見出し画像

【無料エピソード7.5】思い出のCDを1000枚処分した話 断捨離(2024年)音楽やナンパはハマっても熱はいずれ冷めていく話

あなたは何か捨てられない物はありますか?

自分は学生時代に買ったCDだった。

他にも捨てられないものは亡くなった祖父に小学校の時買ってもらった大量のゲームソフト。これは死ぬまで恐らく捨てない。CD含め全て実家に置いていた。
音楽を追っかけなくなり、流行の曲をモテ、カラオケの為に聴くくらいにここ数年はなった。

先週アマプラでバンドアニメ ぼっち.ざ.ろっく!が配信されているのに気づき、見てみるとエモく懐かしくなり久しぶりにブログを書いてみた。
前に書いたのは2022年で丸2年ぶりになる。


高校で洋楽ロックを知る(モテないコンテンツ)

僕の音楽の始まりは高校3年、書店にロック総まとめ雑誌がありそれを何となく買った事。

過去50年のロック史が書かれており名盤100選が載っていた。そのCDをゲオで借りるとどれも良い。
ニルヴァーナ、オアシス、レディオヘッド、レッチリ、洋楽ロックが大好きになりCDをどんどん集めるようになっていった。

当時の自分は体育会系に属していたが結果も出ない、ヒエラルキーが低いので全くモテず、オタク気質、趣味もゲームソフトを長時間やるのみ。
このままではダメだ。
人とは違った趣味を持ちたいと探していた。その時に音楽を見つけた。

テレビゲーム自体レベルアップしても人生は変わらなく、飽きていた自分に打ってつけだった。
俺の生きる道はこれしかないと。
大学に入学すると雑誌ロッキングオンなどを買い、音楽オタクが出来上がっていた。そしてビクビクしながら軽音サークルに入る。(エピソード1黒歴史編参照)

この当時バンド漫画の金字塔「BECK」を読んだ事で日本人の数万人しか知らない様なクラシックロックの歴史が分かり、
扉絵のアルバムが欲しい!、ロック史を全て知りたい!音楽は自分の生きがいだ!と妄信していた痛い奴だった。
借りる音楽も名盤なのでそこまでハズレが無い。

一番好きだった90年代ロックアルバムを大体揃え、どんどん興味が広がっていった。家のCDはバイト代をほぼ注ぎ込み100枚、200枚、どんどん増えていった。

洋楽を聴くのはカッコいい!みたいな風潮は当時多少あった。
それが無くなったのは少子化になり、男でさえジャニーズなどを聴く様な環境になったかららしい。

今は多様性で細分化され、レコード会社社員のインタビューで「ロックは歴史が長くなりすぎたんです。長過ぎて分からないし、誰も昔を遡ろうともしない。」と言っていて目から鱗だった。

漫画beckには売れ線の下手なV系、アイドルをダサい音楽、洋楽はカッコいいという描写がある。末期では時代の流れかこの描写は無くなった。

ロック史を雑誌で学ぶと、この洋楽バンドはどこの流れのバンドなんだろうと次第に点と点が繋がり、それを面白いと思って沼にハマっていった。
このバンドの時代背景がこういう状況でこのCDを当時出したんだ!と夢中になっていた。

洋楽歌詞カードに書いてある時代背景のライナーノーツは何回も読んでいた。一番酷い時は解散したバンドのその時の内情を書いたムック本を買っていた…。

今では全く役に立たない知識だ。勉強すればどれだけスペックが上がったか...。

大学時代ブックオフを週3で徘徊、ネットで洋楽の希少盤がないかと毎日チェックしていた。
始めたてのゲームをサクサク攻略する様に集めそれが楽しかった。

CD、漫画を買うことがキツいバイトの慰め、彼女が居ない、モテない事の寂しさを埋めていた。

流行っていたスリーブ付き、デジバックの初回盤などを何回も探していた。今だと全く価値がない


タイミングがずれていれば人生は変わっていた


5年遅く生まれていたら僕は漫画BECKも読んでいない。ロックなんて聴かず、ストリーミングを多分聴いている。

音楽DVDも一枚8000円だったが今ならリッピングしてメルカリで売れば殆ど金もかからない。音楽に数百万掛けたのに、時代が変わってしまった。
当時ストリーミングも無くiPodにCDをリッピングすることが生きがいだった。
CDをパソコンにいれリッピング→iPod同期。次第に容量オーバー。同期に20時間、普通に聴いていたら1周するのに1カ月くらいかかる。

「いつか聴くんだ!」「音楽が自分を救ってくれたのでこれで良い」と散財に後ろめたさがあったが言い聞かせていた。結局全く聴いてない。
インプットしかしてなくアウトプット(声かけ)をしないナンパ自称中級者と似ている。


その当時のアイデンティティがロックに一番詳しい奴みたいなノリで今と余り変わらない。その知識があったしても一般人と話が全く合わない。

社会人以降ほんとに苦労した。
知らない事がカッコいいみたいな逆張り思想なのでモテる訳はなかった。

「俺はこう思います」と人と迎合しなく尖りまくっていた。(当時の売れ線エイベックスを聴くと頭痛がしていた)

軽音サークルに属していたので数人とはマニアロック話をした事もあるが、殆どの部員は今売れている洋楽バンド、邦ロックをかじったレベルで話が合わなかった。皆好きなバンドもバラバラだった。

これが普通なんだと卒業したくらいから気づいた。ロックが何十年も続いて、数千バンドいるのに好きな音楽が合う事は無い。

卒業後に「何音楽聴いてるの?(私の好きなバンドと同じかも)」とサブカル女から何度も言われる事に辟易としていた。
基本ロックでも同じバンドを好きになるのは稀で気が合う事は殆どない。サブカル女はモテないから逆張りでマイナーバンドにハマるのでほぼ可愛く無い。面倒くさいので自分からは絶対に話に出さなかった。

ナンパでも同じ事だ。同門の講習生でも気が合わない奴がいるのと同じ事。
逆張り思考の奴は頭がおかしい人が多い。
何故かは分からないがバンド好きは社会不適合な変人が多い。勿論まともな人もいるが。

ただ当時軽音サークルに所属していて本当に良かった。自分がオッさんになり「楽器を始めました」、「1人でギターしてます」、「10万のギター買いました」など言っても、今1人ですると確実に楽しくない。

若く価値観が同じだった奴が何十人もいたから楽しかった。皆、学生時代のモラトリアムの中でキラキラしていた。集団で合同ライブをします!など今だと絶対出来はしない。

一番楽しむのは青春時代にやっておくのに限る。何も知らないので心が感動して動きやすい。年を取ると感動が薄くなる。
あんな環境はもう2度とやって来ない。


ライブも気軽に見れる邦ロックが好きになり、ほぼ誰も知らないバンド、地元ロックバンドのライブに行っていた。
フェスに行ける彼女を作りたいとSNSで合流しましょうと何十通も送った事があるが、インキャ率が高すぎて10人は当日バックれられ、自分が童貞、アスペ過ぎて会ってもドン引きされる事が多かった...。
ライブで合流じゃなくメッセージでカラオケ行こうよとか言えばいい事にこの頃は気づいていない。今思えば初ネトナンだった。

どういう感じで会えばいいか分からなく、ハイテンションで行くとドン引かれる。行きたくないライブにも出会い目的で行った事がある。ここが辛かった。モテない事は辛い。
その当時はマッチングアプリも普及してなく、出会う事に壁があった。俺のスト値が低すぎた...。

この時、唯一数回あった当時30歳のメンヘラおばちゃんは数年後偶然行った整体で働いていた。聞くとハマりにハマっていたバンドにも全く興味が無くなっていた。世間は狭い。全然音楽でモテていない。ダンスかテニサーに入れ。

大学を卒業しても童貞のまま
卒業して軽音集団から離れると気づいた。一部のサークルメンバーと話を合わせる為に無理をして興味が無いバンドも聴いていた。わざわざCDも買った。
出会いが欲しく行きたくないライブにも行った。

僕は音楽に関わる人間関係で消耗していた。

音楽以外に趣味が見つからなく無理やり続け、
音楽系の対人関係で嫌な事が増え、楽しみより自傷行為に近くなっていた。
ほんの少し音楽に対する負の感情が出てきた。OB会なども徐々になくなっていき気楽に音楽を話せる相手もいなくなり音楽に対する熱量が急激に冷めていった。

「この音楽を聴いても話せる人なんていなかった。なんで誰にも話せない音楽なんて熱中して聴いていたんだろ」

洋楽雑誌もロックの衰退で廃刊、BECK、けいおんも終わった。
洋楽雑誌は音楽を誰かと一緒に話している様な心の拠り所だった。ライターの名前も覚えていた。それが無くなってしまった。
レッチリなど90年代バンドは長期休止が相次ぎ世の中はラップ.アイドルが主流になっていった。

僕は人と話が合わない、面白さを共有出来ない、聴いていてもモテない洋ロックに情熱を失い、邦ロックばかりを聴く様になった。

時は流れ。
CDはトータル1000枚になっており、数万するラックも購入していた。置き場所が無くなってから収集癖はピタッと止まってしまった。
ある程度音楽はこう言うものだと悟ったのかCDを買わなくなった。

社会人になり忙しく、生きるのに僕は必死だった。

CDラックを見ると完璧に揃えた名盤は壮観だった。ただ何年も経つと変わり映えの無いラックは処分しないといけないと考え方が変わってきた。
スペースが取られ邪魔だった。
就職してから営業に配属され、人と話が合わない事で苦労した。
日本でロックが好きな人はかなりの少数派で話が合わない。名前も知らないバンド名を出すと、社会で変人扱いされる。音楽が趣味、バンドを聴いている事を隠す様になった。
音楽に興味が無い一般社会はテレビで耳にする明るいキャッチーなカラオケで歌える曲を求めている。


モテに全く関係無かった。

たまに「邦ロック好きです!」と言う様な子(サブカル女子)でも芋インキャブス率が非常に高い。恋愛にはこのジャンルはかなり不向きだった。
性格が良い可愛い子はカラオケで歌える流行りの曲を聴いている。結局思春期にアイデンティティがなく、困って逃げ込むのがマイナーバンド。
理想 本⚪︎翼

現実 (サブカル女子)

学生ライブ、邦ロック会場でも50人に1人くらい飛び抜けて可愛い子がいる。

本⚪︎翼、前⚪︎敦子、宇⚪︎美里に系統が似ている。ただそういう子は大体コミュニティ内の演奏が上手い、歌が上手い、顔が良い、ヒエラルキーが高い奴が彼氏になっている。夢は無い
推しの子でも星野アクアがモテまくってるが、イケメン、ヒエラルキートップの旬な芸能人、医学部受験の才能、そういう掛け合わさった奴がモテる。


カッコよく見えた先輩も卒業後ギターが上手い取り柄がなくなると、社会的常識が無い凡人になった。

社会に揉まれ僕の精神年齢も変わっていった。

全く聴かないCDはインテリアになっていた。
spotifyを去年初めてまともに使ってみるとCDより音質が明らか良く所有している意味が完全に無くなってしまった。
ライブも単独は行かなくなり、ギターも引かなくなった。
何年も行っていたフェスもマンネリ化し去年は一度も行っていない。友達も転勤、結婚、疎遠になりコロナ以降ライブに行く事がなくなった。
ライブハウスに行くと大学生達がキラキラの状態で騒いでいる。それが失ってしまった若さ、疎外感、別空間になった。
ライブハウスに人が増えない事が大学生の時は不思議だったが、社会人で忙しいのに行く人は稀だと思う。時間があるアラツーの溜まり場だ。

ただCDは捨てれなかった。

青春時代のアイデンティティを捨てる様な気持ちになり無理だった。これは完全に無駄だったと自己否定している気がして。

当時の友達が結婚、出産、死去など世の中が変わってきて、「このCD群も俺が突然死んだら家族が処分しないといけないんだよな」と思い宅配買取に約1000枚出した。
配信で聴けるSpotifyのお陰である。CDはもう要らなくなった。
持っている意味が完全に無くなった。TSUTAYAも軒並み潰れてしまった。iPodも生産を終了した。
軽音ブログを書いていた大元サーバーもひっそり閉鎖していた。

深夜にレンタルしていると横から女の子にやり方が分からなく声を掛けられた事があった。アニメDVDを借りようとしていた。
そういう事も配信サービスでもう発生はしない。良い時代だった。今思えばナンパのタイミングだった。

数年振りに棚から出した懐かしいCDはカビが生え、日焼けあと、CDラックのサビがついていた。白スリーブはほぼ全滅。プラスチックケースはホコリまみれだった。
一部洋楽は少し残した。ただこれも時期捨てるかもしれない。

どこにも売ってないバージョンでも誰も欲しく無いのだ。

当時のiPodとイヤホンが懐かしくなりヤフオクで買い直してみたが、音質が今のiPhoneの方がずっと良かった。オワコンだった。日々時代は進化してる。
思い出は記憶に残し、物を無くす。
振り返るとホントにモテなかった。
モテ目線で聴くならカラオケで歌える曲をお勧めしたい。知らないバンドを女は知らないし興味も無い。ニーズが無い情報は知らなくて良い。自分の頭のメモリーは限られているのだから。

結局ナンパも音楽もかなり似ている。ハマったら時期熱量が冷めていく。自分がやりたい時に短期集中すれば良い。

おわり。

あとがき
CDはプラケースで保存しておくのが耐久性が一番だった。紙スリーブ.紙ジャケなどは日焼けしてダメになる。
保存するなら厚手の段ボール(みかん箱)がカビ、湿気を防いでくれる。ただそれだと意味がねぇ

90年代洋楽マニアック話は芸人の永野が詳しくYouTubeで話しています。青春の話おわり。
2024年4月。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?