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ご機嫌主婦を作る方程式
1+1=1にしたがる妻と、1+0=2だと思っている夫
「1人で生きていける2人が、それでも一緒にいるのが夫婦だと思う」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
Tiffanyの有名なキャッチコピーだったと思うのだけど、わたしの結婚生活を支える、重要な思想になっている。
婚約指輪も結婚指輪も、なんならつけっぱなしのネックレスもTiffany様なわたしは
結婚とは1(妻)+1(夫)=2(夫婦)の状態であることなのだ。
と考えている。
さて、この2という数字には、色々なものが当てはまる。
生活費
食卓のご飯の数
時間効率
思い出の数 ets...
良くも悪くも自然と2になってしまう・・・
いや、わざわざ結婚したのだから、2になっていることに目を向けるべきなのだ。
ところがどうだろう。
そもそも、自分は1として確立できているのだろうか?
自分が望んでいることは、じつげんしたら2になるのだろうか?
これはわたしが、ご機嫌な妻でいるための結婚の方程式の話。
鏡よ鏡、世界で一番ふきげんなのはだあれ?
結婚当初のわたしは、世の中に落ちている「旦那の愚痴の全て」を全てを、もれなく自分のものにできていた。
特に妊娠してからは、とにかく旦那にイライラする。
ちょうど旦那デスノートが流行っていた時で、Twitterを見ては共感し、友達に会えば旦那の愚痴を吐いていた。
イライラの原因は家事をしない。ありふれた、どこにでもあるイラ立ちだ。
自分の役割を勝手に決めて、決めたこと以外は絶対にやらない。
これが不倫やら借金があったなんて話なら、ツマミの一つにもなったであろうが、ただただ、家事をしない。
イライラの原因さえもつまらなくて、余計にイライラしていた。
ところで、自分のイライラした顔を鏡で見たことがあるだろうか?
「ぷんぷんした顔」だと思っていないだろうか?
違うよ?
そんなかわいい顔ではない。
ほっぺたプクーで想像していたならば
とんだ勘違いだ。
不機嫌ハラスメントなるものがあるらしいが
わたしのこの顔は、まさにハラスメント顔。不機嫌が服を着て皿を洗っている。
鏡よ鏡、世界でいちばん不機嫌な顔をしているのはだあれ?と聞けば
真っ先に「あなたです」というだろう。
この顔を、子供に見せたくないと思った。
子供にわたしのご機嫌とりをさせたくなかった。
でもイライラする。
愚痴をいいながら、子供が大きくなって離婚するのを待つか。
いっそのこと離婚してみようか。
毎日そんな風に考えていた。
Tiffany様が気づかせてくれたご機嫌妻の方程式
ふと結婚指輪をみつめながら、20%引きになったまるごとバナナをそのまま頬張る。
Tiffanyの結婚指輪。付けてることが当たり前すぎて、改めて見ることなんてなかった。
「1人で生きていける2人が、それでも一緒にいるのが夫婦だと思う」
この言葉を思い出す。
そこでわたしは、先に書いた自問自答をすることになる。
そもそも、自分は1として確立できているのだろうか?
はたまた、本当に2の状態を目指せているのだろうか?
考えてみれば、わたしは1として確立できていなかった。
夫がなにかしてくれることを期待して、自分で自分の機嫌をとれていなかった。
わたしは2の状態を目指せていなかった。
わたしが夫にさせたがっていたのは、自分がやってる1の事だったからだ。
2人で1のはずが、1+1=1にしようと動いていたし
1+1はどちらも自分の正義の1だと思っていた。
皿を旦那に洗わせたって、その間にわたしが何かを生み出せないなら、それはどっちがやっても1だ。
わたしが皿を洗うのがどれだけ大変かを、共有させたいだと気づいた。
夫は、自分が仕事をしていれば2になると思っていた
自分が仕事をしているだけでは、給料一人分で2にならない。
わたしは1+1=1
2になることを目指してなかったし
夫は1+0=2
自分が自分の生活だけをしていれば、2になると思っていた
これが私たち夫婦のケンカの原因だった。
そこからわたしは
1+1=1 はお互い補い合えてると安心していいこと
1+1=2 は感謝として伝えること
1+1=-1 は話し合うこと
と、自分なりの方程式を作った。
旦那が家事をしないことには変わりないのだが、その分子供の相手をしてくれることに目を向ける。
わたしが家事をして、旦那の給料で家族旅行に行けるなら、感謝の気持ちを伝える。
わたしが掃除した洗面所を2秒で汚したら、自分で掃除してもらう。
そんな風に家族の雰囲気と、自分の心のバランスをとっていけている。
これは、わたしが始めた物語だろ?
さらに大切にしておきたいのは
自分の1は自分で作り上げるということ。
夫はわたしを作ってくれないし、どんな1であるかは自分で選択するべきだと思っている。自分の感情のとらえかたも、また然りだ。
選択肢をや感情のコントロールを人に委ね続ければ、それは依存になる。依存の先にあるのは不自由だ。
ここまでの話を、旦那はリアルタイムでわたしの口から聞いている。
我慢して腹に抱えていたわけではない。
全部152キロのストレートでぶつけ続けていた。
なので旦那には「1であることを、放棄しないで欲しい」とは伝えている。
いろんな夫婦の形がある。
色々な方程式がある。
わたしは、1+1=2が、だいたいの不満を解決する方程式だと気づいてよかったと思っている。
子供に見せたい自分でいれている。
1人で生きていける2人が、それでもわざわざ一緒にいるストーリーを選んだなら
あえて自分が1として自立しなければならないことを忘れずに
歳を重ねていきたいのだ
……ちょっと旦那くん?コップ何個もだすのやめてもらっていいかな?
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