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久門剛史「らせんの練習」 鑑賞

6月頃に知り合いのアーティストから一緒に豊田市美術館で開催している久門剛史「らせんの練習」を見に行かないか?と誘いを受けた。展覧会の内容には興味を持ったものの、まだまだ遠くに行きたい気持ちになれず断ってしまった。

後日、名古屋に住んでいる 同じゼミ生に久門剛史の「らせんの練習」が豊田市美術館で開催している事を教えた。そのゼミ生は興味を持って、今度言ってみる〜と言った。

4日前、久門剛史の「らせんの練習」を見に行ったゼミ生はすごく良かった!と報告してくれた。彼女は展覧会の図録も購入し、どの作品はどんな体験があって、何を考えたのか、色々教えてくれた。とりわけ、彼女の発した「舞台やってる人は見たほうが良いよ」という言葉に舞台やってる、やってた人の端くれながら見なくては、と感じた。
論文の追い込み時期ではあったが、どうしても「舞台やってる人は見たほうが良いよ」と言われるほどの展覧会を目にしたかったのだ。そこで展覧会の最終日に滑り込むことにした。

久しぶりに高速バスに乗り、名古屋へと向かう。3月以降、東京に行く際によく使っていた高速バスに一切乗らなくなった為、少しドキドキしていた。

その日はいつもより朝早くに起きてメダカの様子を見た。餌はきちんと食べている。そんな中、小さなユスリカのような虫が鉢の中に飛び込んだ。3秒後にはその虫はメダカが食べていた。初めてそんな光景を見たので驚いた。そして小さいメダカもそれに続いて鉢に入ってきた虫を食べている。彼らはいつからそんなサバイバルさを身に付けたのだろうか?

名古屋に到着すると、丁度昼前だった。豊田市に移動しても1時間はご飯が食べれない。食べれる時に食べようと思い、地下街のきしめん屋さんできしめんを食べた。本当は定食を食べたかったが、朝ごはんに食べたクリームシチューが想像以上に自らのお腹を圧迫していた。

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レジでは、電話の修理屋さんとお店の人が話していて言葉のイントネーションを聞きながら名古屋に来た事を実感した。
私は普段は関西に住んでいる人間だが、出生地は東海地方だった。母親の実家が東海地方にあり、里帰り出産をしたからだ。その後、3ヶ月ほどは母親の実家にいたらしく、初めての浴びた言葉のシャワーは名古屋弁らしい。また年1〜2回は泊まりに行くため、その都度名古屋弁がアップデートされる。毎回母の実家に帰省する度に自分は関西弁か名古屋弁どっちで喋るべきか悩む。

きしめんを食べた後は名鉄に乗って豊田市に向かう。途中の乗り換えで昔、憧れだったりんごの電車に乗れた。

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この赤い電車は母親の実家近くを走っていて、いつも散歩最中に見かける度にりんごの電車だ〜と言っていた事を覚えている。基本的には車に乗って移動していた為、電車に乗る機会が少なかったのだ。だからこそ、りんごの電車は私の憧れのようなものだった。

駅についた後はグーグル・マップを見ながら歩いて向かう。横断歩道のない道などを案内される。この現象は何の限界なのだろうか?

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豊田市美術館に到着した。嬉しくてツーステップをする。今日は展覧会の最終日だからか人が沢山いる。みんなオシャレ、外にいる人は基本的に写真を撮っている。

まず会場に入って、一番はじめに見た「Force」という作品があった。一目見ただけでもゼミ生が「舞台やってる人は見たほうが良いよ」と言った意味が分かった。それは上演と言っても良い作品だったのだ。壁には複数の給紙トレイのような装置がある。そこからゆっくり時間を掛けて紙が床に一枚ずつ落ちていく。あそこ、もうすぐ落ちそうだな。次はどこが落ちるかな、と考えながら見ているとあっという間に時間が経つ。
学部時代の演劇の授業で演出家の先生がある生徒に壁の端に置いた本を反対側の壁からゆっくり歩いて取りに行って、と指示を出した。私達はその生徒の歩く姿をじっと見ていた。彼女が壁の端にあった本を取った後、先生は「見れたでしょ?」と言った。その先生曰く、役者がどんな行動をするのか分かっていると、どんなに遅い動きでも見ていられるものだ、と言った。
そんな、数年前の授業のことをこの作品で思い出した。ゴゴゴゴゴゴという音と共に極めて演劇的な空間に私はいるように思えた。

別の展示室では「丁寧に生きる」という作品群があった。どれもホホーと思わされる作品ばかりであったが、私は「丁寧に生きるー地震ー」が面白く感じた。
ガラス張りのケースの中に一枚の紙が入っている。それが地震が発生した断層のように斜めにズレている作品だ。デザイン的と言ってしまえばそれまでかもしれない。ただあまりにも綺麗に斜めにカットされたガラスや紙の切断口を見た瞬間に「痛そう」と感じた。その後、痛そうと思っていた気持ちが、そんなにスパッと切れる感触はどんな感じなのか、興味が湧いて、気付けば作品の前で斜めにずれる感触を手や膝を使いながら体験しようとしていた。ふと、その感触を得たいと思った事は共鳴や共感に近いように思えた。ガラスの切り口が痛い事を知っている私はガラスがどんな風にズレたのか知っているはずだと無意識に感じたのだろう。

「丁寧に生きるー完全な関係ー」は2つの電球が同じスピード感で近づいては離れて、また近付く。イメージとしては「ニュートンのゆりかご」の両サイドの球が同時に動いているような感じ。しかし、2つの球は触れる事もなく、間は透明のガラス板で遮られている。個々に存在しているという事が肝なのだろうか?
作品を目の前にしている時は、そんな事しか考えられなかったが、ふと別の作品を見ていた時に、私の視線の延長線上に手を繋いだカップルと「丁寧に生きるー完全な関係ー」があった。もし、あの電球が完全な関係だとすれば、私の目の前にいるカップルが完全ではない理由は何なのだろうか?

会場では、いくつか微かに聞こえる音があるらしいが、今日の私は聞き取る事が出来なかった。人が多いから?私が超ネガティブキャンペーン期間中だから?美術館を後にした私はネガティブな私にご褒美をあげることにした。

名古屋駅の高島屋では、キラキラのラメが入ったピンクのマニキュアとふらりと入った服屋さんで見付けた私が探していた色合いの紫のマニキュアを購入した。どちらも本当に可愛くて、家に帰ったら早速付けようと思った。

帰りのバスに空腹のまま乗ってしまうと、酔ってしまうので、少し食べ物を食べることにした。名古屋らしい純喫茶を探したが、最終的に行き着いた先はコメダ珈琲だった。

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近所にもコメダ珈琲はあるのに、毎回名古屋にいると入ってしまう。そしてだいたい小倉トーストを注文してしまう。とは言え、そんな後悔を跳ね除けるほど小倉トーストは毎回美味しい。
隣に座っていた男性たちはこれからセントレアへ向かう様子だった。彼らは関東弁。美味しさのあまり出てしまった言葉は関西弁。確かに「どえりゃーうみゃー」とは中々言わん。今のは名古屋弁。

バスに乗る前に母へのお土産にういろうを購入した。日帰りの弾丸名古屋、豊田旅であったが、メインの展覧会以上に行き帰りの体験の収穫が多かったようにも思える。

帰宅後、ういろうを母に渡して、「年末は帰れるといいね」と名古屋風に言ってみた。

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