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連休中日。集落のおばあちゃんと喋る。

4連休の中日。梅雨も明けて真っ青な青空が窓の景色いっぱいに広がる。

その景色から夏が始まる感覚を感じながら、ダージリンの夏摘みを飲む。ハッキリとした味わいと後に続いていく香りが、夏に実る果実や野菜を連想させる。先週頂いたお土産のクッキーをお供に紅茶を飲んで、目の前に広がる青空をただ見つめる。

夏だ!夏だ!夏だ!

気持ちがワクワクする。このワクワク感を燃料に今年は何が出来るだろうか?丁度去年の今頃メダカを飼い始めた事を思い出した。
来週には車もやってくる。早く運転に慣れて、友人を沢山案内したいなぁ、沢山色んな場所に行きたい、と夢が沢山膨らむ。無職になる時にタイミングよくカーリースの契約が始まってしまうことには戦々恐々としているが、やはりワクワク感が勝る。

昼間に駅前のスーパーに買い物に行く。帰り道、集落に入っていった所でおばあちゃんとすれ違う。その時、おばあちゃんは「誰やったかいなぁ…?」と言いながら私に近付いてくる。
先週、東京で人と待ち合わせていた時はオンライン上ではあるが、何度も会話をした人をサングラスを掛けていて誰だか判別が出来なくて、すごく自然に無視してしまった。確かに、サングラスをかけていて正直誰だか分からなかった事は事実だ。しかし、きっとこの行為が可能なのは東京のような都市部だけのように思えた。
今、私に近付いてくるおばあちゃんは、私がきっと無視しても私を捉えて離さないだろう。完全に可視化され、ロックオンされていた。しかし、私とおばあちゃんは初対面なのだ。

「どこに住んでるの?」「お名前は?」「お勤めはどこ?」と質問され、私はそれに答える。途中、おばあちゃんと会話をしていく中で確実に両者の会話がかみ合っていない事に気が付く。しかし、この会話は正確なやり取りをする事が目的ではない。恐らく、会話をするという行為や時間に互いが満足する事が目的なのだ。
終盤におばあちゃんが、「ここら辺はみんな昼間にお勤めに行っちゃうからね~、私はいつも一人なの」と言った。そして、ざっくりと自分の住んでいる家の場所を教え、「そこに住んでるからね、遊びに来てね」と言われた。

都会では人を簡単に無視できるのに、田舎ではそれがかなり難しい。これってどういう事なのか?ここ最近疑問であった。しかし、おばあちゃんとの会話を通じて気付いた事がある。きっと都会では人は点なのだが、田舎では人はネットワークになるのだ。
だからこそ、都会では「私は~です。」という自己紹介から始まる挨拶も、田舎では「~の息子の~です。」とか「~に住んでいる~です。」とか必ずと言って良いほど自らの文脈を説明する必要があるのだ。むしろ田舎では個人の名前以上に文脈が重要な世界なのだろう。だからこそ、そこに存在しているネットワークを無視することが出来ないのだ。

そんな田舎は監視社会とも揶揄されるが、そんなに簡単に言い表せるものだろうか?と感じる私がいた。
集落に住んでいると、ありとあらゆる場面で「見られている」と感じる事はある。しかし、現在住んでいる場所は典型的な田舎の監視社会のような様相はない。先ほどのおばあちゃんが言ったように、基本的に平日は外に仕事をしに行っている人がほとんどの為か、多くの人が昨今、個人やプライバシーに関わる事を言ったり、言われたりするのを嫌がる事を多少なりとも認知しているからだろう。
だからこそ、基本的に見えているが、言わない。というスタンスを取っている人が多い。しかし、あまり身体感として馴染んでいないのか、会話をしているとだいたいポロっと出てくる。

別の日、車の納車に合わせて、駅前の月極駐車場を借りた。借主の夫妻と話をする。「どこに住んでいるの?」「元々住んでいたの?」と田舎ではお決まりの質問から、ふいに男性の方から「独身なの?」と聞かれた。私はあまり気にしていない為、「まだ一人なんですよね~」と答える。すると、隣で聞いていた奥さんが旦那さんに向かって「そんな事聞いちゃダメでしょ」とすかさず男性に注意をしていた。高齢の夫妻であった為、旦那さんはあまりよく分かっていない様子だったが、奥さんは「本当にごめんなさいね~」と私に言った。

駐車場の借主や集落の人達との会話で感じる事は、それぞれが身体に馴染んだコミュニケーションの方法として、ネットワークとして人を認知していく事なのだろう、と考える。そのネットワークから自らの接続点を探し、自らのネットワークとも接続していく。だからこそ、個人そのもの以上に個人の持つ背景が重要になる。
しかし、その認知の方法が時代の中であまり好まれない方法である事も彼らは知っている為、点とネットワークのコミュニケーションの間で常に揺らいでいる様子が見て取れる。誰しもが身体に馴染んだ行為と世間で良しとされている行為の間で丁度良いところを探そうとしているように見えたのだ。
私個人としては、その様子がとても面白く興味深いからこそ、何となく監視社会、と言い切る事に違和感を持つのかもしれない。

とは言え、田舎は田舎なので、来週やってくる私の車の車種はすぐに集落の人達に知れ渡るのだろう。それはそれで良いのだ。皆が覚えやすいように私の大好きなピンク色の車にしたのだから。

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