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リアタイ

私は最近よく思うのです。学生時代にリアタイの中毒になっていなくて良かったなぁと。先日、金曜日の夜に翌朝5時までラジオをリアタイするという夢のような体験をしました。ラジオはいつも聞いているのに、「リアタイ」というだけでこんなにもワクワクするものかと驚きました。

こんな気持ち、時間に自由が効く学生時代に出会っていたら、おそらく毎日のようにリアタイして、生活リズムが終わっていたことでしょう。卒論のために頻繁に徹夜していた去年の今頃も、結局ラジオを聴いてしまって卒論も書けていなかったかもしれません。社会人で次の日朝6時に起きなければいけないという制約がある今、「学生時代に知ってたかった、、」という気持ちと「制約がある今で良かった、、」という気持ちが交錯しています。

そういえば、当たり前に使っていますが「リアタイする」って変な日本語ですね。「リアルタイムで聴く」って言えばいいのに。

なぜこんなに私がリアタイに惹かれるのか、それはおそらく幼少期からの積み重ねによるものだと考えています。

録画文化

実家はお笑いが大好きな家庭でした。アニメやドラマはほぼ見てこなかった私ですが、お笑い番組だけは親と一緒にいつも見ていました。お笑い番組といっても、ピラメキーノやヘキサゴンのようなバラエティは見たことがなく、ごりごりのネタ番組のことを言います。レッドカーペットやエンタの神様、ピカルの定理、ミレニアムズ、LIFE~人生に捧げるコント~などの番組が中学時代の私の娯楽でした。

それらの番組は全て録画で見ていました。学校帰りで時間が合わないということもありますが、そもそも親が「CMを見ている時間が勿体ない」という思考だったため、リアタイで見れる番組もわざわざ30分ぐらい遅らせて、CMをスキップしながら見ていました。

そのため、「テレビ=録画したものを見ること」という考えが染みついています。

余談ですが、当時やっていたお笑い番組以外にも、TSUTAYAで借りた「ごっつええ感じ」や「夢で逢えたら」という私が生まれる前に放送されていたコント番組も親の影響でほとんど見ています。私がお笑い(特にコント)好きになったのは、間違いなくこれらの影響だと思います。

いずれにしてもリアルタイムで放送される番組を見ることはほとんどなかったので、学校で友達と「昨日の〇〇の番組おもしろかったねー」という会話をした記憶もありませんし、わざわざ「先週の〇〇見たよ」等と掘り返して話題をつくることもありませんでした。ひたすら親と一緒にお笑いを楽しむ子ども時代を過ごしました。

テレビ無し生活

大学卒業前に、就職先である滋賀県に引っ越してから約1年弱、テレビのない生活をしていました。引っ越した当初は、好きな番組はほぼTverにあるし、YouTubeも好きだし、わざわざテレビを買うこともないだろうと自分で判断し、モニターだけ部屋において生活していました。

20年余りを録画文化で過ごしてきたので、大したストレスも感じることなく、TverとYouTubeで見たい動画を見ていました。

しかし一つだけ問題がありました。それは、家で何か家事をしているときに無音すぎて寂しいということです。大学から家に戻ってきたときに、「何の動画を見よう」とか何も考えずにパッと音をつけられたら良いのに...と悶々としていました。

ラジオ生活

そんな私が見つけたのがラジオでした。出会いはYouTubeにアップロードされていたハライチのターンの「岩井勇気一人暮らしトークまとめ」という長尺の音声。30歳を超えて初めて一人暮らしを始めた岩井さんが、メゾネットタイプのアパートで一人暮らしを謳歌する話を聞きながら、同じくメゾネットタイプのアパートに住む私は笑いながら家事ができるようになりました。

そのトークがラジオで放送されているものだと分かった後も、しばらくはYouTubeにアップロードされる音源を聞いていました。私の住む滋賀県はTBSラジオが放送されないのです。

しかし、そこから滋賀県でも聞けるラジオを探し始め、オールナイトニッポンを全曜日聞くようになり、どっぷりラジオに浸かった私は無事radikoのエリアフリーに登録することになり今にいたります。

この頃も、ラジオは家事をするときのお供に聞くものだったので、全てタイムフリーで聞いていましたし、リアルタイムで聴きたいともそこまで思っていませんでした。

ツイッター開設

月日が数か月流れた秋ごろ、私はふとラジオでよく聞くラジオネームをTwitterで検索してみました。プロフィール欄に「ラジオ」という文字があるアカウントにヒットし、ツイートを覗いてみると、ものすごい頻度で「#番組名」をつけたリアクションが流れていました。その「#番組名」を検索したところから、私のラジオの楽しみ方が少し変わります。

とりあえず私もラジオにメールを送ったらこの人たちの仲間になれる!と思い、急ピッチでラジオネームを考え、Twitterのアカウントを開設し、聞いたことがあるラジオネームのアカウントを片っ端からフォローしていきました。結局ラジオにメールはほとんど送れていませんが、ラジオリスナーとしての居場所を見つけてしまいました。

そこで私はラジオやテレビのリアタイがしたい、という気持ちが人生で初めて芽生えました。これまであちこちオードリーが何時に放送されているかなんて気にしたこともなくTverで見ていたけれど、決まった時間になれば「#あちこちオードリー」がついたツイートがぶわっと流れます。朝6時に起きると、1時間前呟かれた「#〇〇ANN0」がたくさん流れます。それらを見ているうちに、私もこの人たちのリアクションを追いながら聴きたい、という気持ちが湧いてきました。

そこから私は、リアタイが可能な時間帯の番組は出来るだけリアタイで追いかけるようにし、昼にTokyoFMで放送されている「誰かに話したかったこと」やニッポン放送の「ラジオショー」を聴くようになりました。しかし、そうすると今まで昼間にタイムフリーで聴いていた深夜ラジオが聴けなくなり、うまくバランスをとりながら、私の中の「深夜ラジオリアタイしたい欲」はどんどん強くなっていきました。

はじめてのANNリアタイ

そうして冒頭に戻ってきます。
ラジオ用のTwitterアカウントを開設してはじめて、次の日が休みで且つ10時半頃まで寝ていられる日がありました。(正月は少しリアタイできたものもありましたが、スペシャルばかりでいつも聴いている番組感がなかったのでここでは除外します)

生憎コ□ナの影響でパーソナリティの代打担当が相次いだ週だったので「トムブラウンANN」と収録の「三四郎ANN0」が放送されました。
私は普段からほとんどメールも送りませんし、この2番組に関しても全くメールも送っておらず、放送中もリアクションメールの1通も送りませんでしたが、それでも充分、めちゃくちゃ楽しめました。

この同じ時間に東京のブースでこんなにバカなことをしている人がいて、それが電波にのって滋賀の私の家まで届けられているんだ!と思うだけでワクワクが止まりませんでした。しかも、トムブラウンANNではリスナーと電話をつなぐ場面もあり、余計に生放送感を感じることができる回だったこともあったため、深夜に一人でTwitterをおいかけながら何故か心臓がバクバクしていました。

いつもタイムフリーで聴いている番組を深夜にリアタイするとこんなにもワクワクが違うのか!と感動すると同時に、「次にリアタイできるのはいつだろう」という悲しさも襲ってきました。少なくとも月~木曜日は、次の日に予定のない祝日でもない限りリアタイは出来ません。これらの曜日に放送されている深夜ラジオをリアタイできたらどれだけ嬉しいか、と毎日思いながら泣く泣く布団に入っています。

次に生放送の深夜ラジオをリアタイできるのはいつになるか分かりませんが、そのときが来たら全力で楽しみたいと思います。そして、もう少し時間に余裕ができたらネタメールとか真剣に考えて送れるようになりたいなぁ、とも思っています。大人になってからこんなワクワクできる場所を見つけれて良かったな。


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