見出し画像

アカデミー賞受賞作家に聞く。絵本『わたしの糸』制作秘話

          (聞き手・翻訳: 青木順子 構成:西村書店編集部)

 愛と自立、人生のつながりをシンプルにえがいたノルウェーの絵本『わたしの糸』。その元となったのは短編アニメーション『Threads』でした。絵本作家でありアニメの監督であるトーリル・コーヴェさんに、訳者の青木順子さんがインタビュー。監督は、本作にこめた想いや制作過程を、率直に語ってくださいました。
*物語の内容に触れた箇所がございます            

わたしの糸_small

当初は「養子」がテーマだった

――『わたしの糸』では、少女がやがて母となり、子に愛情をそそぎ、その子もまた自立していくという理想的な生き方を描いていると思います。作品のテーマを、トーリルさんはどうお考えですか? (青木:以下同)

 (トーリル・コーヴェさん:以下同) この絵本の元になったのは、私が監督した短編アニメーション映画ですが、脚本にとりかかる前は「養子」をテーマにしようと考えていました。私たち夫婦には中国から迎えた養子がいて、その存在は人生において大きな意味を持っており、私自身、個人的な経験をえがくことが好きだったからです。

 自身の経験を元にいくつかの物語を書き始めました。異なるエスニシティ(民族性)の養子を受け入れ、初めて親になったこと。養子を持つ両親にありがちなネガティブな体験――他人から変なことを言われたり、的外れな質問をされたり、バカにするような言葉を投げかけられるといったこと。けれども、そうした体験は子どもが成長するにつれ、減っていました。
 脚本を書き進めるうちに、そうした、思い出すこともまれになった嫌な記憶を掘り起こすことは不要なのでは?と考え直すようになりました。

「親になる」経験に焦点を絞る

――それでテーマを修正されたのですか? 

 はい。「親になること」によって経験したことに焦点を絞ろうと決めました。養子であれ、自分が生んだ子どもであれ、時が経つとともに深まる親子の結びつきと愛情についてえがきたかったのです。物語の構造を組み立てる際には、マズローの自己実現理論(*)を参照しました。
         (*参考 https://ja.wikipedia.org/wiki/自己実現理論)
 作中、母親は子どもに食べ物と暖かさ、安心、愛情を与えます。子どもは歩くことや遊びを学び、他の子どもたちと触れ合って仲良くなっていき、少しずつ母の安全な「輪」から外れ、最後には自分の道を見つけるために巣立っていく。子どもが自らの道を見つけるために、「糸」をつかもうと飛び出すことは、大事な局面です。

画像3

――本作に、「父親」がえがかれていないのはどうしてでしょうか? 

 実は同じ質問をたくさん受けているのですが(笑)、答えはシンプルで、私は「家族」ではなく、「子どもと母」をえがいているからです。
 子どもとの関係は、母親と父親では違います。両親ともに登場する物語であれば、まったく異なったストーリーになっていたでしょう。「娘と母」を選んだのは、私自身が娘を持つ母としてよく知っている関係だからです。

 脚本の執筆から、絵を描く作業へと移行した際には、イラストだけで物語を展開させ、シンプルに描写することを目標に進めました。

――制作の手法は、アニメーション映画と絵本では異なりますか? 映画『Threads』は、カナダ国立映画制作庁(NATIONAL FILM BOARD OF CANADA)の公式サイトから視聴できますが、初めて観たとき、音楽と映像だけで、セリフが一切ないことに驚きました。

 そうですね。絵本には映画のような制作チームはなく、出版社の編集者と私だけです。映画だと、1/24秒でコマが動いてしまいますが、絵本はずっと眺めていることができます。
 ですから、絵本では、イラストの構成を工夫し、ディテールをより注意を払って描くようにしました。もちろん言葉も、自分で考えています。

画像2

――ビジュアル面でいうと、主人公の少女がつかんだのは「赤い糸」ですよね。「運命の赤い糸」という表現がありますが、どんな意図でそうされたのですか?

 これにはいくつかの理由があります。中国の伝説によると、運命の赤い糸が二人の足首に結ばれ、愛し合ったり、助け合ったりするそうです。この言い伝えは「養子」という存在を象徴しているといえるでしょう。養子と自分はあらかじめ定められた運命によって結びつけられたと信じる人もいますし、たとえ子どもが自らの母体から生まれていなくても、何か別の方法でつながりがあったとも言えるかもしれません。


 私自身はこうした「運命の物語」を信じてはいないのですが、同時に、中国人の娘を迎えるために、たくさんの選択をしてきたことを考えずにはいられませんでした。作中で赤い糸を使うことにしたのは、養子となった子どもと親の大切な結びつきとして共感できるシンボルだからです。結びつきを表現する際、ビジュアル的にもとてもわかりやすいです。


 ノルウェー語にも「赤い糸」という表現があって、物語を結びつける要素として使われています。そうしたわけで、本作では、母と子どもの間にある愛情と結びつきを赤い糸で表現しました。

画像4

――人々がつかもうとしている「糸」は何を表しているのでしょうか?

 それは読者が決めることができるでしょう。私たちはいろいろなことを願っています。何を願っているのかが分からない時もある。自分が望んだ道に導いてもらえる糸をつかむことができたと思っていても、異なる場所へ着地することだってあり得るのです。 

「子どもと親」、人間関係の本質をえがく

 最近、邦画『万引き家族』(是枝裕和監督)を観ましたが、強い印象を受けました。なぜなら、子どもを愛すること、そして子どもが親を愛することとはどんなことなのかを、この映画が伝えていると思ったからです。

 誰かが自分を心から愛している、自分の幸福や健康を思って心をこめて世話してくれている、本当に尊敬してくれている。それは一体どういうことなのか。そして、自分はそのことをどう感じるのか。
 これは人が成長する時に学びうることのうち、最も重要なことの一つではないかと思います。そのことを知らなければ、近しい関係を持った人々に対して、自分が何を求めているのかということへの理解が難しくなるでしょう。
 本作には、「子どもが成長する過程で、親と一緒に安心した関係を保ち、必要なものを与えられることの大切さ」という明確なメッセージがあります。そう、これは愛と自立についてえがいた作品です。

――作品をつくる際に、読者層は意識されましたか?

 読者層については特には想定していません。好意的な評価は、子どもと大人の両方からありました。ただ、低学年の子どもからは「悲しい終わり方」という感想もあって、もう少し年長の子どもの方が、より内容を分かってくれているのかなという印象がありますね。

――なぜ、映画だけでなく、絵本の形にされているのでしょうか?

 絵本は、映画よりも多くの人の目に触れることができます。しかも違った人々に。インターネットではたくさんの映画を見ることができますが、私の作品を見つけるのは容易ではありませんし、広告されることもまれです。特に子どもにとって、短編アニメーション映画は、絵本よりもアクセスすることが難しいでしょう。


 絵本は手に取りやすく、いろいろな場所に持ち歩いたり、生活の一部になりえますが、それは映画ではできないことです。
 そこで本作は、ノルウェー語の絵本と映画とを、ほぼ同時にリリースしています。この作品が、両親と子どもの結びつきが健全でたしかなものとなるように、また、養子自身や、養子を迎えた家族に届いてくれるようにと願っています。

――絵本と映画、両方を鑑賞することで、より作品が立体的に味わえるように思います。受けとるものは少しずつ異なりますから、ぜひその違いも楽しんでほしいですね。
[作]トーリル・コーヴェ(Torill Kove)
1958年ノルウェー生まれ。アニメーション監督、イラストレーター、絵本作家。2006年。「デンマークの詩人」で米国アカデミー賞短編アニメーション賞を受賞。2014年に同賞にノミネートされた「モールトンと私(Moulton og meg)」は絵本『うちってやっぱりなんかへん?』として日本でも出版された。2018年、第17回広島国際アニメーションフェスティバル優秀賞を受賞した「スレッズ(Threads)」は音楽と映像のみで構成されており、その絵本が本書である。カナダ在住。
[訳]青木順子(あおき・じゅんこ)
1968年神奈川県出身。ノルウェーの大学に長期・短期で5 回留学。2000年からウェブサイト「ノルウェー夢ネット」を開設し、ノルウェーの情報発信を行う。ノルウェー語講師・翻訳・通訳・講演・語学書出版などを行っている。絵本の翻訳に『パパと怒り鬼 話してごらん、だれかに』(2011年、大島かおり共訳、ひさかたチャイルド)、『うちってやっぱりなんかへん?』(2017年、偕成社)がある。
■ウェブサイト「ノルウェー夢ネット」https://www.norway-yumenet.com

*カナダ国立映画制作庁(NATIONAL FILM BOARD OF CANADA)公式サイト