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間の季節

ブリキの馬が逃げてゆく
おまつりの終わる夜が来た
火の輪くぐりのライオンが
たてがみ燃やし街を焼く

重たい夜気が肌をふさぐ。まとわりつく熱を不快と感じない。
7月の夜は液体に似ている。闇がかたちをとり、視界の端でひそやかに蠢く。
なつかしい、と思う。
ヒトでもヒト以外でもない、架空の生きものをずっと慕わしく思っている。彼らに混じることができそうな気がするのが、おおよそ小暑から立秋までのみじかい期間。
混じって、戻って来られなくなればいいのに。若い頃はしばしばそう思った。ささやかなねがいは叶わず、今もここにいる。
7月の異名は、鬼月という。このまえ知った。

セロハンのボートにゆられ 花嫁が他所に売られたよ
アルミニウムの長襦袢 月光でできた消しゴムで
僕だけの 夜を消さないでよ

境界を越えて、戻る。その過程で、目をそらしつづけてきた闇を、のぞきこむ。好きな物語は、7月にまつわるものが多い。
京極夏彦『姑獲鳥の夏』。見事な構成と演出で、ひとりの男の精神的な死と再生をエンターテイメントたっぷりに描く。さすが戯作者と、感嘆のため息をつく。何かを書くときの手本は、いまも講談社ノベルス版の姑獲鳥だ。あれは、文がページまたぎをしないよう、工夫されたその後の版とはちがうから、ほとばしる生のエネルギーがひときわ光ると思っている。ひとつだけ言わせてもらうなら、涼子さんは都合の良すぎるキャラクター設定だけれど、それも戯作なので、ゆるせる。
江國香織『なつのひかり』。今でこそ恋愛小説の大家のように言われている、江國さんのファンタジーの系譜に連なる小品。逃げ出したやどかりが呼び水になり、兄と愛する妻、「誰も逆らえない」愛人の順子さん、そして主人公という家族がしずかに崩壊していく物語。もしかすると後年発表された『抱擁、あるいはライスには塩を』の原型がここにあるのかもしれない。
吉本ばなな『N・P』。これは季節が夏というだけで、明確に7月とは示されていなかったかもしれない。近親相姦という要素が取り沙汰される傾向にある気もするけれど、それはおまけで、いつかばななさんが紹介なさった、故さくらももこさんによる評「いろんな瞬間に、自分はなぜここに居るのか、自分の存在は何だろう。自分はここに居ていいなんて誰からも言われてないのにここにこうして居ることの不安定な位置の中で、これが全てであると気づいて実存と虚像を含む全てが在る事の仕方なさの中で、哀しいとか切ないとか楽しいとか美しいとか、それらが流れていく時を静かに見ている自分が確かにあり、それが自分だという事を感じていることが、あの「N・P」という作品の中にはずっと流れているように思ったよ、わたしゃ。」が、ほとんどすべてを言い表していると、思う。

今夜の月は何処ですか 南の国へ逃げたのですか
ピストル鳴らすおまわりさんを 殺して南へ逃げちゃった

「キレる17歳世代」という不名誉な呼ばれ方をする世代に、生まれた。
静岡、神戸、秋葉原。行いを目にするたび、通り魔という言葉について考えてきた。魔がさす。魔である。魔とはなにか。私は、魔なのか。
生まれついての?

結果的に前に進ませてくれるものという解釈は、目から鱗。そうして、納得しきれないものを抱えながらも、腑に落ちる。
言わずもがな、被害にあった方のことを思えば、簡単にそう言い切ることはできない。
それでも事件が世間を騒がせて、いろいろなことが少しだけ前に進んだ。そのことは、本当。
明後日は、5年前に相模原の事件が起きた日。彼はまた、少し歳下であるけれど。

今夜ゆこうよ 満月をつかまえに
君とゆこうよ 満月をつかまえに

魔は間でもあるかもしれない、と思う。
結果的に前に進ませる、その前に苦しめるもの。
どっちつかず、停滞、中途半端。足止めされるもの、ところ。
何かを決めきれずにいる、そのことがいちばん苦しいのではないか、と最近は思うようになった。
腹さえくくれば、たいがいのことはなんとかなる。その前におとずれる一時停止。
ただようぼんやりした苦悩は、7月の夜によく合う。肌をふさぐぬるい夜気は、いつか別れを告げた羊水に似ている。

姑獲鳥の夏の関口くんも、なつのひかりの栞さんも、意志とはかけ離れたところで小さな冒険に巻き込まれ、腹をくくって深淵をのぞき、悲劇を知って還ってきた。
成長とも呼べないくらいのそれは小さく、不可逆な変化。戻れないことは、絶望とおなじ。
そして、無理に見出すまでもなく、希望とおなじことと思う。

忘れられない7月の月の夜

どうやら小さな冒険がはじまった。
物語と違うのは期限が見えていることで、それもほんとうに期限なのかは、生きてみないとわからない。
なんだかねえ、この年でそんなことになるもんだねえ。
嘆息しながら、38歳で漫画家デビューした矢部さんや、40歳を過ぎるまで赤貧にあえいだと言われる水木御大を思い浮かべ、ラジオ体操でもするかと立ち上がる。

※引用部分:たま「満月小唄」 作詞:柳原幼一郎 作曲:たま

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