トキワ荘の青春と夢の話

 『トキワ荘の青春』を見た。本木雅弘がかっこよかった。クレジットの最後で1995年制作であったことを知った。自分と同い年の映画を映画館で見たのか、と不思議な気持ちになった。
 『トキワ荘の青春』は手塚治虫が住んでいたアパート「トキワ荘」に集まった漫画青年達の話だ。手塚治虫がアパートを出た後、アパートには藤子不二雄Aや藤子F不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫ら後の大漫画家が住んでおり、彼らは新漫画党を立ち上げ切磋琢磨していた。成功し始める者、夢を諦める者、描きたい漫画と求められる漫画のギャップ、夢を追う苦悩が描かれた渋めの映画だった。
 『トキワ荘の青春』はその内容も面白かったが、僕が引き込まれた理由は別にある。トキワ荘は昔ながらの下宿先というようなアパートで、玄関の目の前に階段があり、2階には四畳半の部屋が5つほどと共用の炊事場、トイレがある造であった。このアパートで青年達は時に同じ部屋で漫画を描き、時に一緒に銭湯へ行き、時に漫画談義を肴に飲み明かしていた。僕はこの生活の楽しさを知っていた。彼らのトキワ荘での生活が僕の大学時代の学生寮での生活とそっくりそのまま重なって見えたのだ。(もちろん生活と将来への不安はトキワ荘の住民ほど切迫したものではなかったが。)同じ建物に住み、同じ炊事場で食事をし、同じ風呂に入る。出身地も大学での専攻も違い、学生寮に入っていなければ出会うこともなかった人達と寮生活を通して何事にも変えられない友人となった。そのような自分自身の寮生活を思い出し、多大な感情移入をしながら『トキワ荘の青春』の物語に入り込んだ。良い映画だった。

 藤子F不二雄の母親の言葉に考えさせられた。「好きなことを見つけられるのは幸せなこと。世の中には好きなことを見つけられない人もたくさんいるんだから」その通りだと思った。僕には頑張りたいほど好きなことなんてひとつもない。

 昔から夢がなかった。なりたいものもしたいことも特になかった。強いてあげるならば結婚したかった。良い父親になりたかった。夢というほどのことでもなかったが。結局どうでもよくなってしまった。目の前の一番大きな山を越えた先にもう山はなかった。
 小学校の卒業文集は将来の自分がテーマだった。僕は地球を一つの国にして王になるということを書いた。馬鹿らしい内容のようだが、戦争と飢餓をなくすために国境をなくして地球を統一するという始皇帝のようなことを考えていた。突拍子もなさと筋の通ったように聞こえる主張、そして同級生とはレベルの違う文章力がなんとも言えないカオスを醸していた。自画自賛である。僕は本当に戦争も飢餓もなくなればよいと考えていたし、王様にもなりたかった。ただ、当然本気でなれると思っていたわけではない。将来の夢などなかったから突拍子もない理想の話を作文にしたのだ。
 やる気がないから夢がないのか、夢がないからやる気がないのか。どちらにしても、生き伸ばすために働こうと行動しない自分に明るい未来はない。夢なんてあってもなくてもみんな働いているのだ。いつ死んでもいいなどというのは甘えである。こんなことを考えているうちに、母親から連絡が来た。「仕事は見つかった?」と。僕が返す言葉はひとつ、「いえ」。

ドラえもんの作者はすごいなーって話。以上。

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