【仮説】私たちはゲームの世界に生きているのではないか。
私たちは、何者かによって作られた
コンピューター・シミュレーションの世界に
生きている。
私たちが生きるこの世界は現実ではなく、
仮想現実である。
…と言われたら信じますか?
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世界では、「この世界は誰かが作ったバーチャルリアリティ(VR)である」と主張する、シミュレーション仮説というものが提唱されています。
「それはないだろ!(笑)」
という意見もありそうですが、イーロン・マスクやバンク・オブ・アメリカなど、世界屈指の富豪や有力者の多くは、人類が仮想現実の世界を生きているに違いないと考えています。
科学者の中には
「この世界がVRである可能性は
ほぼ100%である」
と主張している方もいます。
2ちゃんねるの創始者のひろゆき氏も、「この理論は否定することは不可能だ」と言っていました。
この仮説がこれだけ信じられるのはオカルトチックなだけではなく、論理的に説明できるものだからです。
①今生きている地球は作り出されたものであるという仮説
世界初のコンピューターゲームは1952年に開発された⚪︎×ゲームでした。
1958年には2人用テニスゲームが誕生。
どちらのゲームも電子計算機よりも単純な作りでしたが、人々は大いに興奮しました。
そして現在。
Call of Duty やPUBGなど、PS4やPS5で「これもう現実の映像じゃん」って思うくらいのクォリティのゲームが発売され始めています。
ここまでの技術の進歩を踏まえると、この先、いまの地球のシュミレーションを作れるくらい文明が発展する可能性は大いにあると考えられます。
「そこまでは分かったけど、じゃあなんで今の世界が仮想現実なの!?」というと、
例えば、日本の代表的な企業である任天堂やスクエニのゲームの技術が発展して、今の地球と同じような仮想空間を作ったとします。
その地球がまた、文明がどんどん発達して、ゲームを開発し、地球を作るレベルまで技術が発展すると、その地球もまた地球を作ります。
そしてその地球が地球を作り、またその地球も地球を作り・・・
というように、地球という仮想空間が無限に増え続けていきます。
しかし、ここで疑問が生じてきます。
私たちが暮らしている地球は果たして「1個目」の地球なのか、ということ。
無数に増え続けた中の1つにすぎないのでは、
というのがシュミレーション仮説です。
2019年に公開された映画、『HELLO WORLD』もシュミレーション仮説の世界観とほぼ一緒だ思われます。
つまり、我々が暮らす現実は巨大なマルチプレイヤー・ゲームだと結論づけられるのです。
②シュミレーション仮説を押す自然界の現象
また、この世界がシュミレーションである可能性を示唆する自然界のあらゆる現象があります。
自然界の法則があまりにも上手くできすぎている現象を「ゴルディロックス・エニグマ(ちょうど良い不思議)」と表現しています。
・太陽はなぜちょうど良い位置にあるのか
・重力はなぜちょうど良い程度におさまっているのか
・生物の進化は本当に偶然の結果なのか
・なぜ化学反応は簡単な整数比で表せるのか
誰かこれらを意図して作った創造主がいて、”ちょうど良い”法則でこの世界が成立するように仕向けたのではないか。
哲学的ですが、「この世界は誰かが作ったVRである」であるという主張を後押しする考えです。
③ビッグバンが宇宙の始まりは真実か
また、この世界は仮想現実であると断定するためには「始まり」について考えなければなりません。
私たちが暮らす地球の外には宇宙があり、その宇宙の始まりはビッグバンという現象だと言われています。
今からおよそ150億年前、今の宇宙にあるもの全ては、たった1か所に集まっていました。
そして、あるときビッグバンという大爆発が起こり、その1か所に集まっていたものが粉々に飛び散ったのです。
そして、飛び散ったものから色々な星が生まれました。
ここまでが一般的な説で、宇宙の始まりはビックバンという現象だと言われています。
が、果たしてそうなのでしょうか。
しかし実際のところ、その真実は今生きている私たちが肉眼で観察して知ることはできません。
あくまで推測。
個人的には、このビックバンという現象はこの仮想空間が誕生した瞬間なのでは?
とも発想が広がりました。
④ならば私たちはどう生きるべきか
このシュミレーション仮説を真実だと捉えるならば、我々が現実として経験するのはすべてコンピューターによる”捏造”だと言えます。
私たちが生きる中で衝突する生涯やストレスは、すでにプログラミングされたものであり、起こる前から既に起こることが決まってるということです。
災害が起こることも、怪我することも、苦手な人と出会うのも、今流行っているコロナだって、コンピューターが作り出したゲーム上のイベントにすぎないかもしれません。
すなわち「自分が主人公のゲーム」の完全クリアのために必要なイベントである可能性があるのです。
私たちが日々出会う人や出来事は必然で必要だという仮説です。
だとすれば、私たちはこの仮想現実で生きる1人のゲーム上のキャラクターであると認め、もっとゲームクリアのために貪欲になっていいのかもしれないと思われるのです。
コンピューターが作り出したゲーム上のキャラクターかもしれない苦手な人の顔色を窺い続けて生きるよりも、自分が目指すゴールに向かって、淡々と敵をさばいていくほうが気楽なのではないでしょうか。
どんなに辛い出来事が訪れても、「これはゲームに仕掛けられたミッションなんだ」と捉えれば少しは前向きになれるのではないでしょうか。
私にとっての人生のイベントとして、大学時代のバスケ部でAチームからBチームに降格した経験がありました。
かなり悔しくて、数日凹みましたが、今となっては良い経験だったと感じるし、あのイベントを前向きにクリアできたからこそ前進したのではないかと感じます。
この世界はゲームだ。目の前に現れる敵や障害は予め用意されていたイベント。私たちは、これらを乗り越えてゲームクリアしていくしかない。
イベントを乗り越えた先には、必ず成功報酬が来る。
そう考えると日々の悩みがふっとんだ気がします。
⑤おわりに
現時点ではシュミレーション仮説が正しいと言える根拠はまだありません。
しかし、
ガリレオ・ガリレイの「地動説」が最初は受け入れられなかったのが、後に主流の考えとなったように、いずれシュミレーション仮説が真理だと言われる日も来るかもしれません。
全く自分の思うように上手くいかないのも、
「あーもしこれがシミュレーションだったら
無理だわなー」
って思うと無駄に頑張らなくて良くなる。
気楽になりますね。
この世界が本当にシュミレーションゲームの世界だとするならば、あなたはどのように生きますか。
それでも僕はただ、クリアに向かって進み続けて、訪れるイベントやミッションに全力で臨みたい。
たとえゲーム上のシミュレーションにすぎないとしても。
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