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例えた瞬間に間違い

例え話をしてわかりやすく説明することはよくある。

僕も過去の記事で例え話を書いた記憶がある。

程度や頻度を表す例えはまだかわいいが本質を例えるものは曲者だ。

名言と言われるものの多くはことの本質をうまく他のものに例えて表している。

例えば、結婚は人生の墓場であるだとか、

これは、一見その通りだなぁと思えるかもしれないが、これでわかった気になってはいけない。なぜなら、過去のネットリテラシーでも行ったように、その二つは異なるものだからだ。

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それは物事の一側面的な特徴を説明しただけに過ぎない。

僕は理系大学生で大学の数学に苦戦しているのだが、友人に教えてもらうとき、例えや、イメージを使って教えてくれる。

その場ではよくわかったような気になるのだが、うちに帰ってもう一度考えてみるとよくわからない箇所がある。他の友人に説明しようとするとできない。つまり理解していないことがわかる。

それもそのはずだ。僕は例え話を理解したに過ぎない。

わからなかった数学的事実は理解していなかったのだ。例え話で理解できるなら、世の中の大学生は難しくて分厚い数学や物理の専門書を読む必要はない。

あるものAを説明するときに別のものBを使おうとするとき、全く支障が出ないようにするためには、Aにある特徴は全てBにもなければならないし、Bにある特徴は全てAにもなければならない。すると結局A=Bという関係になってしまう。

本質を知りたければ、そのものをきちんと考える必要がある。

例え話に置き換えると、「結婚とは人生の墓場である」について考えると、「夫婦喧嘩は何? 離婚は何?」と言った意地悪な質問に答えられない。

テレビやネット上で専門家が「〜は〜のようなものです。」という例え話を用いたら要注意だ。少し考えればそれっぽいだけのことがわかる。そこで理解しているのは専門家が用いた例え話だけだ。

専門家には、もし例えるなら完璧な対応関係を持った例え話を以ってして説明して欲しいと勝手なことを思ったりする。

例えた瞬間に論理関係は崩れてしまう。
例え話は、「理解の手助けとなる可能性がある」といった程度に捉えて、きちんと本体を調べて考える癖をつけたい。



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