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また来週、ネパールセットを食べに行く


昨日、カレー屋に行ってから、もやもやしている。いや正確にはカレー屋で観たテレビのせいなのだが。

インドなのか、どこの国なのか分からないが、本場っぽいカレー屋さんが駅前にある。
“チキンカレーやキーマカレーや、サグカレー等の中から1-2種を選び、ナンとライスの好きな方を選び、ラッシーやらなんやらの中からドリンクを選ぶ。”
みたいな、どこの街でも見かけるあのカレー屋さんだ。

そこの「ネパールセット」が好きだ。
ネパールセットはすごい。なんと言っても品数がすごい。
①普通に美味いチキンカレーと、②並々注がれたカレーっぽい豆のスープ。これだけで十分過ぎるくらいなのに、
それに③クミンで炒めた激うまの小松菜と、④芋やら人参やらが、黄色い穀物?と和えられた絶妙なサラダもつく。
⑤独特のソースがついた野菜の漬物などクセになるし、⑥上唇の水分を奪う薄い煎餅みたいなものも二個あって嬉しい。
⑦ドリンク(大概ラッシーを選ぶ)もあって、
そして何より⑧ライスのおかわりも自由と来ている。
⑨来店時すぐに配膳されるもやしのお通しもついて、それで1,000円だ。

半年くらい前から鶏肉以外の肉を食べないようにしている僕にとって、一人外食の行き場のなさは異常である。牛丼屋も、すた丼屋も、ラーメン屋も行けない。
の割に僕は常に腹ペコで、人の1.5倍〜2倍の量を食べたがる体を抱えている。

そんなやっかいな頭と体のチグハグさを持つ僕にとり、このカレー屋そしてネパールセットの存在はありがたく、最近は週一ペースで来てしまっている。体の一部はこのカレー屋のネパールセットで出来ていると言っても過言ではない。

さて、昨日も昨日で、ネパールセットを注文。意気揚々と食べ始めたまでは良かった。
いや、食事の内容はいつもどおりで、とても美味しかった。しいていえばラッシーと共に出たお通し的なものが、いつものもやし炒めではなく、枝豆だったが。

問題はテレビであった。
店の、嫌でも目に入る位置に付けられたテレビを観た。夕方のニュースでやっていたのは、河原でBBQをする人たちに直撃取材をするもの。

若者が青梅でBBQして、ゴミを散らかしているとか、禁止された直火でやってるとか、ビールの空き缶を拡大で映して、飲酒をしているようだ、とか、そんな内容だった。。

それだけでも、まぁなんだかなぁ、なのだが、もやもやの原因はむしろそのあとで、場所を移動して川崎市の河原でBBQしている集団への取材のシーン。これが、何ともひどかった。

その河原は全面的にBBQ禁止なのだそうだ。
しかし、BBQをしている5-6人の集団がいる。
レポーターが集団に突撃して聞く
「BBQ禁止ですが、知ってますか?」
彼らのうちの1人が答える
「知ってなかった」
レポーターは聞く。
「どこの国の人ですか?」
彼らは「インド」「フィリピン」と答える。
彼らは同じ職場に勤める同僚だという。

その後、テレビ局の取材班に監視されながらも、彼らは素直に指示に従い、いそいそと片付けて20分後に「立ち去っていった」そうだ。
そんな内容だった。

カレー屋の店内には客はまばらで、テレビを見ているのは僕だけだったが、空いた席から「あら、やあねえ」と声が聞こえた気がした。

「これだから、ルールを守らないガイコクジンはいやね」と。

ネパールセット、そしてこの(おそらくは)インドのカレー屋は間違いなく僕の体のタンパク質の素になっている。体の一部になっている。
ここで働く彼らに、僕は支えられている。

あるいは、同じ職場で働く同僚だと言ったテレビの中の彼ら。あの取材を受けたインドやフィリピンの人たちにも、回り回って、いつかどこかで、生活の一部を支えてもらっているかもしれない。と思う。

あのテレビは、何を伝えたかったのだろう?あえて国籍を聞いて、どうしたかったのだろう?
違反をしている人(しかも大した違反ではない)を吊し上げて、特定の属性であることを強調して、イメージを決めつけて。

彼らの置かれた状況は、察するに余りある。その口ぶりとすぐに片付けをする姿からして、本当にその場所におけるBBQのルールを知らなかったんだろう。「知ってなかった」そのような言語力を持つ彼らが、国籍も様々な彼らが、今のこの日本の社会でどのような思いを持って過ごしているのか。あるいは、孤独に過ごしているのか。
やっとの思いで職場で繋がった仲間たちなのかもしれない。
そんな仲間たちと必死になって、関係を、命を、繋ごうとしているのではないのか。
こうも想像できないだろうか。
もしかしたら、これまではコロナの状況もあって集まりを自粛していたのかもしれない。感染がやっと落ち着いてきた最近。しかし、店もやっていない、お酒の提供もないという中で、集まれる方法を探して、今回何とか実施できたBBQだったのかもしれない。
結果としては「ルール違反」であり、その行為は間違ってしまったけれど、それはそんなに社会的に糾弾されるべきことだろうか?
むしろ、彼らには本来、何らかの形で手を差し伸べるべきではなかろうか。教えてあげるとか、手伝ってあげるとか、その場にいた取材班でも出来ることはあったはずだ。
そんな、相対的に弱い立場にある相手に対して、手を差し伸べるどころか、「これはいい画が撮れた」などと、悦に浸り、唾を吐きかけるような態度で、無知性を、暴力的に垂れ流すメディアというものを、僕は許容できない。

よーするに、久しぶりにテレビのニュース見たけど、すごいオコだわ。💢
ネパールカレーも火ぃ吹くわ😡🔥

「ポストコロナの生命哲学」という新書の中で、著者の一人である藤原辰史さんは
『ポストコロナの課題は、「アンテ(前の)」コロナの課題の継続もしくは発展である』と語っている。

今までは気づかなかったが、これまでもきっとずっと、同じように報道はされてきただろうし、傷つく人たちも存在してたんだろう。

そういう意味で、こういったメディアの差別意識、そして暴力性というものも、コロナの状況にして炙り出された、しかし、新しくはない、解決すべき問題の一つなのではないか。
そんなことを思った。

また来週、ネパールセットを食べに行く。

それは、単に美味しいから、なんだけどね。
でも、食べ終わったら、帰るときに
「いつもありがとうございます😊」
って言おうと思う。

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