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鬼哭館の殺人事件:パッケージ作品の最高峰

すべてのエンターテイメントが目指すところは、すべての人に最高の体験を提供することです。
マーダーミステリーは競合を内包しているためにこれを実現するのは難しいのですが、「鬼哭館の殺人事件」はそれを達成しようとする気概を感じますし、実際にそれに成功できるような高い水準でマーダーミステリーの各要素が仕上がっています。

体験といえば前稿でプレイヤー体験の濃淡を取り上げたばかりですが、本作ではプレイヤー体験の濃淡が均されていて、どのキャラクターでプレイしたとしても高い満足感を得ることができます。
なぜ濃淡が生まれるかというと疎外感を感じるからです。そしてなぜ疎外感を感じるかというと事件に関われないからです。
被害者や犯人の関係者といっても数に限界があって、6人や7人の相関図が入り乱れるというのは相当に複雑です。犯行にかかわるとしても、犯行時間に関連できるのは3~4人程度でしょう。
ではどうすべきかという解決策はいろいろありますが、「鬼哭館の殺人事件」でもきちんと答えを出しています。

プレイヤー体験の濃淡、つまりナラティブやキャラクターの没入感はマーダーミステリーの重要な要素ではあるものの、部分でしかありません。
マーダーミステリーでは構造的にゼロ和になりがちな要素がいくつかありますが、これは万人に最高の体験を味わってもらうという観点では障害になります。
ゼロ和では利得を得る人がいたら損失を被る人も必ず存在します。もちろんゲーム上の損失が体験の損失と同義ではありませんが、ネガティブな体験は無いに越したことはありません。
本作に限らず名作と評されるマーダーミステリーは非ゼロ和になる創意工夫が為されていますが、それは「鬼哭館の殺人事件」も同じです。
しかも非ゼロ和の工夫がほかの要素とも有機的に結びついて、ゲームの質を高めるシナジーを生み出しています。

プレイヤー体験を大事にしようとする姿勢は随所に見られます。
ゲームの世界、そして登場人物にプレイヤーが没入できるように緩やかにアダージョで幕を開けます。
ほとんどのマーダーミステリーは配役決定後にキャラクター設定の読み込み、ルール説明と詰め込み気味でゲームが開始されます。本編である会話や調査に早く入るためには駆け足もやむを得ないところではありますが、プレイヤーが作品に没入できるかどうかという大事な時間でもあります。
「鬼哭館の殺人事件」では序盤が丁寧に作られているだけでなく、キャラクター設定の説明文の質も高く、世界観を大切にしていることが伝わってきます。

惜しむらくは誤字脱字が目に余ることです。
ほかの要素の質が高いだけに悪目立ちしますし、没入感の妨げになります。
本作に限らず、マーダーミステリー全般で校正が軽んじられる傾向にあります。犯人探しや没入感を高める方が確かに大事ではあるものの、誤字脱字のチェックはマーダーミステリーを知らない人にでも頼めます。
マーダーミステリーは文章で伝えるゲームなので、言葉はもっと大切にすべきです。

もう1つはオンライン版の出来で、これは正直言って手抜きです。
キャラクター設定は印刷用の文章をPDF化しただけ、ユドナリウムもカードが重なっていたり、余計な情報が残っていたりと質が高いとはいえません。
印刷用原稿をそのままデータ化すること自体が悪いわけではありません。しかし本作ではただデータ化しただけではまずい箇所があるにも関わらず、オンライン版向けに修正されていません。
オンライン版はユドナリウムもキャラクター設定も何かとプレイに不便な箇所があるため、パッケージ版での体験より劣ってしまうのは否めません。

とはいえ犯人探し、論理的な推理、個人目標の追及、物語の没入感とマーダーミステリーのすべての要素が高い水準を保っていることは間違いありません。
パッケージで発売されているマーダーミステリー作品の中では最高峰になります。

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