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1946年 預金封鎖で何が行われたか

1946年2月17日、預金封鎖が行われた。追って3月1日、新円切り替えとなった。

具体的には持ち金を銀行に強制的に預けさせ、旧紙幣を使用停止させ、新紙幣の使用のみ可とした。

これは当時発生していたインフレーション抑制という側面もあったが、それだけではない。

その真の目的は国民資産の確定と徴収にあったと言えるだろう。

預け損なった旧紙幣は文字通り紙屑となる。そして預金の引き出しは封鎖解除まで月額500円を上限とされたという。

これらは悪夢のインフレと相まって国民生活に多大な苦境を齎らしたがまだ序の口に過ぎなかった。

預金封鎖は1948年7月に解除されたという。しかし、その間に財産税法に基づく申告及び納税が実施された。

財産税法では1946年3月3日時点の金融資産全般、不動産、生命保険(簡保除く)等に対して課税された。預金額で足りない分は物納という手段が取られた。

世帯総資産10万円(現在価値で3500万程度)以上で25%から累進課税で最高90%の課税がなされることになる。

市場ではインフレにより物の価値が高まる中、国民の財産は家屋を含めて7万5千円程度(現在価値で2600万程度)の資産と減ることになる。 (ちなみに国家公務員の初任給は1946年の540円から1948年には2990円と大幅に上昇する)

しかもこれで終わりではない。

翌年には円の対ドルレートは前年の15円から50円の大幅な円安になる。

つまり、たった1年ほどで10万円だった資産が7万5千円になり、さらに実質的に2万5千円(現在価値で900万程度)まで下がることになったのだ。

そうして、日本人の実質資産は、1949年に対ドルレートが360円に固定されるまで目減り続けることになる。

これは借金についても同じことが言え、巨額の借金は瞬く間にその価値を減少していった。

例えば、国債残高は1944年の対GDP比204%から1947年には28%まで正常化することになる。

国民生活は1945年から1950年までが最も深刻だったという感想をよく耳にするが、これらのインフレ率を考えれば当然のことだろう。

現在、日本の国債残高は対GDP比236%(2018年)である。また今回の財政支出により更なる悪化が見込まれる。

戦時を超えるこの状況をいかにソフトランディングさせるか。2024年の新円切り替えと2025年のIMF世界統一暗号資産発行、どのようなことが起こるか。注目していきたい。

※このnoteは2025年IMF世界統一暗号資産発行までの記録のためのものです。今後、「財産税の解説」(昭和21年2月5日発行 石山賢吉著 ダイヤモンド社発行)の紹介を含めて、記事を発信していきたいと思います。

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