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エイミーの思い出

(これまで余り友人にも話した事がないのだけれど、はじめてのnote記念としてちょっと書いてみます。あくまでも個人的に体験して感じた事として、チラッと一読、そしてスルーして下されば幸いです。デリケートな問題で、様々なバックグラウンドをお持ちの方がおられると思うので…)

約20年前にシアトルの語学学校でクラスメイトだった、台湾出身のエイミー。シャイでおっとりとしていて、何で飛び出して来たんだろうと思うほど。あたしより1週間遅くクラスに入ってきて不安そうな表情を浮かべていたので、一緒に食べようよとランチルームに誘ったのがきっかけでよく話をするように。幼稚園の先生をしていた時、遠足で子供が行方不明になって号泣していたら、当の子供がケロッと戻ってきてボク大丈夫だよと慰められた、という彼女らしいエピソードも覚えている。そんなエイミーはとても頭が良くて、放課後教室で宿題をする時など頼りにしていたし、また一緒にモールで買い物したり、ポートランドに出掛けたりもした。

3週間程経ったある日の放課後、何のタイミングかは覚えていないが、ふと真顔になり、Emperor Hirohitoについてどう思うか訊かれた事がある。居合わせた他の日本人男子と思わず顔を見合わせ、しどろもどろ。何て答えたのかはっきり覚えていないが、多分、軍部が暴走して利用された面もあって、本来の人柄自体は悪くはなかったんだと思うなどと辿々しく言ったのだと思う。すると彼女、「台湾は50年間ruled(占領)されていたのよね(恥ずかしながら、この時初めてその年数を知った)。ウチのおじいちゃん、私や弟が悪い事するとバカモン!って殴ったよ。でもね、それは今のエツコ達が悪い訳じゃない。そうじゃなくて、私達はもっと未来を見ないといけないと思う。」そう言って軽くうなずいて、またいつものキティ好き天然ガールに戻った。

1年半後にシアトルを再訪した時、コミカレに通っていた彼女の家(他の女子とシェア)でしばらくお世話になった。その時、コミカレのアジア系留学生によるイベントに誘われて行ってみた。フードも充実しており、中東を含むコメ食い文化圏のおかずのバリエーションを楽しんだりした。当時日本語も履修し日本文化研究会に入っていたエイミーは、浴衣姿で参加していた。メンバーの中には白人学生も1/3程いて、専門はゲンゴガクと語る男子が果敢にもオリガミに挑戦しては瀕死のツルを積み上げていた。なかなか面白いイベントだったのだが、帰りがけのエイミーは何故か虚ろな表情を浮かべ、どうしたの、大丈夫?と尋ねても心ここにあらずだった。
家に戻りひと息ついたその時。「エツコ、さっきの事だけど。余り知らない人だけど北京出身の女の子にすれ違い様に、betrayer(裏切り者)って囁かれて…」そして堰を切ったように泣き崩れる彼女。15分近く経っただろうか。どう声をかけて良いか分からず何も言えずにいたところ、急に顔を上げたエイミー、

You don't understand how I feel...No, you CAN'T...You'll never understand how WE feel...NEVER!!!
(この気持ちはアナタにはわからない。理解できっこない、私達の気持ちは絶対に)

とキッパリ。そのNEVER!!! の絶望的な響きが今でも耳の奥に残っている。その後ひと晩中、再び色々と語り合って、身内の方に起こった事、思いも至らなかった事も沢山あって、ふたり大泣きして、でも最後はハグして。決して忘れられない夜。その後数年して現地の男性と結婚した彼女と再会した時は、生き生きとして幸せそうで良かった。彼女も実家とは相性が良くなくて苦しんでもいたから、本当に嬉しかった。
それから15年程経ち、その間にいつしか音信不通となり、、台湾の事を目にする度にエイミーどうしてるかなと思う。2011年の3月半ばに一度だけ、Are you all right?とwebメールをくれたけれど。

思い返せば他の台湾人留学生達にも、顔見知りになっておしゃべりするようになった頃、我々の50年は何だったのか?と問われたりし、ハッと息を呑んでいると、いやジョークジョーク!とちょっと寂しそうな笑顔を向けられたものだ。
余談だが一昨年の秋、千葉佐倉でのハワイ移民関連展示で初めて知ったのだけれど、ハワイでパイナップル栽培に成功した人が次に台湾に渡り、パイナップル事業を大いに展開したらしい。もちろん善意で現地に尽くされたに違いないが、当時の(大日本帝国の)国策として利用された面も全く無いとは言えないだろう。鳳梨酥は大好きだけれど、少し複雑な心境になった。
私達は台湾の方々の優しさに甘え過ぎていないだろうか。人懐っこい彼らの穏やかな笑顔の奥に隠された思い〜声高には言わないけれど〜を決して忘れてはいけないと思う。それ位しか出来る事はないかもしれない、未来を見つめて歩む為には。

シアトルに居たのはトータルで7ヶ月位。語学力はロクに身に付かなかったけれど、様々なバックグラウンドの人に出会った事、マイノリティーの立場を体験した事、それでも見ず知らずの人々に助けられた事(逆に傷つけられた事もあるけれど)、そしてエイミーとの出会いは、能天気なあたしの視野に新たなdimensionsを与えてくれた。長いばかりでまとまらなくてスミマセン。

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