[小説]ひみつ空間ロデオ(ショートショート)
散歩中、気になる喫茶店を見つけた。
看板に「ひみつ空間ロデオ」と書いてあった。
入り口にはポップな笑顔の馬のオブジェがあり、その馬が咥えている看板にそう書いてあったので、店名だろうと察した。
またその馬はコーヒーカップを両前足で挟み込むように持っていたので、喫茶店であろう事も分かった。
ちょうどいい時間だったので入ってみることにした。何より、この店の何が「秘密」なのか、とても気になった。
店内は少し薄暗く、至る所にアンティーク調の雑貨が散りばめられていた。
ひとり用の小さなテーブルと椅子が三席あり、さらに入り口からは死角の窓際に、二人で座れるテーブルが一席だけあるようだった。
つまり、なんて事はない小さな喫茶店だった。ただ少し席が少ないかな、とは感じた。
ひとり席に座り、帽子をテーブルに置くと、さっそく店員がやってきて注文をとる。
胸のプレートには「ロデオ」とある。なるほど、彼がオーナーか。自身のニックネームを店名にしたのだろう。馬のオブジェもそれに由来する物か。
メニューを見る。内容は至って普通だった。「秘密」感はメニューにはない。私はホットコーヒーを指差し、「これを」と伝えた。
オーナーは(かしこまりました…)と聞こえるか聞こえないかくらいの小声で囁いて、小さな厨房へ戻っていった。
メニューを閉じて、改めて店内を見渡してみると、先程は分からなかったが、窓際の席に二人の先客がいることに気が付いた。
でも、何も会話は無いようだ。熟年の夫婦のようだが、長年付き添っていると、普段の会話も無くなるのだろう。
と思っていたら、男性がボソッと一言。
(彼は、初めてだな…)
ドキリとした。
私は確かに初めて訪れたが、それは私には聞こえてはいけない言葉では。
やはりこの店、何か「秘密」があるのか。
そういえば、先程から違和感が一つ。この空間は静かすぎる。静かすぎるから、離れた席の小さな声も聞こえてしまうのだ。
もちろん音楽など鳴っていない。厨房でカップを準備する「カチャリ」という小さな音すら、店内に響いてしまっている。
なんだろう。何か「秘密」があるのは間違いない。ただ、それが何か分からなく不気味だ。
不気味さの正体が分からないまま、視線をめぐらせ、店内を物色していた、その時。
「ブオオー」
という大きな音と共に強風が起こった。テーブルに置いた帽子が飛ばされないように抑え、強風が止まるのを待った。
強風はすぐに収まり、その発生源がオーナーの操作した複数のサーキュレーターであることが分かった。
おいおい、なんなんだこの店は…。なぜ、強風を起こすのか…。なぜ、音楽も流さず静寂を作るのか…。理解不能の「不思議」が頭をぐるぐると回る。
ただ、この喫茶店。不思議と居心地は悪くない。
しばらくしてオーナーがコーヒーを持ってきた。コーヒーには何の違和感もない。普通のコーヒーのようだ。
(お待たせ致しました…)とコーヒーをテーブルに置くオーナーに、思い切って聞いてみる事にした。
「あの、なぜ音楽が流れていないんですか?」
オーナーは口元に人差し指を立て、小声で言った。
(それは、お客様同士の会話を少なくして頂くためです。)
小さな声で話す必要性を察し、私も小さな声で質問を続けた。
(…では、なぜ強風を起こすのですか?)
オーナーは隠す事なく答えてくれる。
(それは、換気のためでございます。)
私は不思議に思った。違和感はあるけれども、何も「秘密」じゃないじゃないか。
オーナーは何も秘密にせず、全て答えてくれる。では、いったい何が秘密だと言うのか。
意を決して聞いてみることにした。
(この店の、なにが「秘密」なんですか?)
そしてオーナーは、隠す事なくこう言ったのだった。
(秘密などございません。
店名の「ひみつ」は、
いわゆる三密。
密閉・密接・密集“ではない”空間。
という意味での、
「 非 密 」でございますゆえ…。)
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