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孤立するボートの上から

何を思ってこの投稿を書いているのか、もはやはっきりと分からない。

女性ではない自分が、女性のことを完全に理解して、寄り添えるとも思えない。
でもそのことをはっきりと言葉にしてしまうことの虚無感とは、距離をとりたい。

何より結果理解出来ないとしても、理解するための努力は最大限に行いたい。

この投稿によって、これまで対岸にいた人たちにほんの少しでも近づけるかもしれないと思う一方で、同じ岸にいた仲間たちを失うかもしれないと思う。

仲間たちを置いて、一人ボートで対岸を目指す。
でも対岸の人たちが、僕を受け入れてくれる保証はどこにもない。対岸を目指した結果、受け入れてもらえずにボートで孤立するかもしれない。

また、利他的に見せかけて、実はしたたかな自己利益のためという面も否定できない。
「結局は女性に好かれたいから、そう言うんでしょ」
と言われたら、そうかもしれないなと思う。あるいは自己陶酔か。(SNSの投稿なんて、多かれ少なかれ自己陶酔なのだけど。)
ただ、それが全てではない。本当に心から反省して、対岸にいる人たちのことを思って、というのも決して嘘ではない。

「女性のいない民主主義」
「99%のためのフェミニズム宣言」
「ケアするのは誰か?」
「肉体のジェンダーを笑うな」
「エトセトラ:コンビニからエロ本が消えた日」
「さよなら、俺たち」
「フェミニズムはみんなのもの」
「私たちにはことばが必要だ-フェミニストは黙らない」

これらは、僕がこの2ヶ月間で読んだフェミニズム関連本である。
タイトルだけを見て、どう思うだろうか。

僕はこの本たちを正直辛い苦しい気持ちで読んだ。これまで少ししか(あるいは全く)意識していなかった自分の内にある「加害者性」を強く意識させられた。

お前がなんにも考えずやっていたことで、悲しく辛い思いをしている人がこんなにもいるんだよ、と。
現実を叩きつけられた。

しかし、その加害性に悩むことを辛いからと、助けてくれと、そう言うつもりは全くない。助けてもらう必要があるのは当然僕らではない。潜在的にも顕在的にも被害者である女性たちの方だ。

だいぶもったいぶってしまったけれど、ここからが本題で、この投稿で僕が記そうと思ったことだ。

僕はこれらの本を読み、特に「エトセトラ:コンビニからエロ本が消えた日」を読んだことを境に、ある決め事をした。

それは「もう二度とエロ本やAV、そしてそれに類するコンテンツを見ない。」と言うことだ。

ほらね。
対岸の人たちは、きっとなんだそんな事かと思ったことでしょう。それどころか今まではAV見てたんだ、と引かれたかもしれません。
逆にこちら側の人たちは驚き、お前やめろよ、と思った事でしょう。
もう既にボートで孤立しています。

また、こちらの仲間たちは出来るのかそんな事?とも思うかもしれない。
(対岸の人たちは、そんなふうに思うの?と思うかもしれない…)

でも、このことは、思ったその日から実行していて、既に2ヶ月くらい、何の問題もなく続いていることをお伝えしておきたい。

僕はこれまで本当に無知だった。無意識で浅はかで愚かだった。
男性優位の社会構造の上にあぐらをかき、性搾取の既得権益を存分に享受していた。
男性のホモソーシャルな集まりでは、当然のようにAVやそういうコンテンツについて語り合っていたし、女性を性的対象物として見て楽しんでいた。
自分が性的に解放されたい時には、対価を払えば(あるいは払わなくとも)AV的コンテンツがいくらでも得られたし、そのような視覚的なエロを、中学生以降約20年間、潤沢な枯れない湯水のように溢れるままに疑いもなく享受してきてしまった。

それによって誰かが傷ついたり、怖い思いをしたりしているなんて思わなかった。
いや、本当のことを言えば、少しは思っていた。きっと、気付かないふりをしていただけだ。

なぜなら気付いてしまえば、今受けている恩恵(その恩恵は異常なのだが)を否定することになるし、既得権益みたいなものを失う。この「楽しさ」を失いたくない、みたいな気持ちがあったんだと思う。

でも気付かなくてはいけなかった。今も傷つく誰かや、そして、未来に生きる子どもたちのためにも(女の子も男の子も)。

とか言うと綺麗事っぽくて毛嫌いする人もいるでしょう。わかっている。たしかに綺麗事だなと自分でも思う。繰り返すけど、半分は自己保身だ。
でも、もう半分は素直な利他の気持ちなのです。

はぁ、しかしこの文章を書くのは本当に気が重い。書いていて鬱々としてくる。

ここまで読んでくれてる人は誰かいるのだろうか。いないといいな、とも思う。みんな三行目くらいで右スワイプして戻っていてくれ。
他のみんなの楽しい投稿を見ていてくれ。

はぁ。鬱々。
しかし、伝えなくてはいけない。誰に?無知だった昔の僕に。彼に伝えたい事が山ほどある。

昔の僕に聞いて欲しい。

——

あなたは知っているか?
コンビニにエロ本が陳列されていた頃。(たった二年前。)トイレの近くに置かれたその棚の前を通る時。小さな子を連れた母が、どんな気持ちで通っていたのか。興味を示した子どもに「なんでこのお姉さんは服を着てないの?」と質問され戸惑うことを。
エロ本を別の本に隠して買ったことを友人に告白して、笑いを取っていたあなたは知っているか?

あなたは知っているか?
日本人の女性が、海外でどう見られているか。日本のAVは海外でも大人気で、アジア人は性に奔放だと思われていることを。そのせいでセクハラや性被害に遭いやすいことを。
竹藪に落ちていたビデオを拾って机の奥に大切にしまっていた中学生のあなたは知っているか?

あなたは知っているか?
インターネットに触れる思春期の子どもが、検索ワードになんと入力するか。そのワードで出てくるページのおぞましさを。そこから、子どもがどのような性知識を得て、どのようなジェンダー規範を身につけ成長していくのか。
電車でスポーツ新聞のエロ広告を読むサラリーマンにはなりたくないと思いながら、夜にはPCでAVを見ていたあなたは知っているか?

あなたは知っているか?
セックスは、性の営みであり、生の営みであることを。
性行為は、女性を好き勝手に乱暴をして、自分の欲望を満たす行為ではなく、鮮やかな性と性のコミュニケーションの果てにある、美しく輝く生命の営みであることを。
当たり前のことだけど、本当の、本当に知っているか?

あなたは知っているはずだ。
女性が性的に搾取されていることを。広告やTVCM、ゲームや雑誌の表紙などで女性が過剰に性的に強調されていること。それによって、男性の欲望は煽られ、世の女性が性的に矮小なものへと貶められていることを。
そのような表現を毎日浴びているあなたは、心の根底では知っているはずだ。

あなたは知っているはずだ。
AVには、本当に目を覆いたくなるような、残酷で、過酷でひどい内容のものがあることを。それは物によってはフィクションではなく、リアルな被害が発生しているものがあることを。
それでも、これはフィクションだからなどと罪悪感をごまかし、性欲の渦に没頭していたあなたは、本当は知っているはずだ。

あなたは知っているはずだ。
避妊の権利は女性にあることを。AVの世界の非避妊性はファンタジーだと。AVによって間違ったイメージが作られ流布されていることを。
付き合ってまだ間もない時、作られた性欲に負けたあの日のあなたの理性は知っているはずだ。

あなたは知っているはずだ。
恋をした瞬間のあの気持ちを。
その素直な気持ちはとても美しいことを。

そして、まっすぐと、生命の営みへと続く道に伸びていることを。

何度も恋をしたあなたなら、きっと分かるはずだ。

——-

この投稿は、ながながもやもやとしながら書いた。一ヶ月近くiPhoneのメモ帳で書き途中のまま眠っていた。
自身の性的な告白を含むこの投稿を、公開するのか、していいのか、実のところ今も悩んでいる。
思い切って公開のボタンを押せるだろうか。押せたとして、残しておけるか。
どうだろう。すぐに消すような気もする。

何を思って、書いているのか分からないと書き出しには書いた。

今は、これはきっと「自戒」なのだ、と思う。

誠実に。真摯に。

何も隠さず素直に。
「後ろめたいことなど何もない」と、胸を張って生きられるように。

そのためには、こういった自戒が必要だったのだろうと思う。何も偉そうなことは言えないし、そもそも偉くもないし。
(万一偉いなどと褒められるようなことがあれば、それは間違っている。男性がたったそれだけのことで褒められることはあってはいけない。がんばる女性を褒めてほしい。)

でも、これでようやく、何も包み隠す事がなくなるかなと思う。

今なら僕が死んだあと、スマホもPCも好きなだけ見てもらっていい。そう言えることが嬉しい。

無意識であっても、意識的にも、誰も傷つけず、誰にも迷惑をかけず、自分が生きていることにはプラスの意味があるのだと、そう胸を張ってありのままに生きていけるように。

孤立するボートの上から、自戒の念を込めて。

願わくば、同じように孤立した仲間に、出会えますように。

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