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宗教と戦後思想史⑥

 もう一つ、要点だけふれておきたい。それは宗教建築における合理性についてである。私は宗教建築も合理的であった方が良いと考えている。これはしかし良いとか悪いとかの問題ではなく、 本質的に建築に含まれているものである。 しかし、仏教で説く理と事の関係と同じ様に、本質的に内蔵されているとするのは理論的考察であって、これを建築という具体化されたかたちに現わすのには意識と方法が要る。 しかしこの考え方を積極的に宗教建築に導入した場合、やはり従来の概念との間に若干のずれが生ずる様に思われる。 例えば堂内における大量の信徒の行動は混雑するよりは円滑である方が良いにきまっている。 

しかしそれは平面計画を決定する重要な因子であり、それは当然空間を決定する因子でもある。そしてその様な考え方によってつくられた宗教空間は おそらく従来の固定観念からはみ出したものであるに違いない。 従来の宗教建築の多くは、広い堂があって、少し乱暴な言い方を すれば、あとは勝手に出はいりして呉れというようなものだった。そこに収容出来る人数に見合ったアプローチを確保するという考え方に基づいてそれはつくられていない。

神殿が文字通り神の家であったころ、宗教建築はその中に民衆を容れる空間ではなかった。 キリスト教がローマの国教となったころ、民衆は堂の中に入る様になり、宗教空間形成の方法に大きな変化がもたらされた。その後、現在に至るまで、このとき程の革命的な変革はかつて宗教建築におこったことはなかったと考えられる。

 仏教建築においても大体似たようなものである。江戸時代においてもなお、民衆の座は堂の前の庭でしかなかった。たしかにそこには堂の広さに見合うだけの履物を脱ぐためのスペースはどこにも見当らない。神社においても昇殿を許されるのは一部の人だけで、一般民衆はワニ口を引っぱって廻れ右をして帰えって来るだけである。それは今でも変らない。
 民衆の座は依然として戸外にあるべきだと本気で考えている人が最早あるとは思われない。それならば民衆の座は確保されるべきだし、その人達の入場・退出の円滑化は建築を形成する重要な因子であるべきである。しかしそれが円滑に行われると、そこでは信徒はあたかもベルトコンベヤーで運ばれる如くにさばかれる等と云って見たくなるものの様である。円滑化を否定するということは混乱を支持するということであるはずである。 出口を求めて押し合いへし合いする雑踏の中にこそ、人間的なふれ合いがある、とする様な考え方がもしあるとするならば、それは傍観者のたわごとというものであろう。

写真集 人間革命の記録 写真評論社昭和48年3月8日 



宗教建築を壊した理由は、画期的もしくは革新的すぎて当時の民衆に受け入れられなかったから。⑥番が最後なんですが、原因が書いてありました。

日達上人が亡くなられて皆
魔がさしてしまった。
魔境に入る
荒行した挙げ句神がかり的になり
宗派が枝分かれした
仕方ない

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