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らしくないもらしさの内【奥の階段#8関内セルテ】

わたくしは商業施設の奥の方にひっそりとある、階段が好きである。
今回は、関内駅前のセルテの奥の階段。

狭いが明るい雰囲気
かつて公衆電話が設置してあったのだろうか
最後は螺旋型

小学生から中学生までの間、友達の影響でわたくしは阪神タイガースのファンであった。中学生の時は試合結果を配信してくれるメッセージRに登録していて、その着信を六甲おろしの着メロに設定していた。一度塾の授業中にマナーモードにするのを忘れ、教室中に爆音で六甲おろしを轟かせたことがある。それくらいには熱烈にファンであった。

小学生の頃は父がよく横浜スタジアムに阪神対横浜の試合を観に連れて行ってくれた。父は特にどこの贔屓というわけでもなさそうであったが、一緒になって縦縞のメガホンを叩いて応援してくれた。
父は行くならデーゲームがいいなあと言っていた。当時自分としては夜に外出すること自体がワクワクすることだったし、ライトに照らされるフィールドはキラキラして好きな景色だったから、ナイトゲームのほうがいいのになあと思っていたが、今ではその父の気持ちがよくわかる。
休日の夜はゆっくり家で休みたい。
自分が社会人になってみるとよくわかる。子供の趣味につきあって休日を使ってくれることのありがたさを。

思えば父は土日を目一杯子供たちのために使ってくれていた。公園に行って遊んだり、バッティングセンターに行ったり、ドライブに行ったり。自分の趣味は子供が全員中学にあがるまでは封印して、家族のために休日は過ごしていた。今の自分に子供がいたとして、同じことができるだろうかと思うと頭が上がらない。

これは自分がもう少し大人になってから気づいたことだが、親戚の集まりなんかで小さい子供がいると、父はその子にちょっかいを出したり、かまってあげたりして、子供が好きなんだなあということを思う。きっと自分が幼いころもそんな優しい表情を向けてくれていたのだろうと、そんなことを思う。今の自分は子供が好きということを特別自覚していることはないのだけれど、もしかしたらその父と血の繋がった自分も、同じように子供を愛することができ、時間も体力もその子供のために思いっきり使えるような素質を持っているのだとしたら、それはとても素敵なことだなと思う。


どうしても生きていると、自分はこういう人間だからとか、こういうのは自分には似合わないとか、勝手に決めつけてしまっているものである。でも、もしかしたら自分は子供のことを好きになるのかもしれないというような、まだ自分の知らない自分自身にこれから気づくことができるというのなら、それは人生において大変なインパクトのある出来事である。それを見つけることを楽しみに生きたっていいくらいのものだ。


”自分らしさ”に疲れたら、たまには”らしくない”こともいいかもしれない。


今度父に感謝を伝えてみよう。らしくないから少しお酒を飲んで。

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