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もう叶わない「未来に残したかった風景」は東京の真ん中神宮外苑に。旧国立競技場。

タイトル画像:白黒の東京の街並みの写真

東京の中心付近に、少々他と時間の進み方が違うエリアがあります。

いわゆる神宮外苑。明治神宮の周辺エリア。

銀杏並木があったり絵画館があったりと文化的なイメージがありつつ、スポーツ系のスタジアムやテニスコート、体育館など体育系施設も固まって、付近のビル群の発展とは違う時間が流れてます。

その中の一つの施設。残念ながら、残らなかった話なのです。

薄暗いコンコースから広がる景色の記憶

その風景は、まだ寒い早朝の最寄りの駅から出たところから何度も続きました。

競技場の並びの列までの歩き。

そこに到着して列が動き始めるまでの全員仲間状態での交流。

同じ色のレプリカを着た連中の集団ワクワク。

そしてモギリが終わってスタジアムのコンコースを走るギリギリの速度でお目当てのエリアに進む感じ。競歩の短距離記録が出ていたと思います。

この薄暗いコンコースから。

いよいよゲートをくぐる。

そこに、さえぎる物が何もないすり鉢の底に緑のピッチ。スタンドには仲間たちがわらわらと出てきて同じ色で染めていく光景。

旧国立競技場の愛おしく思い出すだけでアドレナリンが出る風景です。

国立競技場のある神宮外苑

明治神宮とその周辺のエリアで、かなり広い範囲に、様々な施設が点在しています。

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画像:神宮外苑、というWebページにあるイラストマップ

下のリンク:神宮外苑Webページ

明治天皇を記念する施設を国民の希望により設営、という形で1918年(大正7年)着工。

日本庭園の形の内苑と、西洋風の外苑、という大きな公園の位置付けで、スポーツ熱の高まりを受けて、途中からスポーツ施設の併設も行われて、今の形に。1964年の東京オリンピックで、数々の名勝負が繰り広げられました。

周辺に様々な地下鉄、JRの駅があり、利用する施設によって駅も使い分けられます。

この中で自分が一番思い出深いのが、国立競技場。

今回の東京オリンピックで建て替えられましたが、古い方の建物が心に染み付いてます。

旧国立競技場

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画像:国立競技場オフィシャルページに掲載されている写真

下のリンク:同ページの歴史の解説ページ

https://www.jpnsport.go.jp/kokuritu/sisetu/tabid/421/Default.aspx

陸上トラックがあり、すり鉢型、一層の平たい丼のような形状。おや?あまり褒めてる感じじゃなくなったぞ?

昔の東京オリンピックのメインスタジアムで、聖火台がバックスタンド最上段にあり、歴史を感じさせます。

今の新国立競技場は3層で、どこからもピッチまでの距離も大体同じ。高さは違うので見え方は違いますが。

対してすり鉢型は、席によって全く見え方が異なる、というところ。何回通ったか覚えてませんが、それぞれの席でそれぞれの思い出が。

また、改築、増築により、階段の配置もすっきりしてなくて、さらに場所により足元の空間などもまちまち。

特に最上段の座席配置は妙な余裕があり、席を探すときもそれぞれの特徴を見ながら、が楽しみでした。

写真で説明したいところですが手元に無くて…

器の記憶は試合の思いと共に

Jリーグのあるチームを推してます。当初は弱くて、連勝するだけで大騒ぎ。

そんなチームも徐々に勝てるようになり、ある年にナビスコカップの決勝にたどり着きます。ここがある意味「自分のチームの初国立決勝」。

それまでもリーグ戦で使うことはあっても、あくまでも中立スタジアム。でも、決勝まで勝ち上がり掴み取った舞台としての国立の「ホーム感」は全く違います。

結果は力及ばす、ですが、なんと翌年も決勝に。

チームとしての初タイトル、昨年の苦い思い出を持ち、多分チケット争奪戦の段階からの舞い上がりは人生の中で一番だっだはず。

ゴール裏からの呼びかけで、多分人数以上に大きな旗を持って、始発前からすごい人数がゲートに集結、早朝から異様な光景が作られていました。

メインから見て左のゴール裏、面白そうな席を選ぶ余裕もなく、とにかく上の方に潜り込み席を確保。

その時、一人の青年が席を探してキョロキョロしながらすり鉢を登って来て、ちょうど自分の横の席でない仕切り部分が空いてたので、そこに滑り込ませました。なんと、この青年、朝一で三重からチケットも無く駆けつけ、運良く余りチケットを手に入れて競技場まてたどり着いた。

何かこのバイタリティがそのまま全員の総意、という空気感。

試合前には割と静かなのがスタイルながら、変な興奮と緊張感は未だに覚えてます。わーッと声を出したくなる感じ。

それでもじっとその時を待ちます。

ピッチでの公式ウォーミングアップ、それも終わり音楽と共に選手入場。

そのタイミングで恐らく10万本は超えるだろう旗が一斉に振られる風景は、振った当事者としてとしても信じられない「旗の波」というイメージ。その中の一人になれたことは未だに誇りです。

昨年と同じ相手に対して、終始攻勢をかけ、残り数分、それまでの悔しさ、前年の目から血が出るような悔しさからのカタルシスの解放までもう少し、終わったら泣くんだろうなという時。

隣のイカつい兄ちゃんが号泣を始めてしまいます。それまで肩かぶつかるような距離で跳ね続け、声を出し続け、プレーごとに顔を見合わせてたその日限りの隣人。

試合は前年の相手に見事にリベンジ、ついに「タイトル」というものを手にできました!

数々の苦しかった試合の風景が頭に浮かび、そこからの成長が形になって目の前に繰り広げられる。

しかし。

フライング号泣のおかげで、膝カックン風にスカされ、結局涙ではなく、兄ちゃんの肩を叩きながら大笑い、という結末。

単なる施設ではなく、そこで行われた中身と共に、記憶に残る風景です。

高校サッカー、陸上の大会、いろいろな方がいろいろな思い出と共に「すり鉢」のビジョンを持ってるんだろうな。

新国立競技場に行ってきた

無観客のオリンピックの後、本格的な観客を入れた初めての大会、天皇杯の決勝で久しぶりに国立に行ってきました。

千駄ヶ谷駅から陸橋がストレートにつながり、オリンピックを見越してかなりアクセスも改善。

目の前にすぐに新しい競技場が。

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画像:千駄ヶ谷駅から国立に向かう途中の写真

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画像:スタジアム全景、デカいですね

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画像:試合前に水を撒いてるスプリンクラーの様子

ワクワクはもちろん今回もあります。

しかし、何か重厚感がないといいますか、オフィスビルっぽいイメージがそこかしこに。

さらに、いわゆるゴール裏にマラソンゲートでしょうか、真ん中で分断されてる。幸い分断されてない側ですが。

正直に言えば、器の持つ迫力や重みを感じさせない。

でも。

新しい器には新しい水を

旧国立競技場が持つ雰囲気は、旧国立競技場のもの。

同じことを求めてもそれは叶わないのです。

新国立競技場は、これからここで数々の勝負が繰り広げられ、それが積み重なって、何年か後に、「新国立競技場」の重みやイメージができるはず。

ある意味、場所が大切、器はその場所で行われる内容で、育っていくもの。

少々寂しい気持ちは今はありますが、これからの世代が、ここで名勝負を繰り広げることで、器はいい具合に育つはずです。

自分に関わることで言えば、毎年ここでタイトル争いすれば、もうなんといいますか。勝手に聖地と思えるはず。

そうなるように後押し頑張っていきます!

#未来に残したい風景


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