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どんぐり

数年前に就いていた訪問介護の仕事では、時々訪問先の人たちから贈り物をされることがありました。現在はどうかわかりませんが、少なくとも当時の介護業界では、利用者さんから贈り物を受け取ることは(お茶一杯すら)禁じられていましたので、基本的には丁重に感謝の気持ちを伝えつつ、お断りすることになっています。もっとも私は、状況に応じてそれを受け取ることもあったので、介護の仕事はとても好きでしたが、介護士としてはどちらかといえば、不良だったなと自覚しています。


「食べなくちゃと思うんだけれど、食欲がないんだよ。ひとりで食べてもおいしくない。今作ってくれたもの、もしきみのお昼がまだなら一緒に食べないか?」あるとき、利用者のひとりから提案されたことがありました。メニューはなんてことない、数種類の野菜やベーコンを入れたスープと、バターを塗ってチーズを乗せたトーストなどです。少し迷ったあと、「ご一緒してもよろしければ」と、提案にのりました。

この利用者さんは、つい最近までは自分で散歩に行くことができ、散歩の帰りに自分で好きな昼食を買いに行くのが日課でした。ある時、ちょっとした道路の段差につまづいてしまい、足を骨折したことにより、外出が思うようにできなくなってしまいました。それと比例するように、彼の食欲は次第に落ちていき、体も少しずつ痩せていきました。訪問介護のチームみんなで、食欲のわくメニュー・食べやすいものなどについて、試行錯誤していたのですが、なかなか彼の食欲は回復しません。


そういった経緯の最中にあって、仮に一緒に食べることで楽しい気持ちが湧き、食事が少しでも進むのだったらまあ、不良介護士の役を引き受けたって別に良いかなと思えてきました。作った食事を二つのお皿とお椀によそってテーブルに並べ、小さめの音量で流れているTVのニュースなどを見ながら、時々短い会話を交えながら、お互いゆっくり食事を摂りました(彼は体調の問題でゆっくり食べることしかできないし、私はもともと食べるスピードが遅いので、ちょうど同じくらいのペースでした)。その日、彼は私の出した食事を完食しました。


掃除をしたり、食事を作ったり一緒に食べたりしながら、ぽつりぽつりと紡ぎ出される彼の話を聞くのが好きでした。家族の話。仕事の話。戦争で間一髪、命拾いをしたときの話など。

あるとき、彼が先日通ったデイサービス(日帰りで食事をしたり入浴したり、リハビリを兼ねたレクレーションなどをおこなう施設)での散歩の時間で拾ったどんぐりをくれたことがありました。こげ茶色で、ぴかぴかのとても綺麗なやつです。嬉しくなって掌で大事に包みこんで持ち帰りました。



また、あるとき、別の利用者さんから本を贈られたことがありました。何気なく背表紙を見てみると、大変高価な本だったので慌てて「いただけません」と言いました。彼女は穏やかな表情を変えずに「あなたの娘さんは、保育園時代に辞書や電話帳を愛読書にしていたとお聞きしたので」と言い「この本も気にいるのではないかなと思いました。コミュニケーションなど、苦手なこともある娘さんかもしれませんが、きっとこれから色々なことを吸収して、その能力を活かす時がくるはずです」そして彼女は「どうせもう読まない本なので」と付け加え、静かに微笑みました。

散々迷った挙句、分厚い本を大事に抱えて帰宅しながら(これはどんぐりだ)と思いました。この本も、私や、私の子どもの未来が開けることを祈り、最善を願う彼女の気持ちも「ぴかぴかのどんぐり」だと思いました。それは大人に内緒で立ち入り禁止の空き地で拾ってきた、いっとう綺麗などんぐりのように感じられました。



人と関わるというのは、その関わった人が自分の一部を形作るという事だ、と思います。少なくとも私にとってはそうです。私たちは(意図しない形も含め、良くも悪くも)関わる全ての人たちと影響を受け合い、少しずつ変化を繰り返しながら生きています。私は、今も私の中にいる、ぴかぴかのどんぐりを贈ってくれた人たちの事を忘れません。それらは今の私を作ってくれた、重要な部分だからです。そして私も、今まで私にどんぐりをプレゼントしてくれた人たちのように、他者と関わっていけたら良いなと思うのです。元不良介護士のお話はこれでおしまいです。


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