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『その子がその子らしくいられる場を』

◎京都教育大学附属桃山地区三校園研究発表会
 『幼小中で育む「問いを持ち、学び続ける子」』
◎京都教育大学附属桃山小学校研究発表会
 『自立・共生、そして創造へ』

2つの研究発表会を終えました。
幸い、どちらの会でも算数に関わる発表の機会を頂くことができました。
このことにより、今年度の実践を振り返ることができ、本校が大切にしてきたことを自分なりに考えることができました。


1.桃山地区三校園研究発表会

テーマは、『幼小中連携』と『問いを持ち、学び続ける子』
少し前のことなので、簡単に…

①幼小中連携
どの学校に行っても『連携』についてのあーだこーだはあります。
僕は、幼小連携の実践を話しました。

結局は、『尊重する』と『話し込む』ということだと思います。
この2つ抜きにすると、結局は…だと思います。
ここが、連携の難しさなのだと思います。

継続した連携のために、子どもの活動を確保していると思います。
僕は、それ以上に先生同士がやりとりする必然性が高まる何かがある方が良いと思っています。
確かに、子どもの活動はやりとりを必要としますが…という気がします。それよりも…という感じがします。詳しくは…難しいですね。
そういう意味でも、今回の幼小連携には、『尊重』と『話し込み』が豊かでした。
しかし、時間はかなりかかりました。限られた時間の中での有意義な連携…まだまだ考えねばです。

②問いを持ち、学び続ける子
『問い』は手段。
そう言い切れるようになったことが、大きな収穫でした。
大切なのは、子どもの学びが自分のものになっているかどうか。
ここがわかっていないまま、今年一年は実践してきたと思います。
とはいえ、一年生の学びとしては、『問いのある授業』を丁寧に経験させることも大事。

次年度に出会う子ども達と、どのように『問い』と向き合うかということを改めて考えました。
「『問い』=個別」で頭でっかちの実践だったなと、反省しています。
一斉授業の在り方の再考が、重要だなと、次年度に向かっています。
熱中、没頭する一斉授業に必要なものは?


2.桃山小学校研究発表会

テーマは、『自立・共生、創造』
『気づき』をもとに、自立・共生をイメージしました。

『問い』となると、全員がそれぞれに問うことに対しての難しさを感じる先生が多い気がしています。
『問い』にもつながる何かについて、万太郎先生とやりとりをしていて出てきたのが、『気づき』でした。

低学年の分科会で、「わからない子やできない子にはどう対応していますか?」という質問がありました。焦点が定まれば定まるほど、『できない』は増える気がします。
『問い』は、『ハテナ』に焦点が定まっている感じがします。
そういう意味でも、『気づき』の幅は広い。

万太郎先生が6つにまとめてくれました
(もっとあるかもしれないけどと…)
・疑問的な気づき(どういうこと?わからない)
・発見的な気づき
 (え!そうだったのか! もっと簡潔・明瞭にできないのか)
・活用的な気づき(この方法・学習したことって使うことができるのかな)
・探究的な気づき(やってみたい!考えてみたい!)
・発展的な気づき
 (数値を変えたり,条件が変わっても使うことができたりするのかな)
・統合的な気づき(え!?これって○○と似ていない?)

『問い』は、『疑問的な気づき』に当たります。
つまり、それ以外の幅が5つあるということになります。
子どもがどの気づきを得ているかを把握することによって、その後のあるべき授業展開が見えてきます。

「気づけない子への対応はどうしていますか?」
「バラバラに出た気づきをどうすればいいですか?」
「出た問いや気づきは一つにまとめるんですか?」
『問い』の時とは違って、「バラバラに出た『気づき』をどうすればよいのか?」という悩みが生じているようでした。
「出ないと困る」「出ても困る」、この辺りは、リアルな現場の声だと思います。
ここに、授業の在り方のズレがあるのかもしれません。
この辺りの授業観に、『自立・共生』のヒントがあるような気がしています。

僕は、出ないも出過ぎるも、自分の学びをハッキリさせるためには大切だと考えています。
授業の中に、自分の学びや仲間の学びがあり、個別に考える時間もあれば、協働する時間もある。
個別や協働は、一つの手段で、全てを自分の学びに寄り添わせているかどうかということに意識を向けたいと思います。
一斉授業の使い方を、改めて考えていくと、より『自立・共生』がはっきりとしてきそうです。
この辺りを意識しながら今後の実践を積み重ねていこうと思います。

創造はというと…まだまだ語るには、不十分な実践だなと感じます。
それには、見取りを残すという部分の弱さです。空気感というか、多数派の思考としては、「このように創造する姿がありました」と言えますが、個の学びが創造へと向かっている様子は見られていません。
一部の子の『創造的な気づき』を共有しているだけで、振り返りに書かれていることも、一部の子の考えのシェアに近い感じがしています。
これは、個の学びの確立の不十分さや子ども達が自分の学びへの意識の低さだと思っています。
自分の授業を振り返って、教師との人間関係が支えている授業だと、いつも感じます。

ここから抜け出せた時に、『自立・共生、創造』へと、向かえるような気がしています。
これからだなと。


自信も時間もないので、ひっそりとしていた分科会2は、MC科を担当しました。
ここでは、先輩方の具体的な実践に触れることができて、MC科について少し分かった気がしました。
今回紹介されていた実践は、スピーチ、プレゼン、CMの授業でした。
自分自身、新聞などに学びをまとめて伝える実践を行ってきました。
朝のスピーチなんかもやっていました。
「それらと何が違うのか?」という部分がハッキリしたことが、大きな収穫でした。

1年間MCをやってみて、今回の部会の話を聞いて、これまでの取組が教科の学びを深めたり、学級の人間関係よくしたりするための手段としてやってきたことだったのだと気づきました。

その手段を学習しているのが、MC科なのかなと…
アウトプットやインプットの手段である『メディア』の特性や効果について学んでいる。
だから、教科の学習時にアウトプットやインプットの選択肢が子ども達の中にある。
自分の中にある選択肢から選ぶから、自分の学びが自然と進む。

あっているかどうかは、未だよくわかりきっていませんが、MC科での積み重ねは、子ども達の自然な学びを支えるのだなと感じています。
先生にとっても、子ども達にとっても、アウトプットやインプットの意識を変える。
MC科は、教科の学びを支えているし、何ならその先にある感じもします。
教科の枠を超えて、子どもの学びを意識した画期的な取組だと、改めて感じているところです。
この辺りに、MC科での学びの良さがあるように思います。意識して、実践を重ねます。

今年度から仲間に入れていただいた京都教育大学附属桃山小学校で、研究テーマを意識しながら1年を過ごしてきました。そのまとめが、今回の発表であり、このまとめです。
やってきたことが、実はつながっていて、その目に見えないくらい薄く見えていたつながりが、少しずつ見えてきているような感覚が、今はあります。
このつながりの根っこには何があるのか?
そのために、どんな実践が子ども達を輝かせることができるのか、一足飛びにはいきません。
『いっぽ』ずつ、僕自身、僕の学びを着実に進めていきたいと思います。
2年目、どんなことをやっていこうかなと、ワクワクする感情が込み上げてきます。


3.まとめ

2つの研究発表会を振り返って、この2つと、自分の実践とがつながって、自分のこれからが少し見えてきているような気がしています。

この一年間を振り返ると、手法と考え方が混同しているような実践ばかりでした。
もっと、その子らしさがそのまま教室にあるような学びの時間でありたいと思います。
幼小メンバーで振り返っていて、「西村先生のクラスは、その子がその子のままでいられる教室です。だから、安心して小学校に送ることができます。」と言っていただきました。
でも、それは勿体無い言葉です。その子らしさを支えているのは、手前味噌だと学級経営の側面です。
授業における『その子らしさ』のパーセンテージは、どうしても少ない。
100%をその子らしくするつもりはありません。僕もその学びに関わっているので。
それでも、一緒に過ごす子達が『自分の時間』と思える授業ができるようになりたいと強く思います。
それも、今は、できるだけこれまでの一斉授業に近い形での実践を積みたいと思っています。
個別の協働という意識の高い授業づくりを自分の中で作っていきたいと強く思います。

まだまだまだまだわからないことだらけです。
それだけ、自分にしなければならないことがたくさんあるということです。
頭でっかちな実践にならないようにしたいです。
子ども達が学んでいるのと同じ場所で、子ども達の目線で学びを見つめながら。

子どもの「したい」を大切にできる教師とは、どんな教師なのか追究し続けます。

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