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声楽タイムズ第18回「バリトンとバスの声種について」

この note では「声楽タイムズ」と題しまして、声楽コラムや声楽曲の紹介、発声文献や本の紹介など、日本声楽家協会研究所会員の執筆した様々な角度からの声楽にまつわる記事を掲載します。
今回は日本声楽家協会研究所会員のテノール歌手、渡辺正親さんに英語の声楽文献の紹介を書いていただきました。
この記事では、リチャード・ミラーの著書「国ごとの歌唱スタイル(National schools of singing)」の内容の中から取り上げております。

渡辺宣材写真

渡辺正親 テノール
都留文科大学、東京藝術大学卒業。ニューヨークIVAI修了。日本声楽家協会研究所会員。新国立劇場合唱団契約メンバー。洗足音楽大学演奏補助要員。ベルカントアトリエ講師。

「バリトンとバスの声種について」

皆様こんにちは。声楽家オペラ歌手の渡辺正親です。前回の私の記事ではR.ミラーの「国ごとの歌唱スタイルの違い(National school of singing)」からテノールの声種を紹介しました。
さて今回は同じ本からバリトンとバスについて簡潔に紹介していきたいと思います。それでは参りましょう。


まえがき

歌声というのは首や胸の構造(大きさや形)などで決まってきます。特にバス系の低声の喉頭は長く、薄い首の中に組み込まれています。それに対してテノールは首が短くて厚いことが多いようです。体型もテノールは胴体がコンパクトな人が多く、バスはより平らな胸を持ってることが多いです。
叙情的なリリックバリトンと重たい声のテノールの首の形や体型はよく似ていることが多いのですが、この2つの声は国によって声種が変わる傾向にあります。
例えばフランスではリリックバリトン(あるいはバリトンマルタン)として活動している歌手がイタリアに行くとスピントテノールと言われる可能性があるということです。さてそれでは国ごとにバリトンとバスの声種を見ていきましょう。

フランス

フランスにおいてはリリックバリトンが重要な位置にいます。しかしフランスにおける多くのバリトンはテノールのようにも聞こえます。何故ならば高音のF#、Gまで短く出せるためです。このような声のバリトンはイタリアではスピントテノールになる可能性が高いです。
しかしフランスにおいては、例えばフォーレの歌曲にしても少し音域が高い傾向にありイタリアやドイツ式で訓練したバリトンには少し苦しい音域であることが多いです。そのため上記のような現象が起こるのでしょう。
この点はフランステノールにも同じことが言えます。フランスにおいてはテノールもバリトンも声区転換のために使われる技術(カヴァー)などを避ける傾向にあります。そのため軽い声が増える傾向にはあるようです。
フランスのバスは早いビブラートが特徴で明るくフレッシュな声をしています。しかし低音をこの音色でよりエネルギーを出して歌うのは難しい傾向にあります。
フランス式で学んだバスやバリトンはオペラで求められるようなドラマチックなパワーを出すことができません。  
まとめ
・声区転換の概念はなく、自然な声
・そのため明るくフレッシュな音色
・早い速度のビブラート
・バス、バリトン共にオペラに不向きではあるが、特にバリトンはフランス歌曲に適している。 


ドイツ

ドイツでは咽頭を広げ、喉頭を低くして圧力をかけ、時にデックング(ドイツ式の声のカバー)をするドイツのスタイルが強く影響しています。
ドイツのバスはリッチで暗い音色のシリアスなバス(seriöser Bass)、重々しく荘厳な黒いバス(Ein schwarzer Bass)が重要とされています。
声の特徴として、第2パッサージョから上の高音域は揺れたりストレートでぼやけた声になる傾向にあります。また、ビブラートの速度は遅いですが、暖かくて丸みのある音が特徴です。

さらにシュピールバス(Spielbass)やバッソ・ブッフォ(Bass-buffo)という声種もドイツにはあります。シュピールバスの方がバッソ・ブッフォよりも実用的だと評価される傾向にあるようです。

バスに対してバリトンの声種はまず、純粋なリリックバリトン(Der rein lyrische Bariton)があります。イタリア系のレパートリーをメインとしています。
また、キャラクターバリトン(Charakter Bariton)ないしシュピールバリトン(Spielbariton)という声種もあります。高い演技のスキルも求められる声種になります。歌う役者と言ったところでしょうか。
そして最後にヘルデンバリトン(Heldenbariton)という声種があります。これはワーグナーなどを歌うバリトンです。しかしドイツ式のテクニックによる発声上の問題も抱えやすい声でもあります。過度なデックング(声のカヴァー)により高音域に問題が起こりやすいです。

以上がドイツにおけるバスとバリトンの声種になります。しかしドイツでもオペラ劇場ではイタリアで訓練したバスやバリトンが歌っており、国際化が進んでいます。

まとめ
・ビブラートが遅め
・暗くて丸い声ないし暖かくて丸い声
・圧力をかけた低喉頭、広げた咽頭、デックングが特徴
・ブッフォ系の声は演技力も求められるため歌う俳優というような立ち位置

イタリア

テノールと同じように明瞭で輝かしい声がバリトンとバスにも影響しています。
イタリア式の訓練を積んだバリトンリリコ(baritono lirico)はテノールスピント(tenore spinto)と声の輝きが似ています。このような声はドイツにおいては軽く明るすぎると評価される可能性が高いです。しかしイタリアのバリトンリリコは高音域もスムーズに出すことができます。G、hiAまで出せる人も多いのが特徴です。
更に低い声種のバリトンドラマティコ(baritono drammatico)とバッソカンタンテ(basso cantante)の音色はパッサージョ(声区転換)が低い音で起こったときより暗くなります。フランス式と同じようにイタリアのバス歌手は直接的で焦点の合った音色を保持することが良いとされています。
そのためドイツにおけるシリアスなバス(seriöser Bass)のような遅くて重々しいビブラートは有害であるとされています。

まとめ
・明瞭で輝かしい声
・高音域もスムーズに出せる
・バスはパッサージョで音色が暗くなるが声の焦点の合った音色は保持される
・遅くて重いビブラートは有害であると考えられている

イギリス

イギリス式ではオペラとオペラ以外の分野でテクニックを分けるべきだと指摘されているため、声にも違いがあります。

イギリスのバリトンの文化的存在感はフランスやドイツ程ありません。またイギリスのテノールやバスほどの特別感もないと考えられています。そのためイタリアバリトンのアプローチをする必要があるとされています。
なお、一般的なオラトリオのレパートリーはバス向きでリリックなバリトン向きなものは少ないため、厳粛なトーンを出すことができないと考えられています。

オペラの分野ではイギリス式のバリトン、バスの理想はイタリア式の音色と考えられています。
しかし彼らの音色はイギリス文化特有の清らかさが加わりイタリア式とは少し異なっています。
このためドイツ式ほど厚くなく、フランス式ほど明るくビブラートが多いわけでもない声になっています。

イギリス式のオラトリオを歌うバスの低い声は他の国々にないものです。他の国の人々の耳にはバスの声が鈍い警笛、もしくは低くやじる声(ブーブーという音)のように聞こえるかもしれないそうです。ミラーは機能的観点からいうとこの声に高い評価はつかないと書いています。

まとめ
・オラトリオとオペラで技術の二分割が起こっているためそれぞれ声が異なる。
・バリトンはイタリア式の声を目指すが、清らかさが加わるためにイギリス式とイタリア式の一種の融合が起こる(オペラを歌うバスも同様)。
・オラトリオを歌うバスは低い声の音色が他の国にはない音色をしている。

いかがだったでしょうか。R.ミラーの「National Schools of Singing」はもう40年近く前の文献にはなりますが、今の声楽界においても参考になることが多く書かれている名著ですし、まだ情報が少なかった当時にこの文献が書かれたのは驚くべきことだと思います。
参考にして頂けましたら幸いです。また記事を更新していきますのでよろしくお願い致します。