見出し画像

輝いている人を見たことはあるか

結論から述べれば、私はある。

 「“推し”なんだそれ。アイドル??全然興味ないです。」
そんな私が突然ハマった人がいる。それはまさに抜け出せない深い沼のように。人の魅力から抜け出せないなんてこと初めてだった。
まぁこの話は長くなるからまた今度。
  
 そんな“推し”という存在ができてから実際に肉眼で見るまでにかかった時間は2年半。
 もはや生きているのか、それとも画面の中の存在なのか。疑うくらいにはこの時間が長かった。この感情を敢えて一言で置き換えるのであれば、現実なのか確認することを切望していた。

 やっときた、その日。チケットが発券された。まだ疑わしい。
 コンサート会場に着いた。ごめん、信じられない。本当にいるの?
 席に着いた。田舎の商店街のイルミネーションより遥かに多くの光が輝くホール、ペンライトはそれはそれは美しい。でもこれはファンが生み出した光であって本人ではない、やはり幻想か。

 会場に光るのはペンライトの明かりのみ、さぁ始まる。ぱっと明るくなるステージ。

 「いた、彼らは実在した」夢見心地なんてメルヘンな雰囲気はない。切望という言葉を選ばざるをえないくらいに待ち遠しかった時間が今ここに。
  
 やっと確認できたのだ。
 「彼らは生きている」

 人が輝いている姿を初めて見たかもしれない。違うんだ、信じてくれ。彼らは確実に輝いていた。比喩ではないのだ。こんなことを私が思うことに私自身が一番驚いている。割と現実を生きるタイプで、幻想妄想、、。ちょっと専門外です。だからこれは現実の記録なのだ。

 何が言いたいかというと、人間は発光しない。

 でも私の眼には物理的に輝いていた人たちが存在していた。

 こんなに幸せなことはない。誰かを応援する気持ちが、経験のしたことのない映像を生み出した。誰しもが経験できるわけではないこの景色を見ることができた。そしてその形容し難い現実と夢のちょうど狭間のような空間が、結果私の生きる糧になっている。

 特に敢えて布教する気もなければ、好きなアイドルがいることを隠す気もない。
 “推し”との出会いは不意であり、ギフトだからだ。その瞬間を得られた人、もしくは今後そのタイミングが降ってくるかもしれない全ての人に最後に一言。

 「推しは推せるときに推せ」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?