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沖縄(琉球)のお墓について(Ⅳ)

 沖縄(琉球)の墓について色々と考えている。沖縄本土は本州と比較して土地が極めて少ない。当然人口も少ないし大きな家もない。しかし何故か墓だけは大きい。土地が狭いにも関わらず、生きている人間のためでなく、また生産性がある訳でもない墓に、巨大な土地と経済力を注いでいる。何か思い当たる節はないか?そう、本州に古墳が造られた時代である。

発掘調査された近世墓群(米軍キャンプ地内)

 近年の沖縄は開発ラッシュだ。沖縄の中心都市那覇市はもとより、隣接する浦添(うらそえ)市、普天間基地で名高い宜野湾(ぎのわん)市など、高層マンションや土地区画整理事業での開発、大型病院の建設など本州顔負けの勢いである。開発は掘ることが前提である。平坦地を地下深く掘り下げること、また丘陵地の岩盤を削り平坦地にすること等、考えるだけでも騒音や粉塵まみれな現場が想像される。単に岩盤を掘るだけであれば工事はスムーズに終わるのだが、そう簡単には行かない。つまり何かに当たってしまう。遺跡である。中でも多いのが人の墓だ!。

掘込墓といわれる形式の墓

 人は死ぬと亡骸になる。死んだ本人はどうなっているか分からない。生き残った関係者(親族を含む)が何らかの儀式をして、その亡骸を葬ろうとする。この行為は動物といわれるものでは人間だけである。人間に最も近いチンパンジーですら身近なものが死んだ際には、ある程度の驚き?はあるそうだが、葬る行動までには至らない。つまり墓は人間が後世に残そうとした(意図的な)痕跡である。話を戻そう。つまり開発行為で発見される墓の確率は極めて高い。とりわけ沖縄県は丘陵地についての開発での発見率は跳ね上がる。しかも墓の数は1基、2基ではない、数十~数百基余りに及ぶ、まさに墓群である。沖縄の場合、墓1基に1名(角柱の墓石に○○○○の墓と彫りこまれた本州や他地域の墓)というものは無く、1基に何十人という親族墓(門中墓)が一般的だ。つまり追葬ありき!なのである。そして何といっても規模が大きい。

発掘調査された亀甲墓

 ここで、具体的に例を示そう。
①開発で墓が発見されることが多い。
②高い山の無い沖縄の丘陵地は、墓地に利用されていることが多い。
③米軍キャンプ地内の丘陵では、多くの墓が破壊された。
近年、一般的には余り知られていないが、③の事例が多いそうだ。特に亀甲墓は元々は外面が漆喰で塗られており、真っ白な要塞に見えた様で、沖縄戦では武器庫か軍事施設と見間違いされたという逸話もある。また防空壕替わりに利用したという悲惨な話も避けて通れない。つまり大戦以前の沖縄の丘陵地は白亜の亀甲墓群が一望できたのである。米軍は終戦後の1950年代に各墓主に改葬広告を発令し、墓室内にある大量の厨子甕に入ったお骨を改葬させた。その後、墓群を徹底的に破壊し埋め戻している。その生々しい痕跡がわかるのは発掘調査途中のみである。作業中に偶然不発弾が発見され思わず後退りする状況は枚挙に暇がない。古墳が後世、開発によって破壊されたように、沖縄の亀甲墓に代表される墓群も同じ道を歩んでいる。


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