笑いも
あの独り言も…
川に流れる*
ああ 掌(てのひら)で堰き止めようが
時代は移り変わってく
深い底に何を残すのだろう?(その記憶)
ああ 生きるということは辛くて
苦しいものだけど
どうせいつか消えてなくなるんだ(泡のように)
どこを目指しているのか?
要らないものは沈む
春夏秋冬って ただ ずっと繰り返しながら
決められた運命を 僕たちはただ流されて行く
自然には勝てないよ 成り行き次第ってことさ
*繰り返し*
春の光に心を弾ませて
夏の太陽に情熱覚えて
秋の静けさに物思いに更け
冬の絶望にやがて立ち上がり
僕たちは何度 夢見れば気が済む?
仮に友の名を呼んでみたところで
辺りはとっくに 人影も消えて
いつしか人生を終えているんだ
「それでも」と
僕は思う
生きていきたい
死にたくない
命は確かに
叫んでいるんだ
川は流れる


歌詞を見ると、明確な風景の描写は少ないように思えますが、やはり注目して欲しいのは冒頭部分、


川は流れる
空を映して…
季節の花も…
あの夕立も…
川は流れる
落ちた枯葉も…
止まない雪も…
川は流れる


実はここでは、先程まで述べてきたような具体的な風景ではなく、一言で表せられるような 抽象的な風景の描写 がされています。


抽象的な風景では、具体的な風景とは違い、一度で映像をイメージをすることは難しいです。しかし、『川は流れる』という曲においては、この抽象的な風景の描写こそが、一番の効果をもたらすものとなっています。


なぜなら、『川は流れる』は

人の生きる時の流れ、"人生"を歌った曲

だからです。


一度聴いただけでは、確かに風景をイメージすることはできません。しかし、何度も聴いていくうちに一つ一つの抽象的な事象が、過去の記憶、自らの人生と結びつき、具体的な景色へと形を変え、色を付けていきます。

例えば、「空」という言葉から、仲間達との楽しかった熱い青春の日々を思い出したり、「落ちた枯葉」という言葉から、肌寒い日の一人寂しい帰り道を思い出す、といったように。


「鮮明に」とはいかないかも知れませんが、そのようにして頭の中に広がっていく淡い景色には、誰もが一番の「共感」を得ることができるでしょう。
なんと言ってもそれは、自分自信が実際に体験した記憶の中の景色なのだから。

だからこそ、この曲には抽象的な描写が良かったのです。誰もが自分だけのオリジナルの風景を思い浮かべられるように。


そして、歌の終わりに近づくにつれその描写は具体的になっていき、記憶の奥深くに眠っていた幾つもの思い出を蘇らせていきます。


川に流れる
光と影よ
頬の涙も…
誰かの声も
川に流れる
思い出し笑いも
あの独り言も…
川に流れる
春の光に心を弾ませて
夏の太陽に情熱覚えて
秋の静けさに物思いに更け
冬の絶望にやがて立ち上がり


歌われる描写も、懐かしさや寂寥感が漂いながら、それでいて少し悲しくもあるようなものが続きます。
そして、それらの感情に付随する様々な思い出が浮かび上がっていき、春夏秋冬の移り変わりが歌われる中で、今までの記憶が走馬灯のように駆け巡っていくのです。


『川は流れる』においての「僕」は自分自身で、そこで歌われる物語は「自分自身の人生」なのだと思います。


だからこそ、誰にとってもこの曲は、自分の大切な記憶を歌った、かけがえのない曲になり得るはずです。

それが『川は流れる』の最大の魅力なのです。



私的に、この曲を聴くとちょっと涙が出そうになるんです。走馬灯のように色々よみがえる感じ。そういう音が沢山入ってるなって思います。 / 富田鈴花公式ブログ 【「こんなに好きになっちゃっていいの?」全曲聞きどころ! 】より
おすずの言う通り。僕も涙が出そうになります。



.........が、曲はまだ終わっていません。
思い出された記憶と共に、歌は最後の言葉へと続いていきます。そしてそこに、僕が『川は流れる』が好きなもう1つの理由があります。





「諦め」を歌った曲



僕が『川は流れる』が好きなもう1つの理由、それは日向坂の楽曲の中でも唯一、「諦め」を歌っている曲だと思うからです。


そのことは、2番の歌詞からも読み取ることが出来ます。
「人生という大きな時間の流れにただ流されていくしかない」、そういった諦めの思いが聴き取れるはずです。

ああ 掌(てのひら)で堰き止めようが
時代は移り変わってく
深い底に何を残すのだろう?(その記憶)
ああ 生きるということは辛くて
苦しいものだけど
どうせいつか消えてなくなるんだ(泡のように)
どこを目指しているのか?
要らないものは沈む
春夏秋冬って ただ ずっと繰り返しながら
決められた運命を 僕たちはただ流されて行く
自然には勝てないよ 成り行き次第ってことさ



僕は、自分で言うのもなんですが、気持ちの浮き沈みが激しい性格です。なので、それこそ「生きるって辛いな」って思うことも結構あります。

そういう時って、どんなにポジティブに考えようと思っても、気分が上がらないし、マイナスなことしか考えれなくなるじゃないですか。
そして、そんな時に聴きたくなるのって、背中を押してくれるような「励まし」の曲じゃなくて、例えるならば、一緒に落ち込んでくれるような、「諦め」の曲だったりしないでしょうか。

失恋した時に失恋ソングばっかり聴きたくなるような感覚と似ていると思います。


沈んだ心を無理に元気づけようとするのではなく、気持ちに寄り添って、一緒に悲しんでくれる。『川は流れる』という曲は、そんな曲なんです。


また、人生に諦めたくなる時って、必ずと言っていいほど未来への不安が付き纏って来ると思います。それは、曲の中でも「どこを目指しているのか?」という歌詞で歌われています。

そして、未来に希望が見えない時、人は過去の思い出に逃げてしまいたくなるものだと思うんです。
だから、風景の描写も過去の記憶に結びつくようなものが多くなっていたのです。



人生からの諦めと未来への不安、そして過去への逃避によって思い出された記憶の数々、それらの様々な感情が渦巻く中で、曲は終わりへと向かいます。
そこで歌われるのは、自分自身への問いかけです。


僕たちは何度 夢見れば気が済む?
仮に友の名を呼んでみたところで
辺りはとっくに 人影も消えて
いつしか人生を終えているんだ


「夢」というのは過去の記憶のことでしょう。それは今ではもう体験することの出来ない、まさしく眠っている時にみる夢のようなものです。
何度思い返しても、それは現実にはなりません。

それでもそんな夢を追い求め続けるうちに、自分だけが過去に取り残され、そのまま「人生を終えて」しまうのかもしれない。

そんなことを思いながら、諦めと不安に満たされた僕の感情は、ここで一番深い所まで沈みこみます。そして、胸が締め付けられるような気持ちの中で、曲はセリフにより、文字通り最後の言葉を紡ぎます。


「それでも」と
僕は思う
生きていきたい
死にたくない
命は確かに
叫んでいるんだ
川は流れる


この時にはもう、歌詞の「僕」は完全に自分自身と同化しています。

深い諦めの中で、僕自身の本当の声、「命」が叫ぶように訴えます。


「それでも」と、それでも僕は、生きていきたいんだと。死にたくないんだと。


その言葉は、暗闇の中に出来た一縷の日向のように、僕を諦めの淵から掬い上げます。

そしてその光を頼りに、また僕は、川の流れに、人生という時間の流れに、身を投じていくのです。






終わりに



日向坂の曲の多くは僕達にハッピーオーラを届けてくれますが、本当に辛くなった時にこそ、『川は流れる』のことを思い出して、聴いて欲しいと思います。きっとあなたの傷ついた心に、この曲は寄り添ってくれるはずです。


「私はみんなの『共感』になりたい。メンバーみんなの過去に抱え込んだ感情や、これから未来に感じていく感情の全てを、分かち合い、共感したい。」


『ひなたのほうへ』で語られた、宮田愛萌による言葉です。『川は流れる』という曲も、聴く人にとっての「共感」となってくれる曲なのではないかなと、僕は思います。



さて、歌詞については書き尽くしましたが、もちろんパフォーマンスも大好きです。
「ひなくり2019」で披露されましたが、欅坂のような「世界観を表現するダンス」で日向坂の中では珍しいですし、カノンや、ステージを広く使った動き、ライト付きの衣装も合っていました。
そしてやはり、ラストのセリフは生歌に限りますね。小坂菜緒、加藤史帆、齊藤京子、佐々木美玲、金村美玖、渡邉美穂という演技派リレー。特に、齊藤京子による力強い低音ボイスでの"生きていきたい"からの、佐々木美玲による切なく悲しい"死にたくない"、ここのギャップで毎回鳥肌がたってしまいます。

これからのライブでも、ぜひ披露してもらえることを期待しています。
(今のところ日向坂になってからの全員歌唱曲の中で、唯一MVが無いという不遇ポジだけど頑張って欲しい)



そんなわけで、最後まで読んでくださりありがとうございました。

またここで述べたのは、あくまで僕自身の解釈なので、他にも色々な解釈はあります。
なので聴き方の一つとして、楽しんで貰えたら幸いです。

今回は想いをテキストに起こすのに苦労しましたが、あまり注目されることも少ない(気がする)『川は流れる』の魅力を、おひさまの皆さんに伝えたいと思って書きました。

そして願わくばこの曲が、誰かの大切な一曲になってくれたら嬉しいなと思います。


それでは。



なんか後半にかけて重くなってしまいましたが、もちろん明るい曲も大好きです!!!キツネ最高!!!!

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