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留学先で所持金が84円になった時の話

みんなの周りにも1人はいると思う、突然海外に留学に行き出すやつ。そもそもの話なぜ、突然留学に行き出すやつがいるのか。簡単な話3パターンに分けられる。
「本格的に英語を覚えて資格を取るために行くやつ」これが大体5割くらい
「大学の単位を取り終えて就職までの時間が有り余ってるから留学を経験してみたいやつ」これがまぁ3割くらい
「海外に行くことによって何か自分を変えられると思っているやつ」このバカみたいなのが2割くらい。大体こーゆーやつはどこに行っても変わらない。俺自身もこれだった。
 そんな"マインドだけ修行僧"の奴が規律正しい留学生活を送れるわけもなく、留学先のマルタに着いてからというもの、同じような修行僧の仲間を集めて、英単語の一つも覚えず、カジノや酒、ほぼほぼ脱法のパーティーに毎晩金を使いまくり、日本で貯めてきた留学資金の200万を4ヶ月で残り82円まで使い切った。
82円。嘘みたいな数字に冷めた読者もいるだろうが、何の冗談でもない。証拠に当時の口座残高を記事のトップに貼り付けているから確認して欲しい。まぁみんなの言いたいことも分かる。
「何で減ってくの分かってて全部使うんだよチビ!」
「歯並びだけじゃなくて常識もずれてんじゃねーか!」
言い訳をさしてほしい。本当に無くなるなんて思っていなかったのだ。皆んなも水は限りある資源で、いつか無くなると言われてもパッとしないでしょう?それと一緒で当時の俺は高校卒業してからずっとフリーターで、ほぼ毎日掛け持ちのバイトをしていたため、まわりの友達よりも多少お金を持っていて困る事は無かったのだ。だからマルタでも口座残高なんて確認せずに毎日散財していたら当たり前のように底をつきた。気づき方も残酷で、出かける前にATMで10万を下ろそうと思ったらエラーが出たので、「暗証番号間違えちゃったかーエヘヘ」くらいに思ってたら紛れもない残高不足だったのだ。たったの4ヶ月で。留学生活は後8ヶ月もあるというのに。後期の授業料も払っていないというのに。やばい。やばすぎる。焦りと同時に何故かめちゃくちゃムラムラした。
え?なんで?ギンギンやねんけど?
無理もなかった。生物は命の危機を感じた時に子孫を繁栄しようとするという本能があるらしい。ゴキブリが死に際にめちゃくちゃ卵を産むあれも同様だ。人間にとってお金とは命そのもの。俺はいわゆる死に際。めちゃくちゃシコった。
そっから2、3日は抜け殻のように過ごした。
でも流石に腹が減りすぎて何とかしようと考えながら街を練り歩いた。途方に暮れすぎて来たこともない街を歩いていると、馴染みのある文字の看板を見つけた。


は?ここマルタやんな?何で日本語?腹減りすぎておかしなったん?何これ走馬灯?
自分の目を疑ったが、確かにそこにはしっかり京都と書かれた店があったのだ。入ってみるとそこは10種類くらいの様々な味付けがされているメロンパンがずらっと並んだパン屋さんだった。
ここやったらわんちゃん働けんちゃうん?美味しそうとかよりも先にそう思った。
本来、留学生がバイトするのは結構厳しくて、語学学校に入ってから半年経ってなきゃいけないとか、英語のクラスが5段階中の上から2番目以上じゃないと無理とかいう条件付きがほとんどだった。
もちろん俺は来てから半年経ったわけじゃなかったし、英語のクラスも下から1番目だったので、門前払いにもほどがあるのだが、その時の俺は生まれてからずっと京都で育ってるという決して強くもない武器一つで乗り込む気満々だった。
そして意気揚々とパンの一つも買わずにレジに並び、フィリピン人の店員に「プリーズ コール ミー オーナー」とめちゃくちゃな英語を告げた。本当は「オーナーを呼んでください」と言いたかったのだが、これでは「私をオーナーと呼んでください」という意味になってしまい、いきなりパン屋を買収しに来たやつみたいになってしまった。それでもフィリピン人は何となく意味を汲み取ってくれて陽気にオーナーを呼びに行ってくれた。すると来たのは50代くらいのまさに貴婦人と言った感じの日本人。
「あら、日本人の方?どうかされましたか?」
「あ、忙しいとこおおきにです!日本人の方が経営してはったんですね!ここってバイト募集とかしてはるんどすか?」
めちゃくちゃかましてやった。こんなコテコテの京都弁は舞妓さんでも言わないだろうが、すがるような想いで京都人を演出した。
「え、もしかして京都の人!?すごーい!私京都めちゃくちゃ好きなの!始めて来たわ!京都出身のお客さん!話聞かせて!」
なんかめちゃくちゃハマった。俺の嘘みたいな京都弁を疑うどころか目を輝かせて聞いていた。
そっから話は驚くほど早かった。俺の京都出身と言うところと、金を無くして手当たり次第にバイトを申し込んできた大胆さを気に入ってくれたらしく、すぐ採用してくれ、お腹減ってるでしょと3週間分のメロンパンを手土産にくれた。めっちゃ助かった。正直もう飯も食えず、強制帰国で留学生活を終えるんだと思ってたけど、何とか働き口がみつかり、安堵でしかなかった。あの時のメロンパンの味と京都で産んでくれた親への感謝は忘れたことない。
ありがとう京都。
ありがとう貴婦人。
ありがとうメロンパン。
俺はメロンパン屋で真面目に働いて行くんや。
ここで稼いだお金で留学を良い思い出にしていくんや。

その次の日から、俺のKYOTOという店名のパン屋として働いて行く日々がはじまった。


長いエッセイになりましたが、最期まで読んでくれた方ありがとうございました。何日か跨いで完成させてたので、読みにくい文になってないか不安ですが、パン屋の貴婦人の気前の良さが伝わってたらそれで良いかなと思います。
実はこれでパン屋の話が終わりではなく、色々濃い思い出があったのでまた書くつもりです。
とりあえず次回作は

パン屋を3日でクビになった話

ですお楽しみに👋🏼


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