作品「ならまちの古本屋」


ならまちの古本屋          
 
 
奈良町は
ところどころ崩壊気味の
迷宮である
もともとは
世界遺産にもなっている
元興寺の敷地だったらしい
縦 約五〇〇メートル
横 約三〇〇メートル
迷うにはちょうど良い狭さといえる
いりくんだ細い路地には
古い
 家屋
 料理屋
 和菓子屋
 博物館
 雑貨屋
 庚申堂(こうしんどう)
 銭湯
 漢方薬局
 見せ物小屋
 古道具屋
 喫茶店
 蕎麦屋
 造り酒屋 等々
これらが 
奈良の宗教文化というスープに浸され
それぞれが
ごった煮の味わいである
さて
そんな奈良町の中心より少し東
注意していないと素通りしてしまいそうな
目立たない古本屋がある
外観も内装も
元の民家をそのまま使っているので
靴を脱ぎ
畳の部屋で本を眺める
下宿している友人の部屋に来たみたいだ という人もいる
初めて行ったとき
ぼくは つげ義春の漫画の世界に入り込んだ気がした
うらぶれつつも不思議とあたたかい空間
店主は七〇年代前半に学生時代を送り
世界中を旅した人だ
ヒッピー文化を
今に受け継いだ希有な人と言ったらよいだろうか
一番奥の部屋に座り
なんとなく話し始める
音楽がいつも流れている
古い
 ロック
 フォーク
 民族音楽 等々
明るいうちから
お酒もふるまわれる
なんといっても
この店は「酒仙堂」というぐらいなので
「おいしい日本酒もらったんですよ 飲みますか」
「そりゃ どうも」
午後二時に飲み始め
ふと気づくと
日が暮れかけていることも
よくあったりする
「じゃ そろそろ帰ります」
「そうですか」 と言葉を交わし
少し浮遊しつつ
ぼくは店を出る
最近 
この店で本を買っていないなあ と思う
でも 
また行きたくなるのは
小さなこの店が
さえぎるもののない
本当の自由を
なんとなく
実現している気がするからだ
 





 

『歩きながらはじまること』(七月堂)収録
『朝のはじまり』(BOOKLORE)収録


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