見出し画像

大衆演劇を見る

突如現れた三連休。せっかくの三連休なのだから、気分転換にどこか行きたいと考えていた。しかし、中々行き先は決まらず、ダラダラと時間だけが過ぎる。結局、近場のまだ行けてない喫茶店やスーパー銭湯に行く事にした。

まず向かったのは、自宅から車を少し走らせた所にある紅茶屋さん。

画像1

この日頂いたのは抹茶のミルクレープとダージリン、キームンのブレンドティー、スコーンである。平日の昼下がりの時間帯、さほど駅近でもない立地だが、店内は8割ほどお客さんがいた。てっきり空いていると思っていた私は、この光景に驚いた。きっと近所の方々に愛されているお店なのだろう。お店の方も気さくで素敵な方だった。
抹茶のミルクレープは甘さが控えめでサッパリしていて、中に挟まれている栗や小豆が良い食感を生み出している。スコーンや紅茶も大変美味しく、今度はアフタヌーンティーを食べに来よう、と決意したほどだ。

紅茶をふんだんに楽しんだ後、スーパー銭湯に向かう。そこでは岩盤浴を体験したいと考えていた。岩盤浴前に少し温泉に入ろうと、早々に服を脱いで、大浴場に向かう。その時、ふと大衆演劇の公演スケジュールが書かれた紙が目に入った。それを見て、ここは大衆演劇もやってるのか!と気付き、せっかく来たのなら見たい!と思ったのだ。これから見れる夜の部は基本的に舞踊ショーしか行わないようだったが、その日は芝居と舞踊ショーどちらも行うようだった。これは見るしかない!と思い、大衆演劇の時間に合わせてお風呂と岩盤浴を済ませた。

本来の目的だった岩盤浴を早々に切り上げた為、一日楽しめると言われているスーパー銭湯の威力を舐めていたなぁ…と感じながらハイビスカス柄の館内着を着て、大衆演劇が上演される会場に向かう。
会場は舞台とそれに繋がる花道、客席手前はお座敷で奥が椅子とテーブルが置かれている配置だった。手前の舞台から近い場所や見やすい椅子席の前列には既に人が座っていたり、場所取りがされていた。

大衆演劇と言われると、おじいちゃん、おばあちゃんが見るようなイメージがある。確かに年齢層は高めであったが、観客の中にはオシャレをした若い女の人もいれば、ファンクラブTシャツらしきものを着ている女性もいた。このあたりは観客の絶対数は違えど、宝塚歌劇と似たようなものなのかもしれない。

第1部の芝居が始まり、暗転になる。その時、入り口のカーテンが開いたままで外の光が漏れてしまっているような状態になった。すると、近くに座っていたファンクラブTシャツを着た女性が、咄嗟にカーテンを閉めに行ったのだ。その様子を見て、役者とか観客とか関係なく、皆で作る演劇なんだな、と感じた。
開始15分ほどは芝居と言う名の会話が続き、最早芝居ではなく漫才に走っているような様相に2部の舞踊ショーは見ずにもう一度岩盤浴に行こうかと思っていた。しかし、芝居が進行するにつれて、妙に最後まで見届けるべきだという気持ちに駆られていた。たまに流れるBGMは役者の声が聞こえなくなるほどの大きさだし、脚本も笑いの取り方がイマイチよく分からない。でも、これだけで判断してはいけないように思えたのだ。

ここまで来ると、私にとってこれはミッションだった。
芝居が終わった後、舞踊ショーが始まるまでの30分間で、館内のレストランでオムライスを食べる。

画像2

入浴、岩盤浴後の体は少々塩分が足りていなかったようで、駆け足で食べたオムライスが体に染みる。空腹と塩分が満たされた私は、舞踊ショーを見るために会場に戻る。

2部の舞踊ショーが始まる直前に会場を見渡すと、客席前方のお座敷に座っていた人の手元には大量のレイがあった。1部と2部の間の休憩時間にさっきまでお芝居をしていた役者が劇団のオリジナルグッズやレイを売っていたのだ。お芝居をした後だというのに、大変だなぁ…と思っていた私は、このレイがどんな役割を持っていたのか、後で知る事になる。

結論から言うと、舞踊ショーはとにかく凄かった。
昭和の歌謡曲と共に役者さんが舞うだけの時間ではない。若い役者さんは最近の流行りの楽曲で着物もアレンジし、明るくポップに魅せてくる。私たちは簡単に「あれはもう古い」と判断してしまいがちだが、本当にレガシーとなるのは簡単なことではない。今の時代を生きているからこそ、どんな形であれ、じわじわと更新されていくのだ。

そして最大の衝撃は、舞の最中に観客が役者さんに差し出すおひねりだ。役者さんはだいたい曲の後半あたりになると花道に出てきて踊りだす。その時に、レイを持った観客がジワジワと寄ってきて、それに気付いた役者さんは観客の方に寄り、帯の中にレイを入れ込む。休憩時間に1本1000円で売られていたレイは、おひねりだったのだ。
観客から頂いたレイは最後まで役者さんの舞と一緒に揺れ続ける。自らの評価がこんなにも直接的に可視化される世界にいるなんて、大衆演劇はすごくシビアな世界だと、その時痛感した。

しかし、私の衝撃はここで終わらない。若座長や座長が舞い、他の役者さんと同じように花道に出た。すると、襟の部分に観客の何名かが1万円をキラキラのクリップと一緒に付けたのだ。その光景を見て、咄嗟に梅沢富美男の世界だ…と感じた。
昨今の商業演劇や小劇場演劇も基本的には分業がしっかり分かれているパターンが多く、ほとんどの場合は公演に掛かるお金はプロデューサーや制作と言われる立場の人が予算を取ってくることが多い。しかし、ここは違う。自らの今日の舞が直接的に自らの劇団の運用資金や生活費になっていくのだ。さらに、物販や衣装、照明、音響も全て自分の劇団でやっていくと考えると、その労力は計り知れないものである。芝居のクオリティとか、そういう問題ではないのだ。
この令和の時代に私は良い意味でとんでもないものを見たと思った。今はあらゆるモノゴトが様々な間を介して見えない形でやり取りされている形が増えつつある中で、役者や観客、その場にいる皆でこの演劇を作り、継続させている場のように見えた。

2部の舞踊ショーが終わる頃には、私はすっかり感激していた。勿論感動もしていた。しかし、私はまだその場の「観客」になるのが怖かったのか、終演後、役者さんたちが外に出てくる前に早々と会場を出た。

画像3

100円からサポートを受け付けております。こちらの記事が気に入った方は、サポートして頂けると幸いです。よろしくお願いします!