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書評「AI支配でヒトは死ぬ。」 養老孟司

内容は養老さんのいつもの話である。脳化された社会を生きる苦しみがどうのこうのというやつだ。お馴染みの話は置いておくとして、私は最近までこの「脳化」、ひいては「唯脳論」というものが理解できなかった。脳なんか関係なく世界はあるだろうと。そう思って何の疑いも持たなかった。なんで「唯脳」なのか。「唯」じゃないだろうと。脳以前に世界はあるだろうと。科学はそれを対象にした営みだろうと。そう思って疑わなかったので、養老氏の主張はほとんど読み流していた。しかしよくよく考え直してみると、氏は脳しかない、などとは一言も言っていない。真実の世界がどうあろうが、我々は脳を通して世界を把握するしかない、という当たり前すぎることを言っているのが唯脳論だった。読めている人からすると当たり前なのだろうが、ここに「バカの壁」があったのか、私は普通に読めて然るべきことをスルーしていた。全ては科学で解明できると素朴に考えていた唯物論者にとってこのバカの壁を越えるのはなかなか大変だった。そもそも唯物論と唯脳論は二者択一ではないが、脳が理解を拒むというのは恐ろしいことである。同時に人間は脳で何かを把握するしかないというのも恐ろしい話である。何をどうやっても人間の認知は脳からは逃げられないということだからだ。それにしても、唯脳が理解できると、人間の社会システムは人間の脳機能を投影しているという、以前は全く理解不能だった主張がすんなり理解できた。

ということで最近ようやくバカの壁をひとつ超えることができたので、今後は養老氏の本を読み進めていきたい。

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