見出し画像

京都大学『現代史概論』感想—TAKETAKAさん『チトーの幸福理論』


1.はじめに

以下の文章は、私、にしかたが、京都大学全学共通科目『現代史概論』の授業の感想として提出した小課題を加筆修正したものです。テーマとしては、

  • 「世界史替え歌界隈」という界隈の紹介

  • TAKETAKAさん『チトーの幸福理論』について

  • 「世界史替え歌界隈」に対する(よくある)批判と歴史の捉え方

に絞って書かせていただきました。
毎回、担当教員の藤原辰史先生がフィードバックとして一部の生徒の感想を取り上げ、その生徒に提出した感想について改めて述べさせるのですが、(奇跡的に)私の感想が取り上げられてしまいました・・・。
まさか授業の発表で「世界史替え歌界隈」だとか「TAKETAKAさん」なんて言葉を発することになるとは・・・。
正直、藤原先生はあまりネットの、しかもニッチな界隈にむしろ嫌悪感を示される(歴史の替え歌に対して批判的立場をとられる)かなと思ったのですが、非常に興味を持って下さって感謝しております。

なお、以下の感想でも一部触れるので紹介しておくと、藤原先生は主にドイツ現代史について研究しておられる(本当にスゴい)方です。講義では主に「トラクターとナチス」というテーマのもと、トラクターの歴史や、それとナチスとの関わりなどについてご紹介いただきました。
講義内容の詳細は省略しますが、トラクターという農機具からあぶりだされる世界史、ナチスの姿は非常に興味深いものでした。
(下は藤原先生HP)

さて、前置きが長くなってしまいましたが、これらの背景を踏まえて以下の感想をお読みいただければと思います。
本当はこんな大事になるとは思ってなかったのですが・・・(笑)

※京都大学関係の方、主に講師の方へ※
感想の公開につき著作権上など問題がある場合は、学生メールなどで連絡いただければ対応いたしますので、よろしくお願いします。

2.感想本文


今回の講義でさらっと戦後のユーゴスラビア史についても仰っていたが、そこで私がお勧めしたいのがTAKETAKAさん『チトーの幸福理論』という替え歌である。

 ネット上には様々な「界隈」(日本史界隈、政治界隈など)という、特定の趣味を共有している人たちの集まりがあるが、その中の1つに「世界史替え歌界隈」(注:正確な呼称は存じ上げないので、仮にこう呼ぶことにしました)という界隈がある。この界隈では、世界史においてあるテーマを設定し、そのテーマに基づいて有志により替え歌が制作される。
『千本桜』の替え歌として、独ソ戦を描いた『戦争桜』(ふってぃさん)などがその一例である。

今回紹介したい『チトーの幸福理論』は、じんさん『アヤノの幸福理論』の替え歌である。

テーマはもちろんユーゴスラビア、特にチトー時代のユーゴスラビアだ。本曲について紹介する前に、前提知識となる戦後ユーゴスラビア史について概観しておく。


第二次世界大戦中、ドイツに占領されたユーゴはチトーの指導のパルチザンによって独力で解放を果たした。その後、チトーはユーゴの社会主義化を推進したが、その過程で自国中心の社会主義(ある意味帝国主義的である)を目指すソ連と対立し、米ソ陣営いずれにも属さない非同盟諸国のイリーダーとして独自の社会主義を建設していく。
この、いわゆるチトー主義で重視されたのが「どの地域・民族も等しく発展していく」という考えである。「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」たるユーゴにおいて等しく発展していくのは至難の業であった。しかしチトーはあきらめなかった。自身に対する批判は認める一方、民族主義的、過激な主張は徹底的に取り締まったのである。そして冷戦構造を利用して、西側陣営からの援助も取り付け、ユーゴは冷戦下で独自の発展を遂げた。
しかし、ユーゴの運命はチトーの死によって暗転する。チトーというカリスマ性によって抑え込まれてきた民族主義が息を吹き返し、冷戦終結によってイデオロギー的団結も失われ、10年に及ぶユーゴスラビア内戦が発生し、互いの民族は憎しみあい、ミロシェビッチ・セルビア大統領の指示による民族浄化も多数行われた。
このような凄惨な紛争を前にして、「チトーの最大の欠点は死んだことだ」と、チトーがいかに国家統合したかを逆説的に称賛する主張もみられた。


史実を概観するだけでも個人的には悲痛な思いなのだが、本曲を聴くとどうしても感動してしまい、涙を禁じ得ないのである。原曲の切なく、ノスタルジックな曲調によってチトー死後のユーゴの凄惨な紛争を想起させ、その反対解釈として、いかにチトーがユーゴを1つに団結させるのに苦労したかを理解することができるのである。また、チトーの苦労は替え歌の歌詞によっても理解できる。いくつか紹介しよう。

"怯えた顔で 「ヤツは異民族だから」 私(注:チトー)は告げる「そんなことは無いよ」って"
"ユーゴ色、染めて、始めよう 小さな「大国のフリ」だけど"
https://www.youtube.com/watch?v=khTpKgWfq0Y  より

チトーは独自の社会主義を追求し、5つの民族は異民族だからといって殺しあう必要なんかない、ユーゴという1つの国で「家族」として歩んでいこう、そんなチトーの思いが歌詞にうまく表現されている。

"狂いだしていた 気付いたら もう 誰にも 止められず 「嫌だ、嫌だよ。壊れるのは」 幸せの終わる世界が来る"
同上

しかし、歴史が証明するように、弾圧によって言論は封殺しきれない。ユーゴも例外ではなく、抑え込んできた民族主義もやがて抑えきれないほどに膨らみ、チトーの築き上げようとした夢が破れようとしている。

"「融合色、それが私なら 誰かの未来を 救えるかな」 調整ばっかで 情けない 独りぼっちの政権だ"
同上

「ユーゴ色」に「融合」を掛けるという歌詞のセンスに感嘆し、原曲もサビに入り感動させられる。そして、(ユートピアを築くべく奮闘した)独裁者チトーの苦悩が描かれており、まるで映画を見ているかのような気分になる。そして、独裁者のはずなのに、私たちの民主主義には相いれないはずなのに、チトーに同情してしまう。そして、「チトーの幸福理論」という「映画」はついに終章を迎える。

"私が消えたあの日の連邦国家(ユーゴスラビア) ちゃんと笑って暮らせているのかな"
同上

チトー亡き後のユーゴの姿は、あえて(注:あくまでも私の解釈ですが・・・)明確に描かれない。そこは私たちの想像に任されているのだ。
だが、私たちはユーゴ内戦を知っている。結局チトーの努力は水泡と化し、民族が互いに憎しみあい、殺しあってしまっている・・・

是非映像と音楽とともに視聴してもらいたい作品である。


 「世界史替え歌」には批判も強い。曰く、正確な歴史を描くことができていない、さらに、日本の歴史を描く場合には、負の歴史を矮小化ないし美化している、と。
もっともな指摘だと思うが、私はそれでも「世界史替え歌」を擁護したい。歌には人を感情移入させる力がある。世界史を歌で描く際、メロディーに乗せるため歴史的事実を取捨選択しなければならない場合はある。しかし、歌で描くことによって、戦時中など当時の人々に、あるいは歴史上の人物に感情移入することができるのである。
感情移入することは「あの時私ならヒトラーを支持しただろうか?」「なぜチトーは統一を願ったのか?」という重要な問いを考える手掛かりになる。

(注:以下はあまり替え歌の紹介とは関わりありませんが・・・)
歴史はともすれば、イデオロギー的対立や政治など、大きな枠組みでとらえられがちである。だが、先生が紹介してくださったトラクターという日常的に使われる農機具をはじめ、「その時そこにいた人々」に根差した、「日常」の歴史も重要であると現代史概論の講義を通じて感じた。
身近なものをただ当然のモノと受け入れるのではなく、そこに潜む歴史的な背景は何かを常に考え、よって現実の諸問題に対する意見を持つようにしたい。


参考文献
・一柳直子「旧ユーゴスラヴィア内戦の要因をめぐる諸論争」立命館法学262号(1998年)
https://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/98-6/itinagi.htm

・嶋田啓一郎「ユーゴスラヴィアの社会主義 : チトー大統領との 会談をめぐりて」人文学28号1~28頁 同志社大学人文学会(1956年)http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000002305

3.余談

ここまでお読みいただきありがとうございました・・・!
いや正直、最初にも書いたんですけど、割とオオゴトになってしまった感はあります(笑)まさかTAKETAKAさんご本人に認知していただけるとは・・・
でも、感想で書いた内容は決しておふざけではなくて、私個人はもっと替え歌界隈が広まってほしいなと切実に願っています。
というのは、私の周りでも、「世界史が苦手・面白くない」という話を結構聞くんですよね。その理由を聞くと、

「覚える内容が、5000年前の古代文明から、ほんの20年前のアメリカ同時多発テロまで時代が幅広すぎる」
「日本史なら日本に限定されるけど、世界史ってアジア・ヨーロッパ・アフリカ・(近世以降は)アメリカとか、地域をあっちこっちして分かりにくい」

という話なんですよね。こういう話を聞くたびに私はもったいないと感じてしまうんです。
たしかに受験世界史としてはある程度覚えなければなりませんが、とりあえず頭に突っ込め!ではそりゃ頭はパンクすると思います。そうやって覚えるよりはむしろ、「自らの頭の中でストーリーを組み立てて覚える」方がよっぽど効率的だし、楽しいと思うんです。
世界史替え歌界隈の方々だって、嫌々替え歌を聴く、あるいは作っているわけではないはずです。「世界史が楽しいから」、(私を含めて)替え歌を聴くのではないでしょうか。そしてなぜ楽しいかと言えば、無意識のうちにストーリーを組み立てているからだと思います(少なくとも私はそうです)。

そうなんです。自然にストーリーを組み立てられる世界史オタクだけではなく、そうではない、むしろ世界史が苦手な人にこそ、替え歌をお勧めしたいのです。
替え歌は「歌」、すなわち文学作品(⁉)ですから、ストーリー性がもともとあります。無機質な項目分けに終始する教科書を丸覚えするくらいなら替え歌を聴いたほうがいいのでは・・・?
(まあ、教科書は面白さを追求するものではないので当然ではある)

TAKETAKAさんの『チトーの幸福理論』をはじめ、YouTube上にはあまたのクリエイターが替え歌を投稿してくださっています。
ええ、もちろんネットは嘘だらけですから、もしかしたら嘘歴史を語る替え歌もあるかもしれません。
そこは周りの世界史オタクに聞きましょう。あるいはコメント欄を覗いてみましょう。

まあ最悪、聴いたけど全然世界史覚えられねえよ!ってなっても、少なくとも聴く前よりは世界史を好きになっているはずです。『チトーの幸福理論』を聴けば、世界史一問一答でチトー、という単語を見て感じる(?)ものがあると思います。

前置きと余談がやたら長くなってしまいましたが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました・・・!

2023.02.08 にしかた

【訂正】
Futtyさん『戦争桜』の説明におきまして、太平洋戦争時の日本を描いた、と説明しましたが、正しくは独ソ戦でした。
恐らく、KIC_吸血猫 旧桜猫様の『皇国桜』と混同してしまったものと思われます。

皆様にご迷惑をおかけしましたこと、お詫び申し上げます。また、この旨お知らせくださった読者の方に、この場を借りて感謝申し上げます。

2023.03.01追記

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?