ワークショップ「所長所感」 - 第16回[20200720-0726]『菊と刀』
今回のワークショップは、少し背伸び感もありましたが、やってみようと考えてくれたことは、とても嬉しいことではありました。
ただ、思うに、それなりに読むのが面倒な書籍を課題として取り上げる際は、そもそも自分でその書籍を事前に読み込んで十分に理解しておくことと、その理解をワークショップの場にプレゼンテーションとして一定量投下することは必要な気がします。これに関しては、現状どのようにワークショップを進めるのか特に明文化したルールを決めていませんので、一周したらもう一度考えてみたいと思います。また、皆さん、思ったより忙しいのか、本を読むペースが週一冊でも追いつかないようなので、そこも検討しましょう。
さて、この『菊と刀』という文献ですが、僕ももう随分長いこと手に取っていません。正直内容もあまり深くは覚えていませんが、でも、いまさら全てを読み直そうとなると、いやはや、なかなかその気になれません。
この文献の成り立ちについては、わざわざ説明は不要かと思います。アメリカの情報部の依頼で、現地に赴かず文献と聞き取り調査だけで仕上げた、日本人に対する文化人類学的研究。その成り立ちを考えれば、当然限界もあるでしょうし、うがった見方をすれば、いくらでも批判はできると思います。しかし、だからと言って、その当時にこうした成り立ちでなされた研究であることを考慮するに、この研究はいまでも一定の価値を持った素晴らしい研究成果であることは、否定されるものでもないと思います。
それでも、それはあくまで「特異な」研究であって、今日の日本を考える上でいくつかの視座を提供はしてくれると思いますが、およそここに答えが書いてあるという類の代物ではありません。だからこそ、この文献をいまさら読むのであれば、ちゃんとした「案内人」が必要になります。本質のみを追求した哲学書などであれば時代を超えて常に変わらぬ価値を提示してくれますが、これは、日本、日本人という特定の国家や文化の、特定の時代についての考察ですから、ある程度現実と対応させた読み方が必要になります。
正直に告白しますが、せっかくの機会でありながら、僕も今回、『菊と刀』を全て読み直すことはしておりません。「参考文献」以上の価値がなかなか見出せませんでした(いつかまた読み直すような機会はくるかなぁ) ともかく、ざっとですが簡単に見直した中で、ふと感じたことの一角だけでも、ここに記し残しておきます。
たとえば、日本人の持つ階層的秩序について。この概念に対する日本人の感覚が、おそらく欧米人の持つものとは決定的に違い、それはこの研究の中でも解消されていない気がします。日本人を「大衆」として見た場合、歴史的に見れば、強い個、理性を持って生きてきたわけではありません。日本人にとって階層や秩序というのは、疑い得る外的な論理ではなく、自然な身体感覚だったのでしょう。欧米のように個人の主義主張をぶつけ合う文化ではなく、共通の身体性を集団で共有していることこそが文化の源でした。当然、理性で身体を理解できるはずはありませんので、欧米人にとって日本人は真に理解不能な存在だったのでしょう。この研究が戦時の情報部の依頼であったことを汲んで、ではなぜ日本人はこんな戦争を起こし、引き際も認めず突き進んだのかを考えてみましょう。
日本人の持つ階層的秩序とは、身体感覚であり、すなわち、理念的なヒエラルキーというよりは、皮膚を境界としたウチとソトの感覚の単なる連続に過ぎなかったのではないか。いや、実際いまでもまだその感覚は多少なり残っている気はします。理性による序列ではない。だから、この戦争は結果的に侵略戦争ではありましたが、感覚としては祖国防衛の延長の感覚だったのかもしれません。祖国というウチを守るために、その外側のマージンを確保しようとした。そして、結果的に侵略した国について、そこをウチと認定して均質化して吸収していった。つまり、明確な利益搾取目的の大義名分があって領土を侵略するという欧米諸国の文脈とは異なり、「ウチを守る」という半ば被害妄想に近い皮膚感覚的な動機で、次々とソトに戦火を広げてウチを拡大していったのではないか。
まあ、そんな分析は僕のような素人が出るまでもなくいくらでも出回っているとは思いますが、軽く読み直してふとそんなことが頭をよぎりました。人間の思惑というのは非常に多面的なものですから、こんな簡単に切り取れるものではありませんが、そういう一面も、もしかしたらあったかもしれません。
この『菊と刀』という文献は、著者のベネディクトが何を結論づけたのか、そこに大きな意味のある類のものではありません。当時の日本について多くの事例を引き、そこにその文化を知らぬ者が注釈をつけてみた。そういう「やってみた」系の構造の込み入った文献として大いに価値があると思いますが、そっくりそのまま受け売りできるタイプの文献ではありません。だから、そこから価値を引き出すのは、なかなか難しい。
本気で興味を持たれた方は、いつか、研究者としてじっくり読んでみてください。そして、その際は、是非案内人を買って出てくれると嬉しいです。
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