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「西側、お前は万馬券だから。俺は張り続けるからな」

祖父母は印刷業や企画業を営む大阪の商売人だったので、昔から「会社経営は良い時もあれば悪い時もある。社長はヒトとカネにいつまでも苦しむんだよ」と生々しい言葉を幼い頃から聞かされ、時には従業員からの訴訟問題について祖父母宅の食卓で話題に上がるなどして「商売」に対してアレルギーなく僕は育ちました。

僕が就職活動していた頃、2011年は東日本大震災もあって就職氷河期真っ只中。そんな中、人気だった総合商社に大逆転的な内定を貰った僕は、周りの友人から讃えられ、両親はえらく喜んでいたのですが、当時健在だった祖父だけは「勿体ないなぁ。お前が血の滲むような努力をして、大きく挫折したサッカーの経験と世界放浪の旅の経験はきっと風化する。社会は赳史の夢や想いをすぐに風化させるで。経営者になりたいなら、さっさと挑戦せなあかん」と言われたことが衝撃的でした。そんな祖父も、病床についた時、僕はちょうど商社を退職し、これから起業することを伝えたのですが、祖父が経営していた会社の業績が急激に悪化していたので「会社経営は大変やぞ。心配やわ」と言われ、僕がメキシコに飛んでから3ヶ月で亡くなった。なにひとつ良いニュースも結果も出せぬまま、心配させたまま亡くなってしまった。2015年の夏だ。

あれから丸5年が経った。現在経営するEncounter Japanは2020年11月現在、日本人のメンバー5名、メキシコ人のメンバーが25名, インターン生が2名の合計32名の会社です。長年連れ添い、苦楽を共にした島田俊一郎は新しい人生を志し、東京で頑張ってくれてるはずです。今の役員は僕とCFOのRaul Juarezの二人。昔は、よくこの3人で頭を抱えながら、カフェで気の遠くなるような打ち合わせを積み重ねていました(笑)。けど、よく俊が言っていた「今いる仲間がベストメンバーだから」って言葉を胸に、コロナ感染を免れながら、9月の強盗事件で涙を流しながら、今日もメキシコで頑張ってます。

渋谷のクラブのVIP席で、24時集合だから、よろしく

「学生時代が一番楽しいから。社会人はそれと比べれば地獄だよ、つまんない」と言ってた身近な大人たち。それは全部嘘だったと、自分が今立たされてる状況と走り抜けてきた社会人時代を振り返るとそう思えます。彩ってくれたのは、「挑戦すると決めた自分」と「その過程で出会ってきた人たち」に違いないんですが、何歳になっても打席に立ち続ける姿を何度も見せてくれたのが、ぼくにとっては燃え殻さんです。

社会人になって、悶々と生活をしながら。常磐線に揺られながら、満員電車の中でスマホの画面越しに眺めていた燃え殻さんの言葉の数々。なんのバグがあったのか、ある日燃え殻さんにフォローして貰ったことをきっかけに、DMをお送りして、神谷町のオフィスでお会いすることになった日の高揚感は忘れられません。僕が上京して間もない、24歳のときでした。想像以上に疲れた表情で、それでも言葉の端々から優しさを感じる、そんな燃え殻さんとの出会い。それから、色んな飲み会に誘ってもらえるようになりました。「渋谷のクラブのVIP席でXXさんと会うことになった。一人で行くのが怖いから西側も同席するように」とテキストメッセージが届く。「僕だって死ぬほど怖いので、欠席します」と返信する根性も度胸もなく、けどちょこっとだけワクワクして暗がりのVIP席に向かえば、雑誌でみたことある有名な作詞家や、一世風靡させてるクリエイターの方など、これまでの人生では出会える筈がなかった人たちと話せる機会がありました。

当時、崖っぷちカレー(通称 ホームレスカレー)が頓挫して、途方にくれていた僕にこの有名なキッズリターンのラストシーンを送ってくれて「西側。まだ始まってないだろ」と言われ救われた夜を思い出します。

その後、「誰かと何かするなんてコントロールが効かないし、リスクでしかない」とか言い訳ばかり言って、何かにチャレンジすることを躊躇していた頃の僕に。夜中の2時くらいに燃え殻さんから電話がかかってきて、「あぁ怖いなぁ・・」と思って受けてみると、世間話も程々に「西側!お前何してんだよ。やれよ。俺だって色々疲れたし、色々辞めたいけど、やるから。なんでお前がやんないんだよ、バカ!」と叱られた夜を今でも覚えています。当時の友人と一緒に過ごした並木橋のマンションで一人、微睡む夜を過ごしながら「そうだよな。俺がやんなきゃダメだよな」と、今思うと単細胞すぎて笑えるんですが(笑) 、挑戦する人生にギアシフトすることを決めたんです。

西側は仲間想いに見えてそうじゃないんだよ!死ぬ気で守れよ

それから僕は、道玄坂の寂れた通りの、寂れたビルの4Fに小さなbarを当時の仲間たちとつくりあげました。25歳。6年以上前で、当時は経営も、飲食運営も、デザインも、マーケティングも、商売するリスクさえも、本当に何もかも知らなかった。何も知らなくて、力もないのに、なぜか自信だけあった。何も知らなかった当時の自分だからこそ出来たことだと思うんですが、確かに結果は全部、全然ダメだった。

「新しく渋谷にbarを作りました!」と周りの大人たちに声をかけ、来店して貰って一緒にお酒を飲んでると、ダメ出しの嵐。嵐に飲まれてそのまま飛ばされたいくらいのダメ出し。そのダメ出しの出所が、それぞれの業界で活躍してる大先輩たちだったので説得力もあり、半ベソかきながら話を聞いてる僕をみていた燃え殻さんが、皆が帰宅した後も僕の隣でジンリッキーを飲んでいて。落ち込んでいた僕に「お前、格上から言われたらすぐ折れるだろ。それ駄目。そんでさ、客や他人は適当なこと言って去っていくから。だけどさ、お前の仲間は違うだろ。お前信じて、今日も明日もガンバんだよ。だから他人の言葉に踊らされず、お前が決めたこと、決めることをこれからも信じてやれよ。お前がブレたら、それこそ仲間は離れていくぜ。ネームバリューなんかに負けんなバカ」と語気強めに仰るんです。

「お前は仲間想いに見えて、そうじゃないんだよ。死ぬ気で守れよ」といわれて泣きました。泣いてないことを隠したくて、いつもよりグラスを高く傾けながらジントニックを飲み続けたのを覚えています。

お前は甘い。その甘さが全部壊すよ。鬼になんなきゃ駄目

成人すると、怒られる機会なんて殆どなくなる。誰だって怒られることを好まない。「西側、来週木曜日25時、この店で集合」というメッセージが入る。27時くらいから怒られることを想像しながらも、店に向かう僕。「素人感をなくすのが西側のテーマだよなぁ」「世界中さ、旅してきたのに友達とばっか群れんなバカ。色んな一流の大人を巻き込まないと、お前すぐ消えるぞ」「嫌われる努力が足りないんだよ。だからその場凌ぎなわけ。わかる?その甘さが全部壊すんだよ。成功させるには社長は鬼になんなきゃ駄目。」

深夜のこんな時間は、修行だった。しかも当時は「それでも僕は成功して見ますよ!」と言った謎の自信があった。昨今は、厳しく社員に接することが増えてきたけど、誰かを指摘したり、指導する時間とそのためのエネルギーは、出来れば投資したくない。出来ればその時間は疲れた心身を癒すための時間に充てたい。テルマー湯とか誰もいない喫茶店でのんびりすべきだ。

そして僕は色んな事業を手掛けてきたけど、燃え殻さんから指摘され続けてきた僕の落ち目や甘さや考え方が原因で、尽く、沢山失敗した。振り返ると、全ては、中途半端な優しさと甘さだった。問題や課題となる人・金・考え方全てにおいて、誰かを傷つけないことを考えて、無力なのに守れるだなんて思って、庇うべきものじゃないものを庇って。

万馬券だからさお前は。だからさ、当たるまで死ぬなよ

魅力的な人には、強者たちが集まってくる。本を出版して、世間に対してインパクトを出し続けてる燃え殻さんには、より人が集まった。僕なんかより、優秀で才能ある、それでいて結果を出している若者が群がっていた。そもそもなぜ成功もしてない。きらりと光る才能もこれといってない。そんな僕に付き合ってくれるんだろうと思って「なんで、周りにもっと色んな可能性ある若手いるのに、僕に構ってくれるんですか?」とはっきり聞いたことがある。渋谷のEncounterで聞いたんだった。

「万馬券だからさお前は。張り続けるから俺。昔、何者でもなかった俺に無条件で与え続けてくれた大人がいたから。俺もそうなりたいんだよ。だから、当たるまで死ぬなよ西側」

だから今も。自分が当たるまでは死ねないな、と思っている。居心地の良い場所で素振りばっかしてるんじゃなくて、手に汗握る舞台に立つ覚悟と努力と、そこで思いっきりヒットを打つための地道な準備をしないと。ホームラン打とうとした日には「一発逆転狙い過ぎ。バカ」って怒られそうなので、コツコツこれからも頑張りたいと思います。

「西側さんは強いですね」と最近いろんな人からよく言われる。強さの理由はきっと、こうやって支えてくれる人たちが、恐らく通常よりも僕の周りには多くて、カッコいい大人たちが多くて、いつかこの人たちの期待に応えたいって気持ちと。32歳にもなって、起業して5年以上経ってるけど、まだ目が出てない弱い自分と残酷なまでの自分の力不足と、これまでのトラウマとか、挫折とか、ポジティブとネガティブのいろんな感情が良い感じに混ざってる。

人生はトーナメント戦じゃない、リーグ戦だ

「西側、俺疲れたよ」とメッセージが飛んできたことは一度や二度ではありません。酒場でお会いすると、いつも酷く疲れていて、どこから見ても健康には見えない。久しぶりにお会いしたと思えば、眼帯をつけていて、どうしたんですか!と聞くと「ゴールデン街でボコボコにされた」と言う。悪名高き「メキシコ」に住んでる僕の方が、なぜか安全地帯に生きてるように思わせてくれる、燃え殻さん。

2014年。身も心も疲れていた燃え殻さんは「西側、俺かなり疲れてるし、何かに取り憑かれてる気がする。魔除けを買ってきてくれ」と言われたこともあります。「魔除けのおつかい」というレアな依頼を受けた僕は、ベネズエラのカラカスという、これまた縁起の悪そうな世界有数の危険都市で魔除けを買って、プレゼントした時の写真が見つかりました。どこか、嬉しそうな燃え殻さん。

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「人間、何歳でもチャレンジできるから。勝手なこと、偉そうなこと振りかざしてくる大人はたくさんいるけど、そういう大人ってもう半ば引退してて何も挑戦してないじゃん。西側、俺はやるから。お前もがんばれ」

と言って、ゴールデン街で負傷しようが、クソリプを飛ばされようが、悪霊に取り憑かれようが、本業の締め切りに追われて徹夜してようが、いつも戦い続けてる大人。現状維持した方が楽なのに、失敗しないのに。せっかく「ベストセラー作家」って肩書もついたのに。それでも新作を出してしまう燃え殻さんの強さに、男心をくすぐられるし、悔しさも覚える。

『すべて忘れてしまうから』

僕も日本に一時帰国中に読みました。これは僕にとっての、そして誰かにとっての、多分燃え殻さんにとっても「希望」なんだと思う。素敵な本でした。これを読んでくれてる人も読んでみてください。

「西側!お前、やれよ」と、これからも太平洋の向こうからメキシコまでゲキが飛んできそうな気がする。日本を出発する前、新宿のなんでもないカフェの2階の奥で原稿を書いていた燃え殻さんは、さらに疲れていた。出版のお祝いに、とプレゼントした紅茶を手にして、ちょっとだけ喜んでた燃え殻さん。ベネズエラの魔除を渡したときと同じ表情をしてて、なんだか嬉しかった。

人生はトーナメント戦じゃない、リーグ戦だって。言葉だけじゃなくて、人生をかけて示してくれる燃え殻さんに心から感謝を

==追記==

燃え殻さん、また新しく本出したみたいです。売れるか不安で、胃を痛めてそう・・




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