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【復刻版】放射能汚染・5年目のチェルノブイリ 【第2回広がる汚染・大地から食卓へ】

【この記事は復刻電子版です。最新の記事・情報ではありません】1990年に取材。同年10月に集英社・週刊プレイボーイで連載した記事を編集しました。※当時の「白ロシア」は「ベラルーシ」と表記しました。

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チェルノブイリ原発事故から5年目。事故後、放射能汚染地域からは、悲痛な市民の声が聞こえてきた。放射能は、大地を汚染し、農作物、そして食品へと汚染を広げていった。人々はどのように身を守っているのだろうか。ベラルーシの汚染が高い地域に入り、事故後の影響を追った。
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汚染した暖炉、小さな「原子炉」

ベラルーシ共和国の東・モギリョフ市からさらに車で2時間ほど走った。目指すは『ホットポイント』である。
ホットポイント−−−−人々がこう呼ぶのは、チェルノブイリ原発事故の影響で放射能が部分的に極めて高い場所のことだ。ホットポイントは、れんげ畑の中にあった。案内の行政官はニコニコしながら畑の中へ入った。このあたりの空気は明らかに放射能の塵を含んでいる。車のドアを開けると検知器のカウンターが上昇し ホットポイントのすぐ近くの道路では、東京の放射線量の7~8倍を示していた。

放射能を気にせず、れんげ畑の中を歩き回っている行政官に続いて、ホットポイントの中に検知器を置いて計測をしてみた。
放射能検知器は点滅を開始する。通常の35倍から40倍の数値が出たところで、まわりをじっくりと眺めてみたが、なんの変哲もないれんげ畑である。つい最近まで人々はここを耕し、食物を生産していた。

このホットポイントのあるチュジャヌイ村は無人の村になっていた。昨年、移住が終了したばかりだという。行政官の案内で、誰もいなくなった民家に入ってみた。暖炉がある。村の人々は薪を暖炉で燃やして暖房にする。木の燃えて灰が残る暖炉の中は放射能レベルが高い。降り注いだ放射能の塵がついた木を燃やしたため、灰に放射能が凝縮したのだと思うわれる。
「暖炉が小さな原子炉になっている」という噂は本当だった。

避難の終了したチュジャヌイ村から車で15分も走ると、隣村のウェブリン村がある。ここは避難が始まったばかりだ。ウェブリン村の汚染は1平方キロメートルあたり33キュリーというから、日本では文句なしに立入禁止区域になる。

人々は4年間もここで暮らし、つい1年前まで汚染食物を食べ続けていたのだった。
「リンゴもキュウリもトマトも食べてはいけないんです。全部買っててくるんですよ。林にも入ってはいけないことになっているけど…。2回だけキノコを採って食べました」
買い出しから戻ってきたタチアナ・ホロビコワさんと話していると、近所の主婦が自分の家の放射能を測ってくれと言ってきた。

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