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無責任な勉強法 - 長時間学習

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(具体的な勉強法指南ではありませんのでご注意ください)

よく聞かれる質問のひとつ。

「一日何時間勉強すれば良いのか」

正直、そんなもの知ったことではない。

しかし、無計画に一日十数時間も長時間勉強することを推奨する言説や、ただ参考書の選び方ばかりを解説している勉強法指南、そして、そういう無責任なアドバイスを、信奉する若者が、たくさん、たくさん、たくさん、たくさん、本当にたくさん、たくさん、いる。悲しい。本当に、とても悲しい。だから、そういう言葉がいかに無責任なものであるか、伝えられる人だけにでも伝えたい。そう思って考えを記しておく。

僕も塾で勉強を教えていた時代に、ひとつの体験として、勉強合宿を行なっていたことがある。限界を超えた超長時間勉強を身体で体感してもらうこと、それを目的として、合宿では睡眠も削り常識を超えた勉強量を強制的に課すということをやっていた。

それは、僕自身がかつてそういう「追い込み」によって集中力を底上げできた経験から行なったことである。しかし、残念ながら、「全員」には意味をなさなかった。当然ではあるが、自己管理能力のない人間がそれを行なっても、後に続かない。合宿は泡沫(うたかた)の夢。日常に戻れば、日常学習と集中学習のギャップが大きかった者ほど、より早いスピードで魔法が解けてゆく。

長時間学習自体がナンセンスだと言っているわけではない。自己管理できる者であれば、その経験から得た学びを今後の学習計画に取り入れられるだろう。しかし、長時間学習したらそれがそのまま即座に良い体験になるというのは、夢物語だ。

先に、自己管理の大切さを教えることの方が、遥かに重要なことである。

だから、自己管理の大切さについて触れておく。しかし、ただ大切だと言われても、では実際に何をすれば良いのか。わかっていない人が多い。

勘違いしている人が多いが、最も必要なことは、自分を律する「強い意志」ではない。最終的に意志の力が結果を左右することはあるが、最初から意志の力だけで何かを為そうなど、方法論としてリスクが高すぎる。ひたすらに「念ずる」ことで確かに「通じる」可能性は上がる。しかし、たとえば、受験勉強程度のそれなりにボリュームのあるプロジェクトは、念ずるだけでは通じない。しっかり自己管理して学習を継続しなければならないので、ただただやる気があれば、気合さえあれば、大丈夫、できるというのは、自学自習している生徒が陥りやすい危険な罠だ。いたずらな長時間学習を無責任に勧めてしまうのも、同様である。

必要なものは、「やる気」ではない。「やる気」を持った上での「正しい」方法論である。「正しい」というのは、正解が一つしかないという意味ではなく、各人にとって「正しい」ものが正解である。とにかく、「やるしかない」というのは紛れもなく真実だが、しかし「やるしかない」と何万回唱えても学力は伸びない。また、やり方なんてよくわかっていない生徒が、いいからとにかく「やれ」と命令されても、やれるはずがない。とにかく毎日16時間勉強するんだ。そういうタイプの受験生は、全員とは言わないが、失敗することが多い。だから、ちゃんと学習を継続できる正しいやり方を見つけることが、何にも増してまず必要なことである。

「長時間学習教」の信奉者は、計画の重要性を甘く見ている。計画なんか練ってる暇があったらいますぐに手を動かして一秒でも多く勉強しろ。そういう人が多い。勉強の本質が何もわかっていない。

手を動かす前に何時間何日何週間かかっても計画を立てろ。

これが正しい勉強法指南である。全体計画のない勉強は出口を持たない迷路である。少なくとも、一定以上のボリュームのあるプロジェクトをこなすのは、「いいからやれ」方式では絶対に無理だ。

登山のルートも決めずに気合だけでいきなり登り始める人間は、登山家ではない。近所の小さな山をハイキングするならそれでも良いだろう。しかし、一定以上の高さの山に本気で挑むなら、準備、計画が必要だ。そして、アナロジーとしてはそれは勉強にもあてはまる。長時間勉強をむやみに勧める人は、おそらく質的にハイキングレベルの勉強経験しかないのだ。

高い目標にチャレンジするのであれば、まず、とにもかくにも、計画を目に見えるようにする。そこから始めよう。わからないなりに中長期の予定を立ててみる。どれくらいのペースでやれば受験に間に合いそうか、自分なりに頑張って厳密に見積もってみる。これは後で修正することになるものであるが、「どうせ後で修正することになるから適当でいいや」と、最初の段階で妥協してしまう人は、最後まで妥協してしまう。後で修正するとしても、できる限り丁寧に厳密にしっかりと計算して予定を立てる。そうしないと、データを蓄積する意味がなくなる。

いま僕が気軽にさらっと述べたことをできる受験生は驚くほど少ない。計画を書き出せと言うと、どう書けば良いのか、何を書けば良いのか、とにかくわからないわからないという、何にもわからない祭になる。正直、それは驚くべきことである。勉強するとは立てた計画をなぞって塗りつぶすことだ。時間を費やすことが勉強では全くない。この「当たり前」を強調できない者は、指導者として勉強法指南などに、決して関わってはいけない。

悲しい話であるが、YouTubeなどのプラットフォームの発達のおかげで誰もが情報発信できるようになったため、「とんでも情報」も中身を吟味されぬまま飛び交っている。

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