見出し画像

宗教と戦後思想史⑤

キリスト教徒でない者でも、ゴシック聖堂の薄明の空間に差し込むステンドグラスの美しさや、荘重なオルガンの響きに、ある感動を体験した者は少くないと思われる。
 それは芸術体験であることは間違いないが、少くともキリスト教徒でないものにとって、その感動はただちに宗教体験と云い得るものなのだろうか。
 それは、建築空間とオルガンの響きと、それらが一体となって展開される荘重なドラマから与えられる感動であって、その建築空間がその様な感動を与えるということについては、その建築が、その宗教の精神の正しい反映であることによって、その様な感動的な空間を創り得たと考えられるので、その意味ではその建築空間は、その宗教と切り離して考えることは出来ないのであるが、異教徒がそこで受けた体験はそのままでは宗教体験ではないに違いない。宗教体験は信ずることによって得られると考えられるからである。

 そこに宗教建築というものが、他の建築とは異なる特殊な分野と見なされるゆえんの一面がある。それは一口で云えば、宗教というものが客観視出来るものなのかどうかということ、もっと端的にいえば、その宗教を信じていなくてもそれを創ることが可能かどうか、その態度の決定が、宗教というものの本質に対する態度の決定と不可分である点において特殊なのである。

我々に感動を与える優れた宗教空間の数々が、すべてその宗教を信ずる人々によって祈りの表現として創られたものなのか、或はその中のあるものは、異教徒によって、その本質が客観的に把握された結果のものなのか、いま私はそのすべてを詳に知らない。したがって宗教建築はそれを信ずるものによって創られるべきであるとか、或は宗教空間はこうでなければならないという断定をいま私はしようとしているのではない。また、これまではすべてそうであったから、これからもそうあるべきだという事も云うつもりはない。もしそうであるならばこれまでの宗教建築の多くは、その堂内は決して明るいものではなかった。したがってこれからの宗教空間も明るくてはいけないという結論に達せざるを得なくなる。その対象とするものが変らなければこの推論は正しいであろう。しかしその対象が異なるものならば答えは一致す るとは限らない。 薄明の空間を否定する答えがあっても良いはずだし、明るい空間とこそその宗教の最も素直な祈りの表現であることもあり得るわけである。しかしそれにしても何故薄明の空間が 適切な宗教的表現とされたのか、また現在でもなおその様な既定概念によって宗教建築が、というよりも宗教というものが考えられているのだろうか。

 ガヤ城に近い菩薩樹の下で成道した釈尊は、はじめに華厳教を説き、以後、衆生の機根に応じて種々に法を説き、初成道後四十余年にして始めて、釈尊出世の本懐とされる法華経を霊鷲山の二処三会に説いたと云われている。そして釈尊滅後は、従浅至深の仏法流布の原理の通り、先ず水乗が流布し、次いで権大乗が、そして末法に至って実大乗が成仏得道の法として衆生の間に弘通された。

『小乗教では人間のいっさいの苦悩の原因は煩悩にあるとし、その煩悩を断ずることによって、苦悩を消滅しようとした。しかし そうした煩悩は究極するところ自我の存在そのものに行きあたらざるを得ない。 (中略) そこで、自分というものを否定することになり灰身滅智して「空」に帰することが小乗教の理想とする涅渠ということになる。

権大乗教では、そうした小乗教の自己否定の行き方を否定して常住の幸福境地を求めようとはする。だがそのために説いたのは他方の仏土という考え方である。(中略) したがって、この世を離れた西方の極楽、東方浄瑠璃世界などに常住の幸福世界があるとしたのである。
 法華経はこれを更に否定して、

中略

池田先生と北海道旭川の信者のみなさんとで記念写真 


一人で日蓮正宗創価学会をやろうか。昔を懐かしむ会。
青春時代に静岡のお山に行っていたご婦人たちは、昔の大石寺の写真(拠点に新聞のファイリングを持ってきた方がいて)を懐かしむのですが、今の大学生や若者たちは当時のことは「とても悪い事」として教えられているので無視する。私は現在はこういう風に教えている事を知らなかったので、なんだかなと思ったのですが、仕方ないのでここにこうして写真や文章を掲載しております。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?