ヘレディタリーを見た(n回目)。

総評。不条理。でも大好き。

宗教がらみの何かしらを耳にするたびに、何故祈るのに徒党を組むのだろうと疑問に思う。
正直、本気で祈るなら1人で良いと思う。

他の信者は蹴落とすくらいの気持ちで1人で祈った方が神仏からはあいつ信心深い!最高!と言った感じで、よりフォーカスされるのではないかと思ってしまう。
そもそも捧げ物をする義務がどこにあるのか正直わからない。そういうのは気持ちなので強要することもノルマを課すことも絶対に違うと思うけどこれ以上言うのはやめとく。

何を信じるかは自分で決めるし、人の数だけ信じる神仏がいると思う。または信じたい神仏。

そして行き過ぎた崇拝は、時に人を不条理に殺す。
ヘレディタリーはそんな話。

アリアスターは、人間の破滅を描くのが上手すぎる。

どんな人生送ってきたらこんな作品が出来るのかと思う。ミッドサマー然り、ジョンソン家の奇妙な出来事を見てもそう思う。

主役のグラハム一家は初見時、一般家庭よりも富裕層な印象である。森を背にして建つ大きな家と、子供用の遊び小屋。大きな犬に、車。何不自由のない生活を送っているように見える。

ミニチュア作家の妻。学者の夫。年相応に好奇心に溢れる長男。そして不思議ちゃんな長女。これがヘレディタリーでなければ、アットホームコメディでも一作作れそうな構成の家族である。だが、アリアスターはそれを許さない。

なんというかとばっちりを一身に受けた家族だったと思う。

悪魔崇拝に傾倒した祖母エレンによる死後発動する儀式が降り注いだ事によって、グラハム家はじわじわと壊されていくのだ。
墓地送りのトラップカードが発動が一番だるい。
遊戯王でも特に。

後出しジャンケンに勝てる要素は無い。
ひたすら負け続けるだけ。

兄に先立たれ(彼の死因もエレン絡み。どうしようもない。)宗教に傾倒しその後、認知症を発症した上に餓死するという壮絶な死に方をするまでエレンの介護を続けたアニーに同情せざるを得ない。
「仲は悪かったが愛していた」と漏らす彼女を見た時は思わず唸った。
そもそも親子仲が悪いというのは最早虐待だと思う。
そんな母親という楔が消えてもなお、止まない不安を抱えながら生きていこうとする彼女を阻むのは、やはり母親なのだ。
何故なら前述の通り祖母の死後トラップによって、家族は内側からじわじわと壊れていくからである。

祖母の遺品の中にあるアニーへの手紙にはこう書かれている。
「失うことを恐れないで。犠牲は繁栄のためにある」
彼女を気遣うような文かと思いきや、不穏を凝縮したメッセージ。案の定アニーはすぐさまそれを仕舞い、生前エレンが使っていた部屋に鍵をかける始末である。
視聴後の今、このメッセージを見ると。どう考えてもエレンにとって家族は儀式の材料でしかなかったんだなと感じてしまう。胸糞悪い。

話が進むにつれて祖母と母親だけでなく、息子・娘とも確執が生まれるというのはあまりにも皮肉すぎる。
(尚、かわいそうなのは親父である。本当に不憫でならない。1番の被害者。)
そして不仲という理由だけでは、取り返しのつかない事態に発展していくのだが、ネタバレ的なものはあまり書かないようにする。

まあ、神だろうか仏だろうが悪魔だろうが偶像だろうが。

何を信じてもその人の勝手だけど、巻き込まれるのだけは勘弁だなと思う映画である。

ちなみにアリアスターは、次回作はコメディーを作ると宣言している。

絶対嘘じゃん。おわり



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