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二度寝愛好家諸君

皆さん、二度寝は好きですか?
突然ですが、皆さんは、二度寝について真剣に考えたことがありますか?

僕は二度寝が好きです。これから話すのは、ある休日、布団にごろつきながら二度寝について真剣に考えた、いや、僕の阿呆な妄想の話です。


二度目のアラーム音で目が覚める。

「今日の二度寝はあまりにも気持ちが良いなあ。」

日曜日、窓から外を見ると、蒸し暑そうだ。
夏らしい、眩しい日差しが射している。なのに、僕は布団をかぶって寝ている。部屋にエアコンをガンガンに効かせ、涼しいからだ。
外との対比で謎の優越感を僕は感じ、もう一枚の布団を押し入れから取り出し、布団を重ねてゴロゴロする。

ゴロゴロしながら手持無沙汰なので考え事をする。

「しかし、平日の二度寝はそこまで気持ち良くないよな。」

そう思うと、平日と休日の二度寝の違いが気になり始め、僕は分析を始めた。

平日の朝は、アラーム音を合図に二度寝を始める。その後、二度目のアラーム音が10分後に鳴り、目覚める。
休日である今日も、平日と同様にアラーム音が鳴っている。全く朝のパターンは同じだ。

しかしこの二度寝の気持ち良さの違いは何か?僕は真剣に考え始めた。いつもの寝起きの記憶を辿る。

しばらくして、目覚めに対する気持ちが違うことに気づいた。起きる必要性があるかどうかということだ。
平日は起きないといけない。休日は起きてあげている。目覚めに対する精神的優位性の違いで、二度寝の価値が変わっていたのだ。

この結論をもとに二度寝の基本定義が定まった。
二度寝の価値=目覚めの瞬間
目覚めを制する者が二度寝を制する。と言えるだろう。

「優位性かあ。目覚めに対する優越感や劣等感が、二度寝の気持ち良さに影響を与えるのか。二度寝の長さが重要だと思っていたのに。 もしそうなら、時間に追われるこの日本社会は、二度寝の本来の価値を奪っているのかもしれない。」

妄想が加速する。

人間は元来、目覚めに対して優位に立っていたはず。 赤ん坊の頃は、はっきりと目覚めることに何の制約もなく、完全に自由だった。 だが、人は社会と時間のルールを作り出した結果、目覚めの優位性を失っていっているのではないか。何をやっているのだろうか。

現代社会に対しての提言で、妄想の飛躍が一旦収まり、現実に戻った。

今日は、時間の縛りがなく二度寝本来のポテンシャルを味わったのだな。僕は考えがまとまり、深く納得をした。
さあ、そろそろ起きようと立ち上がろうとするとき、気づいてしまった。

「あれ?そういえば僕は一度目のアラームに対しては、平日も休日も常に起きてないな。」

なぜ僕は短絡的に二度寝をしているのか?一度目の目覚めに対して起きてあげることができたら、もっと気持ちが良いのか?

僕は探求のため、身体を倒し再び眠りに入った。

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