見出し画像

歴史はお好き?〜暗記もんって捉えるのやめようよ〜

かつて巷でムーブメントを巻き起こした「歴女」たち。
歴史マニアは昔からある一定数居る一方、何が彼女たちの心を動かしたのか。
それを考察していくことで現代における問題や、はたまたビジネスにおける課題の解決法を見出してくれる機会になり得るのではないか。
もともと歴史が好きな僕が考える歴史学とビジネスの共通点から何かヒントを見出せればと思う。

歴史学と聞くと・・・

今も昔も変わらない普遍的な事実・・
「歴史は嫌い。だって暗記するの嫌だし。」
圧倒的No.1を誇り続けている歴史嫌い理由だ。僕も周りから良く聞く。
人の好みなので強制するつもりは一切ないが、
ここからはいかに歴史が面白いか、学ぶメリットがあるか、現代とどう繋がるのか等を書き連ねるので、抵抗がある方にはご遠慮いただければと思う。

歴史学とは

「歴史とは、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。」
イギリスの歴史学者E・H・カーの有名な言葉だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/E%E3%83%BBH%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC
僕は幸い?15歳の頃にこの言葉と出会った。
今も完璧に理解しているかと聞かれると困るが、歴史って面白いと思えるきっかけになったのは間違いない。
何が言いたいのだろう。
僕は、歴史上の人物あるいは出来事に対して、
「何でそんなことしたの?」「どういう想いでその経緯に至ったの?」「何でそんな大事件に発展したの?」など、
その人の想いや価値観、時代的背景や致し方ない理由など、多角的に物事を捉えて「何でなの?」という問いを投げかける、そしてその問いを調べて読み解いていく。これが歴史学だと認識している。

本能寺の変からみる現代社会との共通点

画像1

ここで一例を紹介する。
歴史嫌いな方でもおそらく知っているであろう「本能寺の変」。
どういう出来事だったかというと、
「明智光秀が主君である織田信長を討った」
まぁこの一言で説明はつく。
ただ、この出来事がいかに異常でセンセーショナルなことだったのかを考えてみたことはあるだろうか。
シンプルに現代に言い換えてみると、
所属している組織あるいは会社のトップを殺すという行為である。
恐ろしや。
自分を登用してもらい恩恵も受けていた主君を殺す。
そこまでに至ったのにはきっと光秀にしか分からない壮絶な苦悩や憎しみが込められていたに違いない。
・・対話し始めている。

共通点の前におさらい

専門家ではないので、
あくまで自分の理解と認識の範囲内で本能寺の変を読み解く。

スクリーンショット 2020-03-17 9.55.00

これが当時を理解するには分かりやすい構図。
(家康の旅行中て何や笑)
彼はまだこの当時頭角を現していない。後にたぬきと言われる所以か。
家康のことは置いといて、、
光秀はとにかく秀才で主君である信長に心底忠誠を尽くしていたという。
破竹の勢いで自分の地位を確立していっていた。
そんな中頭角を現してきていたのが猿。後に天下統一を成し遂げる豊臣秀吉だ。
一介の農家の子供が朝廷から関白という地位を与えられるまでに出世したおそらく歴史上一番の出世頭だろう。
自分の欲のためには何でもやるというのが秀吉だ。
機転が利くという言い方もできる。
寒い冬場に信長の草履を懐で暖めていたというのはあまりに有名なエピソードだ。
とにかく秀吉の勢いはとどまることを知らず信長の信頼をとことんまで上げていった。
もともと秀才で重宝されていた光秀はこの時どんな気持ちだったのだろう。
それでもまだ光秀への信頼は厚かった?信長は今の四国を治めている長宗我部氏との同盟を目論み、その大役を光秀に命じる。
(このあたりから上記の図を見ながら読んでいただきたい)
「こんな大役を某に任せていただけるとは。やはり自分は信長様の一番の家臣だ。」
こんなことを言ったかは知らないが少なくともそんなことを思ったであろう。
一方秀吉には中国地方を治めている毛利氏の討伐を命じる。
どちらの方が功績が大きい任務か。
賛否あるだろうがここは光秀の任務の方が功績は大きいと思う。
いくら秀吉といえど毛利はそんなにやわじゃない。ちょっと弱らせるぐらいできたら御の字ぐらいに思っていたはず。
再び信長に認められる大役を任せられた光秀。プレッシャーは相当なものだっただろうが、それ以上に燃えていたのは間違いない。
そんな中光秀はその大役を見事にそして華麗にやり遂げる。

鳴かぬなら殺してしまえホトトギス

意気揚々と京への帰路につく最中事件は起こった。
光秀が断腸の思いで取りまとめた同盟を信長が自ら破ったのである。
信長の戦略はこうだ。
一旦同盟を結んで油断をしている隙に一気に叩いてしまおうというもの。
さらにそこから勢力を拡大していき、毛利、さらには島津まで叩いてしまおうというものだ。
光秀への命令はあくまでその先の天下統一を見据えた計画でしかなかったのである。そして実の大役はやはり秀吉のほうだったのだ。

敵は本能寺にあり

有名な言葉だ。実はこんなこと言ってないらしいが。
光秀の心中を察する。
もともとエリート上がりで信長の一番の家臣であるはずだった自分が、
農民出身の猿に超された・・?
久方ぶりの大役を死ぬ思いでやり遂げたのは何だったのか?
同盟を持ちかけた自分の立場はどうなる?
信長様は自分のことを単なる駒としてしか見ていなかったのか?
武力、知力、統率力、全てにおいて優っていたはずの自分があんな猿以下だというのか?
無力さはやがて怒りへ変わりそして憎しみへと変貌を遂げる。

「死んでいただきたく候」

現代との共通点

この出来事をどう捉えるかは、誰目線で、どの角度で見るかによって変わってくるが、
単に「明智光秀が主君である織田信長を討った」という事実だけを捉えると正直何も学べない。
どういう背景で、どういう想いでそれが起きたのか。それを知ろうとすることで現代に活かせるものがあるということを伝えたい。

・光秀の立場
プロパーで身を粉にしながら会社の発展のためにと頑張る。しかしなかなかそれが評価されない。
・光秀の想い
会社のためにという大義名分のもと精進しているが、
それは実は言い訳の材料であって、会社に依存しているだけではないのか。
・秀吉との関係性
競争相手がいることに越したことはない。
ただ自分が本当になりたい姿、成し遂げたいことを一番にすると、
相手の行動なんて気にならないのではないか。
ライバルが急にいなくなったら、じゃぁ頑張れないのか。
・信長との関係性
会社のトップであることには違いないが、いつまでも言いなりになっていていいのか。
自分の本当の大義名分は何なのか。従うだけが忠誠ではない。
・信長の想い
自らの一貫した想いは貫いたが、それが部下へ伝わっていたのか。
組織編成は妥当だったのか。


他にも捉え方次第ではいくつも学べることは多い。
それこそが「歴史学」というものであると強く思う。

後記

いかがだっただろうか。
歴女の話はどこにいったの?というのは受け付けない。ここから読み取ってほしい。

かなり主観的になってしまったが、ここから何かヒントなるものを見つけていただければそれが僕の大義名分となり得る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?