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宗教と戦後思想史④

そのためには機会原因論の如きものを持出さねばな るまい。しかし最早それは通用しない。

色心は二にしてしかも不二であるとする生命観に基づくとき、 建築を形成する二つの因子を不可分の統一体に導く論理をそこに見出すことが出来るのである。 色法と心法は二にして、しかもその当体は一人の生命であるが故に不二であるが如く、建築を形成する因子もまた一個の建築として存在するのだし、それはいかなる部分にも同じように存在するからである。

建築は普通、床と壁と屋根によって構成されると考えられる。 しかしこの三つの構成要素の中で床の意味は他の二つとは同じではない。床は人間が行動し生活するためには不可欠の要素である。もちろん壁も屋根も欠かせないものではあるのだが、その意味は少し違う様に思われる。 床が行動のために欠くことの出来ないものであるのに対して、壁や屋根は保護のための性格が強い。 昔の建築を見ると、保護のための空間が建築と呼ばれる対象である場合が多い。民家の土間は捌き固められてはいるが大地そのままであって、建築物としての構築が特に行なわれているわけではない。

中世の聖堂の床は石で敷きつめられているとはいえ、それは大地そのものと見ることも出来る。しかし建築が多層化して来るにつれて床は壁や屋根と一体のものとして建築に組み込まれて来る。そして現代の高層建築においてはむしろ床は屋根の領分にまで入りこみ、屋根は事実上屋根ではなくなってしまった。あれは最上階の床であって屋根というものではない。

 また、床は行動するために必須のものであると同時に、その下の階の屋根的な意味をも兼ねるものに、そこではなっている。こうして屋根も床も本来の意味を相互に稀薄化し合っている。屋根がそこからなくなったとき、建築は本来どうしてものがれられないはずの重力との戦いを意識の外に置いてしまった。重力との戦いということは決して自然を敵視することではない。意識するとしないとにかかわらず、建築するということは重力に抗することなのであるから、そのことを意識するということは、むしろ自然の存在を常に意識することであり、それは必然的に我々を自然と人間とのかかわりに、自然の法則性への関心に向かわせる。

 多層化建築、いわゆるビルと呼ばれる建築にはそれなりの必然性があったし、それなりの意味もあった。それは将来もあるであろうし、社会はそれを必要とするだろう。けれども街を埋めつくすビルを建てるとき、その一人一人の建築家が、ゴシック聖堂のアーチを架けるときのマイスターの、重力にして行為することの重みを、自然というものへの敬虔な恐れを実感したとは思えない。それはたしかな科学の裏付けがあるからだと云えよう。それはその通りであって間違ってはいない。しかしそうであるからこそ、そこに過信と安易な慣れがなかったとは云えない。その過信と慣れが、建築は自然とのかかわりなしに存在出来ると錯覚させ意味の追求の喪失は、同時に根源的なものへの探究の姿勢も失なわせた。安易な結合は相互に干渉し合って、夫々が夫々の意味において存在することをさまたげ、それは真の結合をさまたげ る。自然との共鳴であるべき空間はそこからは生れない。

 ある建築を創る場合、その内部空間を明るくしたいとか、薄暗くしようとか、或は繊細であれ豪華であれそれは何でも良いのだが、ある明確な意図に基づいて設計する。そしてその意図は出来るだけ正確に伝達された方が良い。そのためには、図面や模型では表現し得ないことは大いに言葉で表現すべきである。しかしその建築が完成した後では言葉の補足は無用である。
 ただ、こういうことはある。
 例えばある建築家が宗教建築を設計したとする。彼は、それは私でもかまわないのだが、これは一般論でもあるので一応ここでは彼ということにして、彼はその空間を出来るだけ明るいものにしようとした。何故ならば彼にとっては宗教とは明るい存在であったからである。その建築を見たある人が、この堂は少し明る過ぎるので宗教建築としてはあまりふさわしくないのではないかと云ったとする。この場合、その建築家の明るくしようとした意図はそれを見たその人に美事に伝えられたわけである。

従って彼の意図はその面では成功した。しかし宗教建築としてはその明るさ は適切ではないという批判からすれば彼の意図は成功しなかったということになる。それは云うまでもなく彼が創ろうとしたの は、その目的は、明るくすることなのではなくて、宗教建築を創ることであったからである。そしてこの様な喰い違いの原因は宗教そのものに対する理解の違いにあると思われる。このような喰い 違いは出来ることならば、ないにこしたことはないので、そのためにはその建築家が宗教空間を創るに当って、宗教というものについて、どの様に考えているか明らかにしておいた方が良い。

ギリシャ産の白大理石に装われた円融閣の柱
六千人を収容する妙壇内部

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