EC事業構築マーケター西田の自己紹介(約1万文字:読了20分)
はじめまして、西田圭佑と申します。
34歳現在、chipperという会社のCOOをさせていただいております。これまでの人生ではパブリックな発信はサボっていたのですが、情報収集/自己紹介/短文アウトプットの練習を兼ねて約1年前にTwitterを始めました。
しかしタイムラインが過去に流れていくため、新しくフォローいただいた方にはどうしても私の原体験や価値基準などを知っていただきづらく、お会いした際に「なぜこのような行動をするのか?原動力はどこから来るのか?」と聞かれることが多いため、140文字でまとめることも難しいためnoteでまとめることにしました。
話を聞いて刺激になったと言っていただけることが多いので、自分の進むべき道に悩んでいる方はぜひ見ていただけると嬉しいです!
原体験
生まれと育ち
僕は岩手県八幡平市の出身です。
自分の周囲はまだ恵まれていましたが、人口が少ない割に面積は広いため、隣の学校などでは1クラス2人とかが当たり前の超ド級の田舎です。今でこそ改善されましたが、当時最寄りのコンビニまでは徒歩3時間、インターネット開通不可、携帯電話圏外、下水道開通不可、という環境で18年間育ち、娯楽は自然の中での鬼ごっこと、近所の友達が仕入れてくる漫画とゲームとテレビでした。
学生時代(小学校〜高校)
そんな環境だったからこそ、テレビや漫画に出てくる「自分が尊敬できるキャラクター」に影響を受けていたと思います。特に一番自分の人生に影響を与えてくれたのは矢島金太郎(サラリーマン金太郎)です。
どんな環境でもおかしいことには疑問を呈し、真っ向から立ち向かっていました。完全に中二病の亜種だと思いますが、今でもこの軸は変わっていません。
よく「部活は何をやっていたんですか?」と聞かれますが、ほとんどやっていません。なぜなら生徒会活動に注力していたからです。
生徒会へ注力する理由は一つだけで「このままでは時代遅れになるであろう校則を変えて、後輩達に少しでも時代に合った学校生活を過ごして欲しいから」です。
物心がついた頃には周りよりも集中力と吸収力が高いことに気づいていたため、先生が(成績が良い生徒にヘソを曲げて欲しくないため)注意しづらいのを肌で感じており、それをいいことにおかしいと思ったことを言いたい放題していました。入ってくる情報が少ない中で、ドラマや漫画に影響されまくっていたため、矢島金太郎のようにその能力を自分のためではなく周りや後世のために使うというのは自分の中では当たり前のことと考えていました。
親には「信頼してるから自由にしなさい」と育てられてきましたが、それを裏切るというのは約束を破る行為に等しいので、法律違反をしないこと、お酒もタバコも20歳まではしないことを決めていました。周りから見たらただ堅いだけの奴でしたが「信頼は命に等しく価値がある」と考えていたので周りがどうあろうと自分の軸は曲げませんでした。
余談:高校時代のエピソード
ここで僕を象徴するエピソードを紹介します。この頃から今の人格は明確に形成されていたと思います。
高校時代の数学の先生は、女性でめちゃくちゃ厳しい先生でした。僕はそんなに悪い印象は持たれていませんでした。
そしてクラスに1人不良少女がいました。ちなみに僕は上記のスタンスだったため、この手の不良系とは相容れず、死ぬほど仲が悪かったです。
高校1年の2月、その子が泣きながら教室に入ってきました。どうやら遠巻きに話を聞いていると、その数学の先生から「年間を通しての授業態度が悪いため追試を受けさせるつもりはない」と宣告されたそうです。実質上の留年勧告です。先生に何度もお願いしたが受け入れてもらえなかったとのことです。
何度も言いますが僕はめちゃくちゃ仲が悪かったですし、この女の子に好意は微塵もありませんでした。ですが僕のとった行動は、誰にも言わずに1人で先生の元へ直談判に行くことでした。
そこでの先生との会話はこんな感じだったと記憶しています。
実はこの時足震えてました。今思えばこれが人生で一番怖かった瞬間です。この一件以降恐怖耐性がついたというのもありますが、後にも先にもこれを超えるほど心臓が爆発しそうだった瞬間はありませんでした。
それでも自分の信念を曲げることの方が、「教師が、真剣に学びたいと言う生徒の言葉を信用せず見捨てること」を見過ごす方が自分にとっては嫌でした。
どういう結果になったとしても、後悔のないように生きること、これもどの漫画の主人公もやっていたことだったので、いつの間にか自分の中では当たり前のルールとなって根付いていました。
※結果、(何があったか詳しいことは知りませんが)その子は無事進級できていました。
大学時代
大学では上京し一人暮らしを始めました。
家計があまり裕福ではなかったため、大学ではMAXの奨学金とアルバイト代のみで生計を立てていました。週6日のスケジュールはこんな感じです。
18:00〜5:00居酒屋でアルバイト
5:00〜8:00睡眠
8:00〜9:00学校へ移動
9:00〜15:00授業
15:00〜16:00自宅へ移動
16:00〜18:00睡眠
以降繰り返し
たまにサークルやってみたり、彼女ができたら週6ではなく週5にして1日は彼女に充てるなどありましたが、就活始めるまではこんな感じのスケジュールでした。プロアルバイターです。
もはや学生の身分で店長業をしていました。居酒屋の人件費構成や事業構造/管理手法、そして圧倒的なハードワークを学ぶことができたのは大きかったです。
正直、周りにこんな生き方をしている人は1人もいませんでした。
(そもそも周りと言えるほど人と出会えるチャンスがない環境とはなってしまっていましたが)
その中で生まれてきた想いは、「こんなにも努力して学費と家賃と支払ってなんとか生活している環境と、実家暮らしで親に学費を払ってもらってテスト前に誰かのノートをお金払ってコピーもらうような人との環境格差は何故生まれるのだろう?」という強い疑問を感じるようになりました。
ある種妬みに近い感情ですが、この不満を誰かへの攻撃に充てるのではなく、いつかこの課題を解決するような事業を創ることに向けようという想いをずっと持っていました。
一方で目先の自分の生活をなんとかしなくてはいけないため、抜本的に何かを変えるための活動を考える余裕はありませんでした。初めてそれを考えようと思えたのは、貯金を作ってようやくアルバイトをストップして就活に望めたタイミングです。
そしてその頃リーマンショックの不況が世界を直撃し、各社の求人がほとんど出ていない状態になり、一つ上の先輩達の世代では内定取消しが話題になっていました。少ない求人の中から選択肢を考えていく必要があり、自分が今後の人生でどういう働き方をしたいのか、何をしたいのかをよく考える良いタイミングでもありました。
それまではただひたすらにがむしゃらに毎日余裕がなく働いていましたが、そんな状況下で就活をする時に初めて「自分は何のために働くんだろう?」と立ち止まって考えてみました。ずっと考え続けても答えは出ず、「自分は何のために生きるのだろう?」→「人間はなぜ生きるのだろう?」という、ある種哲学的な考えに至るようになりました。
就職活動で迷う中で見つけた「人はなぜ生きるのか?」の解
旅に出てみたり、精神的な疾患を抱える人の社会復帰のボランティア活動をしたりして考えました。
その中で出した結論です。
そもそも人が生きることに大層な意味なんてありません。
生物はただ生まれて、ただ死ぬだけです。宿命も運命もない。
だからこそ「生きる意味」は「自分自身が決める物」です。
自殺願望がある人の社会復帰のボランティア活動を通じて思ったんです。「神様は乗り越えられない試練は与えない」とかよく言いますが、もしそうならこの世に自殺なんて存在しません。
つまり試練というのは神様が与える物ではなく、偶発的に発生する物であるということです。
そして神様が存在して、天命とか運命とか、そんなものを神様が配置しているんだとしたら、そんなもので人生が決まってしまうんだとしたら、生まれた環境が悪かったら成功はできないのか? 夢も希望も持つ権利はないのか?
もし仮にそういう世界なんだとしたら自分が変えたい。そのために生きたい。僕はそう決めました。
そして、それまでの人生では自分の周りには「安定志向」の人しかいませんでした。
僕たちはバブル崩壊後の日本しか知りません。テレビを点ければ、やれ不況だデフレだ賃金が上がらないだのというニュースを聞かされ、メディアからも親世代からも「安定である」ということが最大の価値であると刷り込まれてきました。
日本の共通認識が「夢を公言し叶える人生」<「安定で堅実な人生」で、夢を持っても公言しない方がカッコいいという価値観が多数派(マジョリティ)となっていました。
多数派に迎合する日本人の性質上、そういう人が増えてしまうのは致し方ないと思います。
この責任を自分達の世代に押し付けることはできません。そして上の世代への恨み言を言っても何も変わりません。
だとしたら、同じ想いを次の世代にさせないように生きることが僕達の世代の責任ではないでしょうか?
自分自身が死ぬ想いでバイトをして青春そっちのけで、ただひたすらに「生きる」ということに全力を注いできたからこそ、苦しい環境の人でも様々な選択肢を持ち、夢を公言できる世界にしたいと考えるのは、自分の中では自然なことでした。
そして就職へ
このように色々考え、自分の軸を「社会課題を解決するための事業を構築できるスキルを持った人材になること」と据えました。
大企業では部分的な仕事が多くなり「ビジネスを構築するスキル」を身につけるのは難しいと考えました。そのため、選択肢はベンチャー企業以外は考えませんでした。
ベンチャー企業に入って学びたかったのは「あらゆるステークホルダーのベネフィットや力学を理解し、全ての人のWINになるビジネスモデルを構築する力」です。将来社会課題を解決できる事業を創る人材になるためには、それが必要でした。
具体的な社数は覚えていませんが、かなりの数の選考に落ちた記憶があります。そりゃそうですよね、面接で口ではこうなりたいと大きな夢だけあって、それに至るための行動はまだ何もしていないんですから。ただの口だけ厨二病野郎です。正直僕が面接する側でも落とします。
そんな中入社させていただいた念願のベンチャー企業では、同期は6人。全社員で50人ぐらいの環境です。
同期はどんどん最終的には安定思考に収まる中、自分はずっと社長に新規事業発案をしまくっていました。
これが自分の中では非常に良い経験でした。有難いことに最終的に2案の事業にチャレンジさせていただくことができ、失敗経験も成功体験も積ませていただくことができました。特にポータブルスキルとして下記が身につきました。
何度否定されても目的のために諦めないGRIT
常に世の中のことにアンテナを張り情報同士を紐付ける力
定量的な情報を収集しデータ加工をし仮説を作る力
役員層が納得するようなストーリーを作り図解化/可視化をする力
これらのスキルは全て22歳〜25歳の3年半で培わせていただくことができました。当然、これだけの経験をこの期間ですると時間が足りないので、土日も全てBetする超ハードワークでした。
これらの経験から若手へ伝えたいこと
ここで、これを読んでいる若手に2つのことを伝えたいです。
1つめは、これらのスキルは、受け身では絶対に得ることはできなかったということです。
言われた業務を淡々と行うだけでは、このような経験は得られません。全て自分から能動的にアクションをすることで得ることができました。
そしてその時重要なのは既存の発想に捉われないことです。○○だからできない、○○だから無理、全て自分と周りが勝手に作った制限でしかありません。既成概念に閉じこまらないでください。それを超えることこそがイノベーションです。
2つめは、自分の目的のために成長するアクションは「信頼と仁義」の先にある、ということです。
自分の果たすべき義務や通すべき筋を通さずに自分がやりたいことをやっても誰も応援してくれません。
「信頼=トラスト」を溜めることが重要です。上記で書いたこと以外にも、”みんながやりたがらないこと”に全て率先して手を挙げていました。
これめちゃくちゃ大事です。誰にも応援されない夢や行動はただの自己満足です。
夢は人の賛同を得て初めて自己満足ではなく公の物となり、そこに意味が生まれます。
これまでこんなパターンの人がいました。
①能動的だが、信頼と仁義がない人
→上司の承認も周りの協力も得られず、結果やりたいことがやれません。
②信頼と仁義はあるが、受動的な人
→やりたいことが周りに伝わっていないため、チャンスがあっても降りてきません。やりたいとエネルギッシュなパワーを振りまく人に往々にしてチャンスは降りてきます。
ありがたくも、周りにこのような反面教師のような人がいたので、こうならないように意識しながら新卒から過ごしてきました。
現在に至るまで
長くなったのでここから先は概要だけにします。基本的な行動スタンスは変化していません。
(細かい内容について要望多ければ追記します)
25歳→リクルートに転職。自分の力不足を痛感し半年で転職。
26-29歳→ゴリゴリのIT系飛び込み営業を経験。普通にやっても売れないのでめちゃくちゃ知識つける。
29-32歳→EC業界に転職。SaaSの立ち上げ期にジョインしPdMとマーケティングとアライアンスとセールスとエンタープライズセールスとPMとカスタマーサクセスを全部1人で経験。
32歳-現在→chipper社のCOOとしてEC/D2C全般のコンサルティング支援を行う。
なぜchipperにジョインしたのか
これめちゃくちゃ聞かれます。これまで手前味噌ながらそこそこ成果を出した西田の次のキャリアとして、なぜ当時4人しかいなかったchipperを選んだのかは、皆さん疑問のようです。
正直転職した時は年収は下がりました。実はchipperの倍の給与の会社からのお誘いもありました。ただ僕にとっては、年収という要素はめちゃくちゃ優先順位が低かったのです。
自分の中で一番重要であった要素は「代表と目指したい世界の形が同じだったから」の一点に尽きます。
仕事には目的があり、それがミッションビジョンと言われる物です。これを達成することが企業活動の目的であり、ソリューションや利益はそのための手段でしかないと思っていました。
また、自社ソリューションを扱ってきたこれまででは、自社ソリューションで幸せにできない顧客に対しても、自社ソリューションを売らなくてはいけないもどかしさも同時に感じていました。
正直そういった想いを満たせる転職先は思いつかなかったため、独立という選択肢が最有力でした。
そんな中、自分が主催で行っていた「EC若手ビジネス交流会」という、35歳以下のEC業界に関わる人だけを集めた交流会に参加してくれていたのが今のchipperの代表の十時でした。当時代表は楽天出身でありながらも、自身の原体験からアート系の支援サービスを開発していたので、EC業界とは関わりは薄かったですが、面白い考え方をする人だなぁと思い、必ずお誘いしていて十時も必ず来てくれていました。
そんな中、自分の抱えていた想いを話すきっかけがあり、十時と朝まで語ったところ、目指したい世界として「人がもっとチャレンジする世界にしたい」「世界を変革できるビジネスを生み出せる人材を増やしたい」という共通項があることがわかり、そこが同じだとわかった時点でジョインを決めました。
ただ、その時一つだけ約束したことがあります。
それは、これから先会社を経営する中で色々な艱難辛苦があり、気持ちがブレてしまいそうになることがあったとしても、今語ったこの夢だけはブラさない。ここを2人で誓い合い、chipperへのジョインを決めました。
今やっていること(chipperとしての活動)
こういう流れでchipperはスタートしています。この誓いをしたのが2020年9月のこと、ジョインしたのは2021年1月からです。前職にも極力迷惑をかけたくなかったので、可能な限り引き継ぎ期間を長めに取って退職しました。
そしてchipperでは、D2C/ECの総合支援をしています。支援会社は広告系とかSaaS系とか、ある程度領域を絞ることで強みを作る企業が多いですが、あえて領域を狭く持たずに広い支援をしています。
理由は2つあります。
1つは「この業界に包括支援を行う会社が少な過ぎるため、部分最適な支援を行った結果、事業が全体最適にならないケースが多過ぎる」という課題に向き合いたかったこと。
もう1つは「この会社を通じて世界を変革する人材を創出するためには、部分最適な知識ではなく全体を包括的に見渡せる知識を持った人材の育成がマストである」からです。
例えば、EC業界のわかりやすい例で言うと、Web広告運用スキルは理解していてもEC運用の知識がないと、獲得したはいいけどめちゃくちゃバックヤードのオペレーションが大変ということが往々にしてあります。
また、事業一つ提案するにしても、ファイナンス知識がないと、投資回収のできないビジネスが構築されます。エンジニアリング知識がないと実現不可能もしくは非常にお金のかかるシステムを運用せざるを得ません。
そういった部分最適な提案では、事業が最適化されません。結果クライアントも、クライアントの先にいるお客様も幸せになりません。
イノベーティブな発想は、過去と未来、そして現在における正しい知識から生み出されます。それらに則っていない発想は、独りよがりなただの自己満足です。
そのため、chipperでは上流のマーケットリサーチから戦略立案、ファイナンス支援、Webマーケティング、クリエイティブ、エンジニアリング、全てを包括的に支援をするということをサービスとして提供しています。
一般的には「コンサルティング」に分類されますが、第三者ではなく当事者として一緒にビジネスを創っていくという信念から「事業共創パートナー」と自称をさせていただいています。
今やっていること(chipperCOOとしての活動)
今はいくつかの目的があり、セミナー登壇等を多くさせていただいています。
全て切り口を変えながら、データを用いてマーケットを分析し、EC事業の成功確度を高めましょう。という内容でお話をさせていただいています。
セミナーではもう少し目線を下げてお話をしています。この業界は「運用後に数値改善をするために分析をする」という意味での分析が主流となっており、「事業立ち上げの際に市場調査をする」という観点ではまだまだ浸透していないというのが現状です。
他業界では事業立ち上げの時に当たり前に行うことを、なぜEC業界では行われることが少ないのか。それは業界全体が過去の成功体験に依存している、という問題がありました。
ECは良くも悪くも大きく発展し続けている業界です。そのため、「出せば売れる」という状態が続いていました。業界の流れも圧倒的に速いため、どういう商品が売れるかを考える前に動く方が効率が良かったという状態だったのです。
しかし、これから先はこうは行きません。なぜならEC業界は一見すると市場全体として伸びているように見えますが、その実は出店の簡素化により消費者にとっては供給過多になっており、1店舗あたりの売上は大きく減少しているからです。
これは僕が国の調査などを含めた数値を分析した結果を図解化したこちらがわかりやすいと思います。
だからこそ、今重要であるのはいかに消費者のインサイトを捉えた事業を企画するかです。この定めるべき差別化要素のことをバリュープロポジションと言います。
これらの考え方がまだ市場に浸透しきっていませんが、今後マジョリティになるであろうことを確信しています。そういう浸透をさせるためにセミナーを行うという点と、その時に業界のトップランナーにいられるようにケイパビリティ(組織としての能力)とブランド価値を高めていくことが、今自分が行っている活動です。
長くなるのでまた別記事で書きますが、弊社が提唱しているEC新規立ち上げの手法として「手法逆算マーケティング×未来逆算マーケティング」があり、これらがスタンダードになる未来が来ると信じています。
もし今の時点でこれらのプロセスでご支援を希望される方がいればぜひご連絡ください!
冒頭のTwitterでのDM、もしくはchipperのコーポレートサイトからお問い合わせください。
今やっていること(個人としての活動)
さて、最後に西田が個人的に行っている活動についてお話します。
土日等の時間を使い、いくつか行っている活動がありますが、全て例外なく「人の夢が笑われない世界を創る」という個人ビジョンに紐づいています。
学生/若手のクラウドファンディングへの無償投資
若手のキャリア相談(図解化)
岩手県学生の起業支援
全て、自分は一方的にGiveをする側であり次世代へ想いを繋ぐという点で共通をしています。クラウドファンディング支援も、リターンは次の世代への自分の投資と同額の出資の約束をしています。キャリア相談も、次誰か周りで困っていた人がいたら無償で支援をしてもらうことを約束しています。
なぜこんなことをするのか?
そもそも、人の夢を応援する人を増やすために1人でできることなんか限られています。だからこそ、一緒に働かないにしても想いを共にする仲間を増やし、更にその仲間がまた新しい仲間を作るという行動で、夢へ一歩ずつ近づいています。
そうしていけば、きっと自分が死ぬまでには、もしかしたら死んだ後だとしても、夢を否定する人がマイノリティ(少数派)になっている世界になるだろうと信じています。
岩手県学生の起業支援は、自分の発案で「岩手学生チャレンジプロジェクト」を始めました。
いつかVCかエンジェル投資家的に若者を支援したいという漠然とした夢を持っていましたが、静岡のこの取り組みを偶然目にし、こういう取り組みならやろうと思えばいつでも始められるのに何故やらないんだろう、と行動しないことに理由を作っている自分を改めて恥じました。
その場で静岡チャレンジファンドへの主催者への連絡と、岩手学生チャレンジプロジェクトの企画書作成を行い、仲間集めを行いました。そうして今のメンター達が集まりました。
そして県庁直下のIIBという岩手のイノベーション創出の組織とも繋がらせていただくなど、色々な方の協力を経て今の形になりました。
改めて、この想いに共感いただいた方には感謝しかありません。
最後に
この通り、僕は何者でもありませんでした。
革命家の息子でもなければ、九尾の狐が封印されているわけでもなく、裕福な家の生まれでもありません。
それでも、人は想いと行動さえすれば、何にでもなれるしどこまででも行ける。そのために必要なのは圧倒的な行動と努力です。
現代は苦労せずとも情報が入手でき、努力しなくてもそこそこの給与が稼げる時代になりました。だからこそ、圧倒的な努力は最大の差別化になります。今後AIが普及した時、生き残れる人材となります。それこそが人材を超えて、人財となるのです。
努力こそが人の財産となり、子供達の未来を形創る礎となる。
誰の名言でもありませんが、自分の考えを表す一文として最後に記載し結びとさせていただきます。
長文ご一読ありがとうございました!
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