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「嫌い」のメカニズム

仮説である。

「嫌い」の理由は「同族嫌悪」に帰着し、それによって説明がつくと考えられる。

貴方の嫌いな人を想像して欲しい。

その人は貴方に似ている部分がある気がしないだろうか?

具体例①
女性が露出の多い女性や、ブランド物を身につける女性を嫌うのは、嫌う側の中にそのような欲望があり、抑圧した本当の自分を正当化するために「嫌い」という感情が噴出した結果ではないだろうか。

それはすなわち、同族嫌悪である。

例えば、「あの女、◯◯が◯◯と思ってそう、嫌いだわ〜」と言った具合だ。

嫌いな人間の心理が手に取る様に分かる。

から、「嫌い」なのだ。

この状況における反論として、「同性としての競争」も見過ごすことはできない。

異性から魅力的に見える同性を貶す、ということは人類に普遍的に見られる。

しかし、これも同族嫌悪に結びつけることができる。なぜなら、圧倒的な差がある同性には親近感や憧れを抱くからだ、これは芸能人という人々の存在がこれを証明している。

要するに、同性を嫌う場合、同じくらいのレベルで、かつ自分の抑圧している心理があり、またそのことによって性的な競争の順位が目に見えて追い越されそうな時、と説明がつかないだろうか。

結婚して同性の支持が無くなるのは女優より(視聴者よりも順位が下だと思われていた)女芸人だったりする。

具体例②
自慢する男を嫌う風潮も同族嫌悪に帰着する。

自慢というのは、してて気持ちが良い反面、聞いている側は退屈である、というのは多くの人が感じることであろう。

しかし、「退屈である」ということを越えて、「嫌いだ」とまで発展させる人々が多い。

それは「本当は自慢したい自分を抑圧している」からその感情が噴出するのではないかと考えられる。

「嫌い」とは貴方そっくりな人である。

ということは、多くの人が理解できない事の一つ、なのではないか。

なぜなら、明確に理由を持って自分を抑圧している人も、誰かを嫌っている人もいないからだ。

「嫌い」とは意思ではなく感情だからだ。

例外として、自分の邪魔をしてくる人を嫌いという心理について

これに関しては少し嫌うメカニズムとは、ずれる。

なぜ「嫌い」なのか、についての理由は「邪魔をしてくるから」となる。

しかし、なぜその人が私に対して邪魔をしてくるのか、というのは①、②に説明した同族嫌悪で説明がつくだろう。

大抵は向こうのこちらに対する同族嫌悪だ。

この主張を裏付ける、ユングの考え方を紹介する。

ユングは、私が上記で、自身に「抑圧した心理」と表現したことを『シャドウ』と表現した。

ユングが唱える「シャドウ・セルフ」とは、自分自身で否定し抑制しながら表から遠ざけ、“無意識”の領域に追いやった自己・自我のことを指す。

つまり、自分自身で受け入れることができず、無意識の中に埋もれた「もう一人の自分」とも言える。

この現象と「嫌い」という感情は密接に繋がってる。

というのが私の主張だ。

そして、なぜその様な機構が人類に備わったのかというと、他人を「嫌った」人間の方が現代の今日まで生き残ったからだ。

今日生き残った人類は我々、「ホモ・サピエンス」のみだ。

他にも「ホモ・エレクトス」や「ホモ・ネアンデルターレンシス」などのヒト属が数万年前には存在していた。

恐らく人類のその、「人を嫌う」という機構によって今日、「ホモ・サピエンス」は存在しているのだろう。

きっと人間は他人と嫌い合ったから、今日まで来たのだ。

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