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グッバイ青春

現在私は大阪で引っ越し作業中です。物をどんどこ捨てています。
奨励会を退会後、先日幸いにも、東京での就職が決まりました。
そのため、新天地に移ることになり、10年前に地元である福岡の高校を卒業をしてから移り住んだ、大阪の一人暮らしの家から離れることになります。
10年間となると、家には沢山の思い出があるし、当然ながら、物も沢山あります。悲しいかな、私の力では片付けが思うように進まず、2日前に母が福岡からわざわざ手伝いに駆けつけてくれました。

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引っ越し先に送る荷物を段ボール数個にまとめ、ガムテープで閉じる。
粗大ゴミとして捨てる為に、物干し台は400円シール、簀の子は200円シール等と、処理券を貼り付ける。今迄一人でしていた時とは違い、母が手伝いに来てくれたお陰で着々と引っ越しの作業が進む。
「あ、そう言えばそれは、いくらのシールなんやろうね」と、母は、私が座っている座椅子に指をさしながら言った。
その座椅子は、見た目がもうぼろぼろで、背もたれのカバーには穴が空いている。私は立ち上がって座椅子に目を向けて、昔を思い出した。

今から6年前に、ピカピカの座椅子は我が家に来た

それから、来る日も来る日もこの座椅子にもたれながら、パソコンを用いて、将棋の研究をしたり、盤に詰将棋を並べて解いたりもした。仲間が家に来る時は、座椅子は特等席扱いになり、座る権利を賭けてじゃんけんをしたり、将棋を指したりをして勝負をつけていた。先輩が家に、将棋の稽古をつけに来て下さった時は、進んで座椅子に座る事を勧め、強い人の力が椅子に染み込んだと勝手に喜んだりもしていた。奨励会で、負けすぎてうんざりしている時は、この椅子にだらけて座り、お菓子をやけ食いしながら、映画を見たりもしていた。昇段した時は、この座椅子に座って、ビールを飲んで、喜んだりもしていた。私の家の中での行動の全てを知っている存在だ。
座り心地は、椅子のカバーに穴が開きまくっているが、今も悪くない。むしろ、ボロボロな所に前より愛着が湧いている。

長年共にした戦友。背もたれのカバーが破けている。




そんな大事なものだが、引っ越し先には持ってはいけない。だから、捨てないといけない。
「200円シール、400円シールのどちらだろう?」と母に話した。分からないので、「座椅子粗大ゴミ値段」で、スマホを用いて調べようとしたら、自分のスマホが無いことに気づいた。
あれ?ついさっきまであったのに。

母ちゃん、スマホがない。電話をかけてくんない?

母が電話をかける。ブーブーとかすかな振動音が部屋の何処からか、する。マナーモードにしてたから、派手な音が鳴らない。最悪だ。仕方なく耳を澄ませる。音に意識を集中しても、全く何処にあるか見当がつかない。私は段々と焦りが募り始め、あろうことか、ついさっきガムテープで止めたばっかりの引っ越し用の段ボール群を開けまくった。全然見つからない。何度も電話をかけてもらう。仄かな振動音が部屋を包み込む。

私は何を思ったのか、座椅子に目をやった。それから再び振動音に、耳を澄ませる。ん、座椅子の後ろから微かに音がした。座椅子の背中の部分に手を当てる。何かが入っている感触があった。
驚いた事に座椅子の中にスマホがあったのだった。

もしかして、捨てられるのが嫌でスマホを隠したとね?自分は、引っ越し先に持ってかれんから嫌やったんか? 

と、私は何故かそう思った。そしたら、母が「今まで、晴大をありがとさん。でも連れて行かれんとよ。本当にごめんなさい」と、話しかけた。

私も、「ごめんなプロになれんくて。でも本当に今までありがとうね。捨てるまで、まだ時間はある、それまで座っとくから許してや。でも携帯とか隠すのはもう勘弁な、少しやり過ぎやで、スマホを探す為に、段ボールを開けまくって母ちゃんキレかけてたからな、怖いんやで」と話しかけた。

座椅子にこれまでの感謝で撫でる。今迄ありがとよ!

座椅子が、スマホを隠したという考えは、突拍子で変だと感じるのが普通だと思う。ただ単に、ひょんなことで、座椅子のカバーの空いている穴にスマホが落ちたと言う、解釈が一番一般的で多分真実だ。
しかし、座椅子を捨てようと言う話を進めているタイミングでの出来事なのもあって、その突拍子のない考えをその場にいた二人はその時、信じてしまったし、座椅子の、最後の悲しみの抵抗を心から感じとってしまった気がしたのだ。

私は、生き物だけでなく、物にも心、魂、はあるとも思った。
長く共にすると、物ともなんとなく通じ合えるのかな?と想像した。そう考えた方がなんとなく楽しい気がした。
皆さんもこのような経験をした事はあるだろうか?

私は、その後、引っ越し先に送る用の段ボールを開き、しまってある将棋の駒を見た。ずっと苦楽を共にした駒達がある。将棋は私の人生の一部、いや殆どだ。
これから、しばらく仕事が忙しくなって、駒を触る時間は今までよりは減るだろう。
でも頭の中ではいつも将棋を思い浮かべているよ。また盤上で駒を触る時、力を貸してくれると嬉しいな。俺はずっと将棋が大好きだからな。

私はいつものように座椅子にもたれて、思いを馳せた。



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