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先輩がくれたホットケーキ

わたしは食べることが大好きだ。

朝ごはんが食べたいからといって、
どれだけ疲れていたとしても早くに起きる。
3食が楽しみだから、
どれだけ体調が悪くても何かしらは口にしたい。

例えば、
熱があるときのバニラアイス。
残業帰りの炭水化物。
給料日に買ったフルーツタルト。

どんなときに食べたって間違いなくおいしいけれど、タイミングや共に食卓を囲む人によって
「おいしい」は更新されていく。


先輩がくれたホットケーキ

わたしの好きな食べ物の1つにホットケーキがある。
家で作ったホットケーキもおいしいが、
喫茶店で出てくるような形が美しく、
しっかりとした触感のタイプが一番好きだ。

唐突だが、食べることを愛してやまなかったわたしが5年ほど摂食障害と闘った。
(現在も穏やかに闘っている)

56キロあった体重が35キロになったころ、
わたしが食べられるのはおしゃぶり昆布と寒天くらいのものだった。
一番ひどかったのは高校2年のときで、
大学に入学してからは徐々に回復の兆しを見せていたが
それでも誰かと食事をすることが怖かった。
わたしの食事量は正常なのか、予定外のものを食べることにはならないか。
そんなことばかりを考えていた。
(これについては、いつか言及したいと思う)


わたしの病気を知っていた先輩と食事に行こうという話になったとき、
わたしは「お昼ごはんにホットケーキが食べたい」と言った。
先輩は京都にある有名な喫茶店の食べログを共有したあと、
お昼には少し早い時間を待ち合わせ時間に設定してくれた。

あたたかい春の日だった。
京都は初々しい新入生にあふれていて、駅前にはビラを持った京大生が所々に見られた。
わたしが1年生のころは、新歓で出される食べものが何より怖かったな。
そんなことを考えて、京の町を歩いたことをぼんやりと思い出す。

あまり広くはない店内はモーニングとランチタイムの客で混ざり合い、わたしたちは隅の二人掛けのテーブルに案内された。
わたしたちは当初の予定通り、ホットケーキとコーヒーを注文する。
焼きあがるまでの時間は、なんだかんだと昔話に花を咲かした。
あまり考えていなかったけど、数年ぶりの再会だった。
それくらい、わたしはふさぎ込んだ生活を送っていたらしい。

「食べ終わったらさ、鴨川沿いを歩こうか。
いつか歩ける限界まで歩いてみたいと思ってたんだよね」
先輩がそういったとき、ちょうどホットケーキが運ばれてきた。

美しい焼き色に仕上げられた2段重ねのふかふかホットケーキ。
カップに入ったメープルシロップと少しずつ溶けゆくバター。
幸福だ、と思った。
1段目と2段目。どんなふうにメープルシロップを配分しようか。
そんなことを考えていたことを、よく覚えている。

それから、
「おいしい」と言って顔をあげたときの先輩の満足そうな顔。
誰かとこんな風に「おいしい」を共有するのは久しぶりだと思った。

あの日から、わたしは少しずつ誰かと食事ができるようになった。
集まりに顔を出すようになり、閉ざされた人間関係が広がった。
ときおり、摂食障害が顔を出して苦しめては来るけれど、もう大丈夫だと笑って言える。

春の京都。
わたしが手に入れることができなかったキラキラの大学生活。
それでも苦しくなったとき、
あのホットケーキを思い出す。

1段目と2段目どんなふうにメープルシロップをかけようかと悩んだこと。
バターがしみ込んだこの部分は最後に食べたいと願ったこと。
10時という微妙な時間設定は、
朝ご飯を抜いてくるかもしれないという先輩の気遣いだったこと。
鴨川沿いを歩ける限り歩いたこと。
それすら、食後に運動をしたがるわたしへの配慮だったこと。

わたしはきっと忘れない。






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