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いまここにいる

素晴らしい景色の中にいる時
美しい音楽を聴いている時
自分の全てを集中させたい、一体化したいと思ったことはありませんか?

それなのに、脳裏に忍び込んでくる、
「おなかが空いたな、お昼なに食べよう」
「明日で旅は終わりかー、仕事に戻るのいやだなー」

またまた
「あっ!あれ早く支払わなきゃ」
なんて、全然関係ないことまで、頭にさまざまな雑音が入ってくるものですよね💦
意識が「今」だけに集中するのは至難の業です。

ところで先日、エックハルト•トールの、power of now を読みました。
インドのakikoさんがおすすめされていて、何となく気になっていたのです。

読んでいるうちに、「今、ここにいる」ことは現代人にとってとても難しいことであり、そしてとても貴重であることが分かってきました。

私はお寺で座禅をしたときに、一度だけそういう体験をしたことがあります。
以前noteにも書いたけど、自分の呼吸に集中して体の感覚だけを感じるようにしていたら、突然、体が外の世界に溶け出していくようなすごい(本人にとっては)体験をしたのです。
それは言葉で表現することはできないのだけど、光と一体化したみたいな、訳もなく涙が出てくる究極の安心感みたいな体験でした。

経験したことないけど、臨死体験も近いものがあるかもしれません。
だって、肉体が死ぬことは怖くない、に近い感覚だったのですから。

その後、何度かそのお寺で座禅を組んでみたり、家で瞑想したりしていますが、同じような体感はやってきません。
おそらく、自分の意識の状態と外の世界の状態の微妙なシンクロ具合であの状態に入るのでしょう。
そして、「あの体験をしたい」という欲があるうちは、ダメなような気もします。

これと近い体験ですと、お皿を落として割りそうになった時とか、高いところから落ちた時とか、危機状態を感じた時に、異常に時間がスローモーションみたいに感じることもありますよね。

この本によると、人間は死に近い極限状態になっても、「今ここにいる」感覚になるらしいです。
F1レーサーなどはそれを感じたくて、あのような危険な状態に身を置くことに中毒になっているとも。
私は進んで危険な極限状態になる勇気はないですけど。
日常で「いまここ」の感覚でいることができたら、最高ですよね。

また、私はセキセイインコを飼っているのですが、彼には「今」しかないのがよくわかります。
餌が少なくなってきたから、食べるのを控えようとか
明日は早いから早く寝ようとか、一切ないですから!

当たり前と言えば当たり前なんですけど、動物はそうやって未来の心配も死を想像することもなく毎日を過ごしていて
それでも毎瞬毎瞬を精一杯生きていて、くよくよすることがないのです。
一緒に暮らしていると、見習いたいと思うことが沢山あります。

そう思うと、頭の中をぐるぐるしている思考って何なのでしょう?
言葉って何なのでしょう?
未来を予想して心配になったり、過去を悔やむことが意義あることなのでしょうか?

思考も言葉もとても大切ですけれど、体の知性や感覚をそれの下に持ってくる時代は終わっていくような気がしてなりません。
マインドフルネスや瞑想などがもてはやされているのも、そういう方向へ人類が移行しているからなのかもしれないですね。

近代は、体や体の感覚を疎かにして頭優先になっていてたような気がします。
しかし、コロナ渦などもあり、自分の内面を見つめて感覚を研ぎ澄ませていく時代になっていくのかもしれません。
それは、頭の中のおしゃべり、批判する自分、称賛する自分ではなくて、体の、言葉よりもっと些細な感覚が魂に近いと私は実感しているからです。

本から話がずれましたが、なかなか興味深い内容でしたので、興味があったらぜひ読んでみてください。
今、これが知りたかった!と思う人が少なからずいるような気がします。


ありがとうございます!これからもお役に立てる記事を投稿していきます。