いつも雨が降っていた(ながめぐ論 01)

いま、日本のジャグリングは大きく変わろうとしている。もしかすると変わってしまっているかもしれない。ながめくらしつとその周辺が変化の嵐の中心にほかならず、すこし書いてみようと思う。

両国パフォーマンス学会に何回か寄稿しながら考えてみた結論のひとつは、日本の「現代」ジャグリング文化はまだ15年とすこしの歴史しか持っていない、ということだ。1999年の日本ジャグリング協会の設立と JJF:ジャパンジャグリングフェスティバルの開始がその原点である。わざわざ現代ジャグリングと銘打ったのは、ここからジャグリングの自由化と大衆化とが始まったからだ。それまではごく限られた芸人のものであって一般人が趣味や楽しみのために行うものではなかったのである。

その15年はさらに、前半と2007年以降の後半の二つに分けることができる。その短い歴史の中で、特筆すべき人をあげておこう。池田洋介、セバスちゃん、矢熊進之助、森田智博、KOMEI AOKI、目黒陽介、謳歌、小林トモヒロ、青木直哉、山村佑理、山下耕平、宮本浩市、丹哲郎、宮田直人、大平道介、大橋昂汰。すべて、JJF出身すなわちアマチュア出身のジャグラーである。

とくに目黒陽介は日本初となるジャグリング「カンパニー」であるながめくらしつを主宰し、1時間を超える単独の舞台を作り上げた。その作品は様々な形で2008年以降の現代ジャグリング界を揺り動かしている。その他の人たちの貢献はいづれ触れたいと思う。

ながめくらしつを知ることは直近5年の日本のジャグリングシーンを知る上で欠かせない。その理由は、ながめくらしつとは一つの表現であって、そもそもジャグリングを主体とする作品が表現にかかわることがまったく珍しいものであったからだ。いまここのジャグリングシーンは表現とジャグリングとのせめぎ合いで成り立っているのだ。僕はこの現象に「ながめくらしつは暗い」と名前をつけてみた。

ながめくらしつの作品を見た感想の多くは、よくわからないけれどなんだか凄かった、というもののようだ。これに対して目黒は言う。簡単なのだと言うのだ。

それを聞いてそのままに納得した。そうか、ながめくらしつは簡単だ。

いつも雨が降っていたのだ。だから暗い。


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ながめくらしつ : 目黒陽介が主催するジャグリングを基点とした・音楽・パフォーミングアートなどからなる舞台創作集団 http://nagamekurasitsu.com/

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